堀間善憲

気がついてみたら60代のなかば。これまで出会った本や音楽、映画……からピックアップして…

堀間善憲

気がついてみたら60代のなかば。これまで出会った本や音楽、映画……からピックアップして、自分なりに解読してみたいと思います。めざすはあっと驚くような大発見ですが、果たしてどうなりますやら。みなさまもご一緒に楽しんでいただけますと幸いです。

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  • note クラシック音楽の普遍化を達成する

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    クラシック音楽の歴史や作曲家、作品について、哲学的な視点から分析し、その普遍性や深さを探求する和田大貴のnoteです。クラシック音楽について語り合えることを楽しみにしています。参加希望の方はマガジンの固定記事でコメントしてください。

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アナログ派の愉しみ/本◎吉田修一 著『悪人』

ゴキブリ退治が苦手な わたしの理由 ゴキブリ退治が苦手だ。念のため、苦手なのはゴキブリではなく、ゴキブリ退治のほうだ。背後の妻から丸めた新聞紙を渡されて、キッチンの床の黒光りする昆虫を追いまわしながら、とめどないジレンマが込み上げてくる。生きとし生けるものの命を奪うことは罪悪とする仏教の教えも作用していようが、それ以上に、われわれ人間だってちょっと距離を置いて眺めればさほどゴキブリと変わらないのでは、という思いがあるからだ。 吉田修一の『悪人』(2007年)も、そんな

    • アナログ派の愉しみ/音楽◎ベートーヴェン作曲『交響曲第4&7番』

      天才指揮者は 楽聖の情念に呪縛されたのか カルロス・クライバーがアムステルダム・コンセルトヘボウ管を指揮したベートーヴェンの『交響曲第4&7番』のライヴ映像(1983年10月20日)をこれまで何度観たろう。そのたびにわれを忘れて、めくるめくリズムとハーモニーの奔流に呑み込まれる思いを味わってきた。 クラシック音楽の演奏が録音だけでなく、映像としても記録されるようになって70年以上が経ち、ピアノのソロから大がかりなオペラ公演まで、さまざまなプレイヤーによるさまざまなスタ

      • アナログ派の愉しみ/映画◎スコット・クーパー監督『荒野の誓い』

        名作『駅馬車』の 続編にあたるロードムービー ジョン・フォード監督の『駅馬車』(1939年)は、それまでのドンパチの活劇に本格的な人間ドラマを持ち込んで、西部劇の新たなページを開いた映画とされている。インディアンとのあいだで抗争が繰り広げられていた1880年代、脱獄囚リンゴ・キッド(ジョン・ウェイン)や娼婦ダラス(クレア・トレヴァー)ら9人を乗せた駅馬車が、アメリカ大陸南西部のアリゾナ州からニューメキシコ州をめざす。1泊2日の行程のクライマックスは、ジェロニモが率いるアパッ

        • アナログ派の愉しみ/映画◎今村昌平 監督『復讐するは我にあり』

          かつて野球選手が 血と汗にまみれていたように 連日テレビが流すドジャース・大谷翔平の映像を眺めながら、その容姿がいかにも清潔感にあふれ、まるで映画俳優のように垢抜けているのに感嘆するのはわたしだけではないはずだ。 遠い記憶をたぐり寄せれば、かつて少年のころに熱狂した巨人(読売ジャイアンツ)V9時代の野球選手たちは長嶋や王、ライヴァルの村山や江夏をはじめ、だれもが血と涙と汗と泥にまみれ、陰部には「いんきんたむし(カビの一種による感染症)」のはびこる気配がブラウン管をとお

        アナログ派の愉しみ/本◎吉田修一 著『悪人』

        • アナログ派の愉しみ/音楽◎ベートーヴェン作曲『交響曲第4&7番』

        • アナログ派の愉しみ/映画◎スコット・クーパー監督『荒野の誓い』

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          アナログ派の愉しみ/バレエ◎『ヘッダ・ガーブレル』

          120年の歳月を経た 女性の虚栄心のかたち ぐうの音も出ない、とはこんなときに使うのだろうか。2017年にノルウェー国立バレエがオスロのオペラハウスで行った『ヘッダ・ガーブレル』公演のライヴ映像。言うまでもなく、ノルウェーが生んだ「近代演劇の父」ヘンリク・イプセンの有名な戯曲(1891年初演)にもとづき、女性演出家のマーリット・モーウム・アウネが8人のダンサーを中心とする現代舞踊劇に仕立てたものだ。 ヒロインのヘッダ・ガーブレルは上流階級に生まれ、父親の将軍に溺愛され

