kazu

60代、男性。定年退職後、自分探しを行うべく書き始めています。 暮らしの中で、思ったこ…

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60代、男性。定年退職後、自分探しを行うべく書き始めています。 暮らしの中で、思ったこと、気が付いたことを書き連ねています。

最近の記事

酒と自分

 酒をあまり飲まなくなった。  とはいえ、ここ数年は、ウイスキーのボトル三分の一位を毎日飲んできている。その前、体が元気な頃は、ボトルを一日一本の感じだろうか。肝臓が丈夫だったのかもしれない。  最近は週に1回、飲まない日を作り出そうとしている。もう毎日飲む酒というものも卒業の潮時か。なにせ酔いが回るのが早くなった。少量の酒で酔ってくるのが自分で分かる。  いろんな酒を飲み合わせるのは、酔ってしまうので良くないと聞いたことがあるけれど、そんなことは無い。  量を多く飲めば

    • 二足の靴

       ファッションに興味があったのは、高校生の時くらいだ。そのあとは、TシャツやトレーナとGパンだったし、仕事に入ってからは、作業服がほとんどだった。  父は大工であり、年がら年中同じ作業服。パリッとしたスーツ姿など、見たことも無いし、聞いたことも無い。母も私の服について話をしたことが無く、幼いころからファッションというものには無縁の家庭だった。さらに追い打ちをかけたのは、就いた仕事は土木の世界。作業服が制服ですという世界の中で、かっこいい作業服などと思っても、世の中のファッショ

      • 夕方の空と「まげでらんね」

         5月となると、太陽が沈んだ後、空にはまだ夕日が留まっている。  西を背にして白いビルを見上げると、ビルは夕焼け色の化粧をまとい、その上に広がる空は、青空が、さらなる鮮明な青に感じる。  夕日のいたずらだろうか。  周りの木々のみずみずしい緑も、深い緑色となり、静寂の空気を、より鮮明に感じさせる。  一年の季節の中で、すがすがしい夕方は今なのかもしれない。  そんなすがすがしさが言わせたのか、空を見上げて、知らず知らずに呟いていた。 「まげでらんね」 東北の方言、理解してい

        • 書きたいもの・書きたいこと (自分へ向けた呟き)

           先日、とある冊子で目に付いた一言で、悩みの沼にいることに気が付いた。 「書きたいもの」と「書きたいこと」は明確に違う。  書きたいものとは、あることを紹介したり、書き留めておくというお話。事実や空想を問わないだろうし、面白おかしく書けば、読む人も楽しいだろうけれど、単なるお話。  書きたいこととなると、書く人の心があることで、書きたいことの発見が大切とあった。  最近、いろいろと目にする中に、苦しかった過去に対して頑張ろう、気を付けていこうなどと、楽しい文章で書くことで

        酒と自分

          こころざし (ひねくれ者の、呟き)

          「こころざし」の意味をスマホで開くと、こうしようと心に決めたこと、目標、ある方向を目指す気持ち、心の持ち方、信念などと出てくる。  この言葉、60オーバーの自分の中では、もはや忘れ去ってしまっていた。  昔、30歳を過ぎると、生活の糧を得るために仕事に追われていた。仕事において信念はあったものの、こころざしというものとは違う。  なぜ、今この言葉に拘るのか。  不思議なことだけれど、懐かしいのかもしれない。  幼少のころや青年期には、夢や希望はあった気がする。でも、それらはこ

          こころざし (ひねくれ者の、呟き)

          言葉と慈しみ

           誰かが自分に対して発する言葉、うめきや落胆のため息。  昔、妙に気になり、不快になる時があった。直接、攻撃されていないけれど、人を見下すのは言葉でなくてもできるのだと感じた。  もちろん、そのような場にいなければ良いだけなのだ。しかし、想定していない事象に不意をつかれると、避けようもない。  文章となると、話し言葉より、不快にさせる破壊力がある。話し言葉ならいつか記憶から消えていくこともあるけれど、文章は、そうはいかない。  そんな時、「慈しみ」という言葉と改めて出会った

          言葉と慈しみ

          ジプシー・キングス 「インスピレーション」

           昔、「鬼平犯科帳」というテレビ番組を好んで見ていた時期があった。  秀逸な作品であり、内容にも傾聴すべきところが多々あった。  そのエンディングテーマが「インスピレーション」であり、物語を見終わった後に、エンディングを聞いてもう一度物語の中に戻っていったのを覚えている。  グループの名前はジプシー・キングス。フランスのバンドなれど、全曲をスペイン語で歌っているらしい。南フランス出身のジプシーだった人のバンドメンバーがジプシー・キングスの母体とのこと。テレビCMでも、多数の

          ジプシー・キングス 「インスピレーション」

          ぼくにとっての「言葉を紡ぐ」

           ぼくにとって言葉を紡ぐということは、誰かに手紙を書くようなものだ。誰かの一番身近にいるのは自分である。  自分に対して手紙を書くとは妙かもしれないけれど、書くことの原点と思っている。  良いところ悪いところを何気なく書き連ねて、自分は何者かという迷路の森に迷い。森にじっと身を潜める。それも悪くないじゃないかと開き直る。  エッセイは、楽しいことや面白いことが必然と考える方もいるかもしれない。そうゆう方々には、自分への手紙は理解が得られないだろう。否定はしないけれど、了見が

