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『英雄の証明』

粗筋

 服役囚ラヒムは、休暇で一時保釈をされた。元妻の兄バーラムへの借金で首が回らぬ彼に、椿事が舞い込む。内縁の妻ファルコンデが、金貨入りのバッグを拾ったのだ。
 一時は返済に充てようとするも、思い直し持ち主を探す。「正直者の囚人」とメディアに褒め称えられ、遂にはチャリティ団体の職を推挙されるまでに。だが見栄のために付いた小さな嘘が、自身の名声を壊していく。


 一言で喩える…のは難しいな。「コーエン監督作品のリアリズム版」って感じか。小さなハプニングがどんどん転がって、予測不能な事態にまで発展する。脚本と人物描写が非常に秀逸な一作でした。
 3幕構成で粗筋を追いつつ、各パートの見所を解説していきます。

第一幕:善因善果

 序盤は、ストレートな「正直な貧乏人が報われる話」のように見えます。貧乏なのに金貨を着服せず、名乗り出たラドミラ婦人にきちんと返した。それをメディアが取り上げ、善行が称えられ仕事にもあり付けることになった。返済の充てが生まれ、ファルコンデの家族と結納も済ませ…と全てが好転していく。
 しかし、この時点で既に伏線が張られています。何気ない風景に見えて、彼の欠陥や後の展開を暗示する出来事が、びっちり敷き詰められているのです。

・借金の原因は共同経営者に持ち逃げされたため→人を疑わない
・インタビュー映像→見栄のために話を盛る癖
・刑務所職員に「内縁の妻が居て…」と漏らす→後先考えない性格&この情報が最悪の伝わり方をする
・バーラムの弁明→その娘ナザニンが暗躍していく背景を提示

美談に見えて、後から思い返せば「辿る末路も仕方ないか…」と納得させられる。見事な構成力です。

第二幕:転落

ダメ男ぶりの露呈

 良いこと続きに思えたラヒムの人生に、早くも暗雲が忍び寄った。バーラムは「全部アイツのでっち上げだ」と言い張り、彼への態度を変えない。それを後押しする形で、厄介事が持ち上がった。ラドミラ婦人が、雲隠れしたのだ。
 募金受け取り&審議会の奉職には、ラドミラ婦人の署名が必要。だが行方は杳として知れない。ラヒムに連絡を取る際は毎度電話を借りて掛けてきたため、何処の誰かも分からない。
 更に悪いことに、ラヒムは「ラドミラ婦人との電話は刑務所でする癖に」「金貨の受け渡しは第三者を交えず家族に行わせた」。故に「売名の手筈を整えて」「嘘を付いた」のではないか…と疑問視する声が高まってしまうのです。
 大金の受け渡しなのに裏を取らない、身分証明や口座入金の記録を取らない、見栄や嘘が齎す結果を予測しない…。場当たり的な行動は、悉く彼の首を絞めていきます。

『英雄の証明』盗作疑惑と、虚実の扱い

 少し脱線になりますが、アスガ―・ファルハディ監督には今作で盗作疑惑が持ち上がっています。元教え子が「正直者の善人というプロットは盗作だ」と訴えたのです。(彼女曰く)オリジナルの”All winners, All losers"はyoutube上で観られるのですが、題材へのアプローチは大きく違います。

このドキュメンタリーでは、正直な囚人は限りなく黒に近い人物として描かれます。記録は一切残さない、いざ返還相手を探しにいくとなると拒否、証言通りに目指した地にはそんな相手は居ない…。挙句の果てには別の金銭トラブルで、再収監される始末。ラストで農夫が語る台詞が、撮り手の真意を反映しています。

 学士さまのアンタと違ってワシは田吾作だがね、これだけは分かる。全部嘘っぱちさ。

41:40地点

 一方の『英雄の証明』では、ラヒムは根本の部分では嘘を付いていない。過去作の多くが「秘密や謎を抱えたままでストーリーが進む」のを思えば、対照的なアプローチを取っているのです。