          アナログ派の愉しみ/バレエ◎『ヘッダ・ガーブレル』

          アナログ派の愉しみ/本◎郝景芳 著『折りたたみ北京』

          日本人のアタマからは 出てこない発想 およそ日本人のアタマからは出てこない発想だろう。郝景芳(ハオ・ジンファン)の小説『折りたたみ北京』(2014年)を読むと、そんな思いを禁じえない。ちなみに、この1984年生まれの女性作家は、中国トップの最高学府、精華大学で物理学を専攻して天体物理センターで研究を行ったのち、経済学と経営学の博士号を取得して現在はシンクタンクに勤務中というから、まさにエリート中のエリートと言っていい。 世界SF協会のヒューゴー賞を受賞したこの作品では

          アナログ派の愉しみ/本◎郝景芳 著『折りたたみ北京』

          アナログ派の愉しみ/映画◎クルーゾー監督『恐怖の報酬』

          仕事にはすべて 恐怖がひそんでいる そのことについて関係者に迷惑をかけてもいけないので、ごく大まかなアウトラインのみを記述することにしたい。東日本大震災の年のできごとだ。当時、わたしは会社で事業開発のセクションの部長をつとめ、新規プロジェクトの立ち上げに取り組んでいたまっただなかで大震災に見舞われて頓挫のやむなきに至り、まだ試行的段階だったとはいえ数千万円の赤字が見込まれる事態となった。すると、それまでプロジェクトの旗振り役だった役員が態度を一変させたのである。 経理

          アナログ派の愉しみ/映画◎クルーゾー監督『恐怖の報酬』

          アナログ派の愉しみ/音楽◎マリア・カラス歌唱『アット・コヴェント・ガーデン』

          ディーヴァは ナイフの刃を突きつけた やはり20世紀最高のディーヴァ(歌姫)はこのひとだった、と天を仰がずにはいられない。マリア・カラスが1962年と64年、英国ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスに出演した映像記録『アット・コヴェント・ガーデン』だ。このときの年齢は38歳と40歳で、すでに全盛期を過ぎていたものの、その眼光は猛禽類のように爛々として表情を千変万化させながらうたいあげる姿には圧倒されてしまう。たいていの歌手が役を演じるのに対して、カラスは役を生きているのだった

          アナログ派の愉しみ/音楽◎マリア・カラス歌唱『アット・コヴェント・ガーデン』

          アナログ派の愉しみ/本◎『万載狂歌集』

          「やハらかなけしきをそゝと」―― のどかな光景が生々しく反転する真骨頂 日本の栄えある詩歌の伝統において、その底辺に位置するのが狂歌と言っていいだろう。と、こんなふうに書くと狂歌を見下しているように受け取られかねないけれど、とんでもない、わたしは平安貴族の洗練をきわめた和歌よりも、むしろ美なんぞ目もくれず、俗世間の神羅万象を笑い飛ばした歌たちのほうにずっと親しみが湧く。 そうした高尚ならぬ哄笑の文芸は太古の昔からあったはずだが、動乱の中世に文学史の舞台に登場し、やがて

          アナログ派の愉しみ/本◎『万載狂歌集』

          アナログ派の愉しみ/音楽◎武満 徹 作曲『ノヴェンバー・ステップス』

          邦楽器とオーケストラを 対決させる発想はどこから? 風変わりなプログラムと言うべきだろう。1989年9月12日に当時の西ドイツのフランクフルトで、サイトウ・キネン・オーケストラが行ったコンサートだ。 まず秋山和慶の指揮によってシューベルトの『交響曲第5番』(1816年)で幕を開け、ついで小澤征爾が指揮台にあがって武満徹の『ノヴェンバー・ステップス』(1967年)、ブラームスの『交響曲第4番』(1885年)と進み、最後にアンコールとしてモーツァルトの『ディヴェルティメン