          ぼくにとっての「言葉を紡ぐ」

          浦島太郎伝説

           とある街に一人で住む三十過ぎの独身男性。彼の母親は早くに亡くなり、父親は幼いころに行方不明となっていた。この男性、仕事で行き詰まり会社をやめて部屋を片付けていたら古いメモを発見した。そのメモには海岸の名前が記されており、父親の消息につながるかもしれないと思い、これまで気になりながら生きてきた父親の消息探しを始めたのだった。  確かこうゆう始まりの新聞連載をふと思い出した。  物語は新聞社の女性記者が仲間に加わり、海辺で亀と遭遇し、竜宮城へたどり着く。竜宮城にはタイムマシンが

          浦島太郎伝説

          我がオイルライター

           昔、ライターに火が着かなくて悲しい思いをした。  知人の誘いを受けてバスツアーに参加した時のことである。バスは観光地を巡りながら時々停まり、土産物の購入やトイレに行くための休憩がある。その日のバスは座席の前後に余裕が無く窮屈で、座っているのは大変だった。気分転換と足の関節をほぐすために休憩時間に車外に出て煙草を吸おうとした。しかし、その日は風が強くてライターに火が着かない。結局、煙草を吸わないままに休憩時間が終わってしまった。その時のライターは使い捨ての百円ガスライターだっ

          我がオイルライター

          泣きそうな顔になっている

          いつだったろう NHK SONGSの録画を見た後に、 妻から「泣きそうな顔になってる」と言われた。 その番組は、60歳になる芸能人が主人公だった。 60歳になり、歌う歌が心に響く人になっていた。 自分は64歳。 60歳の時に、こんな歌は歌えなかったなぁと呟いたら、 これからでしょ?と言ってくれた。 そうか・・・・。 70歳が目標でもいいか・・・・。 そんなことを自分に言い聞かせていた。 歌はなぜ、涙を導くのか。 そんな、他愛もない質問を思い浮かべたり。 その人の歌の中には

          泣きそうな顔になっている

          冷凍庫の霜

           ぼくの家には小さな冷凍庫がある。  この冷凍庫には、長期保存が可能な冷凍パッケージのおかず弁当が入っている。弁当は塩分が調整されていて、体に良いとのこと。最近は弁当のグレードも上がり、味付けも濃く、コンビニ弁当と大差ない味になってきている。  ぼくは、気まぐれな食事が多いので、こうゆう弁当を食べていかないと栄養配分などめちゃくちゃになり、体調も不調になっていくのだろう。さらに冷凍庫を開ければいつでも食べられる。近年の隠れたヒット商品ではないだろうか。  幼少の記憶に氷の

          冷凍庫の霜

          静かな表現者

          静かな時間や空間は近頃の好みである。 人混みは嫌いになり、喧噪が溢れる街の中は苦手なエリアとなった。 昔はそうではなかった。 わざわざ、一人で人混みを求めて街中を彷徨っていたのだけれど、 喧噪の人混みの中に一人身を置くと、 孤独ともいえる空間との触れ合いが心地よかった。 ひねくれた反動が孤独を心地よく感じていたのかもしれないし、社会からはみ出した者だったとも思う。 最近、ある時ふと「表現者」という文字を目にした。 表現者と聞くと、歌うたいや画家、小説家、舞台の役者などが思い

          静かな表現者

          買い置きしていたチノパンは時代遅れ

           40代半ばから、外出するときはスーツではなく気軽にはけるスラックスを履いていた。 その前は、仕事は作業服の上下を着て、通勤にはジーパンをはいていた。40代という年になり、スーツで通勤していた時期もあったけれど、40代半ばからは、四六時中気を使ってスーツを着ることも無いだろうと開き直ってしまったのか、会議でもない限り、いつのまにか一日中スラックスを履いているようになった。  スラックスは毎日替えるほどの本数を持っていたわけでは無いけれど、週末に洗濯して履きまわすという状

          買い置きしていたチノパンは時代遅れ

          哀愁のメガネフレーム

           長年、使い続けてきたメガネの話。  メガネを掛け始めたのは小学生の頃で、ある日急に視力が落ちた。 今思えばそうゆう体質だったのだろう。おかげでサッカーなど本気で出来ないスポーツもあった。高校生になるとコンタクトレンズが世の中に出始めたけれど、手入れがおろそかだったこともあり、目に深い傷が出来てコンタクトレンズは使用不可となってしまった。そこからは、また、メガネの生活である。もう40年が経つ。  老眼は10数年前に陥り、近くを見るメガネと遠くを見るメガネを使い分けることとなっ

          哀愁のメガネフレーム

          蚊のいない夏の雑感

           今年の夏は蚊と遭遇した記憶がない。  暑くてたまらない夏だったし、蚊も動き回るには暑すぎたのだろう。 テレビからは「とりあえずポップなビートで逃げ出したい・・」とハマいくコンビが歌う「ビートDEトーヒ」が流れてきて、まさにとりあえず暑さから逃げ出したいという気分の夏だった。  蚊は気温が二十五度から三十度くらいに活発な活動をするらしいが、今年は夜中も三十度を超えていたためか、朝夕のみならず夜中も蚊と遭遇しなかった。蚊は昼間には葉陰にじっと身を潜めていて、涼しくなる夕方や朝

          蚊のいない夏の雑感