家族内誘拐でぐっちゃぐちゃになるヤツ

金貨を拾ったのは事実なのに、世間は彼のイメージを巡る議論に移っていく。お粗末な立ち回りは勿論良くない、けれどSNSが/チャリティ審議会が/刑務所が、名声にたかり悪評に唾吐きかける構造になってしまっている。その醜悪さが、彼を追い詰めていく。

第三幕:破滅

 ラドミラ婦人を見つけられなかったラヒムは、暴挙に出てしまう。審議会の人事部には、ファルコンデを替え玉として送り込み何とか就職しようとする。しかし物証がなく追い返され、自棄になりバーラムに突っかかりに行く。更にそれがナザニンの逆鱗に触れ、防犯ビデオ映像やメール履歴が審議会にリークされる。審議会の職どころか彼目当てで集まった募金すら、別の用途に充当されていく…。

 第一幕が一つづつ好転する展開なら、第三幕は一つづつ暗転する展開になっている。しかもそれが、身から出た錆尽くしなのが不憫にも宿命的。
 彼にはほどほどの不幸で諦める選択肢もあったんですよ。結婚を諦める→仕事は諦める→募金さえ諦めるが対面だけは保つ(≒いつか就職できる余地を残す)…とその都度1ランク下げた着地点が。
 しかし彼は「金貨は本当に拾ったんだ」に執着する余り、妥協点を見失ってしまった。修正力の無さゆえに、彼は奈落へと堕ちる。

 ラストが非常に象徴的です。ラヒムの代わりに募金を受け、別の囚人が釈放される。彼とその妻は画面右手、光射す方向へ向かう。一方のラヒムは、画面左手の暗がりへと進む。
 囚人夫妻はバスに乗ってその場を去るが、バスはこの映画のファーストショットで既に出ていた。あの時はあと一歩乗り遅れる形だったが、今度はハッキリと背を向けて、闇に閉ざされた通路へと歩みだす。
 なんとまあ、残酷なラストショット。

善悪の描き方

「悪人」父娘

 この映画、善悪が両義的に描かれます。例えば、ラヒムの債権者たるバーラムについて。バーラムは一貫して、ラヒムに辛く当たります。金貸しや金持ちは、兎角悪人にされがちなもの。しかし彼が強欲だったり、性格が拗けて居るワケではない。
 審議会メンバーが「募金も集まったことだし、この際許してはどうかね」と訊ねるシーンで、彼はこう返します。

 あいつが高利貸しに借りたせいで、義兄の俺が利息を肩代わりさせられた。妻の指輪を売り、娘の持参金まで費やしたんだぞ?

彼がラヒムを憎悪するのは当然であり、ナザニンが第三幕で採る行動も察して余りあります。自分の未来を奪い、叔母と別れた上、今度は別の女と幸せになろうとしていたのですから。

善意の押し付け

 また逆に、正義の醜悪さが垣間見えるシーンも2点あります。
 一つは前述の、審議会がバーラムに問い詰めるシーン。バーラム側の事情は元より、審議会の主張が無茶ぶりです。「こんなに寄付が集まったのだから」「囚人も寄付するぐらいだから」手打ちにしろと詰め寄る。集まった寄付金は、借金総額の1/3に過ぎないのに。
 もう一点は、ラヒムとファルコンデが替え玉で人事に詰め寄るシーン。観客視点では、「金貨を拾ったこと」が事実なのは分かっている。しかし同時に、彼らが目の前の男を何とか騙そうと悪意で動いているのも分かってしまう。その挙句に泣き落としや悪罵、終いには「恥を知れ」と捨て台詞を吐いて立ち去る姿に、戸惑いと嫌悪を抱いてしまう。


 斯様にして、人の見え方なんてものは少し事情を知るだけでガラリと変わってしまう。断片が切り取られ、異形化したイメージが独り歩きをするのがSNS時代となった現代社会と言えましょう。
 そのテーマを、SNSやネット描写を一切排して重厚な人間ドラマとして提示出来るのが、流石ファルハディ監督。

 あれだね!古くは2chやヤフコメ、最近はLineやtwitterのポップアップ画面見せて「これだからネット民は」「炎上に集る愉快犯ども」みたいな描写をする、フジテレビ系邦画には見習って欲しいところだね!!!


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