          アナログ派の愉しみ/音楽◎武満 徹 作曲『ノヴェンバー・ステップス』

          アナログ派の愉しみ/映画◎ヤン・ヨンヒ監督『ディア・ピョンヤン』

          父と娘の 果たしあいの記録 わたしにとって、この映画は観る前と後で世界がまったく違って立ち現れる、そんな映画のひとつだ。在日コリアンのヤン・ソンヒ(梁英姫)監督がみずからの家族を題材としたドキュメンタリー『ディア・ピョンヤン』(2006年)である。 「アメリカ人と日本人はダメだ」。アボジ(お父さん)は一刀両断にする。正月に実家へ戻ってきたひとり娘の「私」に向かって、だれでもいいから彼氏をつくれ、と告げてからこう言い足したのだ。朝鮮人だったらいい、と。そこで「私」が、だ

          アナログ派の愉しみ/映画◎ヤン・ヨンヒ監督『ディア・ピョンヤン』

          アナログ派の愉しみ/本◎ジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙』

          われわれはふたたび 神々の声と出会ったのか 自分は一体、何者なのか? その答えに少しでも近づくためにわれわれは本を読むのだろうが、米国プリンストン大学の心理学教授、ジュリアン・ジェインズが著した『神々の沈黙』(1976~90年)もまた、目からウロコの落ちる示唆に富んだ一書であることは間違いない。 骨子は、はなはだシンプルだ。現生人類はおよそ40万年前に誕生したのち約3000年前に言語を獲得するまでのあいだ、みずからの意識というものを持たず、今日のわれわれとはまったく異

          アナログ派の愉しみ/本◎ジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙』

          アナログ派の愉しみ/ドラマ◎『ザ・パシフィック』

          太平洋戦争の 最前線が炙りだしたものは 果たして戦争映画に対して傑作という言い方をしていいのか、ためらいを覚えつつも、それでもわたしの知るかぎり最高傑作と呼びたいのは『ザ・パシフィック』だ。ただし、厳密には劇場用映画ではなく、アメリカのケーブルテレビ局HBOが2010年に放映した全10回のドラマ・シリーズで、現在はDVDやビデオ・オン・デマンドにより視聴することができる。テレビ・ドラマとしては異例の規模の予算が投じられ、スティーヴン・スピルバーグやトム・ハンクスが製作総指揮

          アナログ派の愉しみ/ドラマ◎『ザ・パシフィック』

          アナログ派の愉しみ/音楽◎ショスタコーヴィチ作曲『交響曲第15番』

          それは天才が 最後に眺める光景か 天才は一体、人生の最後にどんな光景を眺めるのだろう? そんなことを考えさせられるのが、ショスタコーヴィチの『交響曲第15番』だ。 ソ連の共産党独裁のもとで苛烈な状況を生き抜いた20世紀屈指の天才作曲家、ドミートリイ・ショスタコーヴィチが1971年、65歳の年に完成した最後の交響曲である。それまでのとかく息苦しいほどの緊迫感を漲らせた作品とは趣が異なり、いまや権力の呪縛から解き放たれ、融通無碍の境地にあって、気ままに自己の精神世界を逍遥す

          アナログ派の愉しみ/音楽◎ショスタコーヴィチ作曲『交響曲第15番』

          アナログ派の愉しみ/本◎嘉村礒多 著『崖の下』

          「私小説」とは ひとつの詩の形式ではないか 大正から昭和の戦前・戦後を通じて、文学史上のいちばんのキイワードは「私小説」だった。それが平成を経て、令和の時代を迎えたいま、ほとんど死語に等しい印象があるのはどうしたわけだろう。ありのままの自己をさらけだす方法論が説得力を失ったのか、それとも、だれもかれも自己をさらけだすのが当たり前になって、ことさら「私小説」を標榜する必要がなくなったのだろうか。 その事情はともかく、わたしは「私小説」といわれると、条件反射的に嘉村礒多(

          アナログ派の愉しみ/本◎嘉村礒多 著『崖の下』

          アナログ派の愉しみ/映画◎藤山直美 主演『顔』

          マスクを外した 女性たちはそのとき 落ちない口紅「リップモンスター」が大ヒットしているそうだ。花王の化粧品ブランドKATE(ケイト)がコロナ禍の2021年春に発売した商品で、マスクに色移りしないことをアピールしたものだったが、あえて「欲望の色」や「地底探索」などの奇抜な色のネーミングをつけたことも評判となり、ようやくマスクから解き放たれたいま爆発的反響を呼んでいるとか。それは、女性たちがコロナ以前への回帰ではなく、まったく新しい生き方に立ち向かいつつあることを指し示している

          アナログ派の愉しみ/映画◎藤山直美 主演『顔』