大人じゃなくて、大きな人にボクはなりたい
土曜日の朝6時
いったい何年ぶりだろう。起き上がれないくらいこんなにも体が重くてだるいのは。まるで重力が5Gになったみたいだ。
昨日の友人の言葉が否応なく蘇ってくる。
「このまま今の会社にいても一生浮かばれませんよ」
「今までは普通の愚痴として聞いていたけど、さすがにここまでとは思ってなかったです」
「これじゃほとんど奴隷ですよ」
「僕ならとっくに潰れてたと思います」
「あなたの頑張りや努力は、モラハラ旦那に健気に尽くす主婦みたいなものですよ」
「依存がある。健全じゃない」
「今すぐ転職することを強くお勧めします」
それに対して僕が
「けど、仕事はやりがいがあってとても楽しいし、何よりこの会社が好きなんだよね」
って反論すると
「それがまさに相手の思う壺なんですよ。このままいいようにこき使われて、使えなくなったらポイ捨てされるのがオチです」
「いいか悪いかとかじゃなく、そういう人たちが今の会社を、今の日本を支えているんですよ」
まあ、どれも薄々気づいていたことではあるけれど、信頼している友人(彼はちゃんと出世していて、僕よりはるかに会社の実態を把握している)から冷静にこれだけきっぱりと言われてしまうと、さすがにキツかった。
そして、
「まるで死刑宣告だな」
と小さく呟きながら、自分の顔が青ざめるくらいショックを受けているということは、すなわち
たとえ会社から評価されなくても、毎日、自分ができることを精一杯やって仕事に関わる人たちから感謝されたら、それでいい。それだけでいい。
という僕の決意も、単なる強がりに過ぎなかった、ということなのだろう。
うん、本当はとても辛かったんだな。
間違いなく僕は私利私欲のためじゃなく、会社のため、何よりお客様のために本当にたゆまぬ努力を続けてきた。
そして、その努力は見事に身を結び、僕はある仕事において大学や企業から外部講師を任せられるくらいのエキスパートになった。
残念ながら、その事実を知っている人は会社にはほとんどいないけど、僕の話を聞いて、
「そのスキルもさることながら、こんなにも会社を愛していて、お客様のことを考えている姿にとても感動しました」
なんて言ってくれた人たちもたくさんできた。
そして、詳しいことは言えないけれど、その新しいスキルを駆使して、実際に会社でも具体的な実績をたくさん残してきたし、これからだってもっともっと大きな貢献ができる自信もある。
けれど、まるで
「会社にとってはそんなものは全く意味はない」
「そんな余計なことをしなくても今までどおり言われたことをやっていればそれでいいのだ」
と言わんばかりに、どれもこれも全く評価の対象にならなかった。いや、労いの言葉ひとつかけられなかった。
最近はそれがもはや当たり前になってきて何も感じなくなってきたのだけど、本当は
とてもとてもとてもとてもとてもとても
そして
ずっとずっとずっとずっとずっとずっと
悲しかったんだな。
友人の言葉はショックだったけど(けど、こーゆー耳の痛い話をちゃんと言ってくれる彼のことは大好きだ)、彼のおかげで
そんなふうに
ずっとひとりぼっちで泣いていた自分
をようやく見つけることができた。
だから、今、全力でそんな彼というか僕をハグしているところである。
すると、なんということでしょう。
さっきまでの自分が嘘みたいに
心があったかくなってきた。
硬直した身体がほぐれてきた。
そして、全身にどんどんエネルギーがみなぎってくるのを感じる。
ああ、まるで春みたいだ。
そんな僕はきっとまだ大丈夫だ。
今後の進路は未定だ。
でも、少なくとも今日やることは決まっている。
またいつもどおり息子と卓球をやったり、彼ととことん遊ぶんだ。
昨日の憔悴しきって帰ってきた僕のことを彼は間違いなく心配しているはずだから。
ここまで読んだ読者の皆様は、お気づきのとおり、
僕はちっとも大人じゃない。
でも、それで全然いいと思っている。
だって、僕がなりたいのは
大人じゃなくて、
大きな人
なのだから。
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