みんなたまにフツーじゃなくなるくらいが丁度いいんじゃない?
今朝、いつものように満員電車から雪崩のような勢いで他の乗客たちと一緒にホームに押し出されて、そこから今度は黒く滞留した人ごみの中を牛歩のように改札へ上がる階段を目指していたちょうどそのときだった。
階段の反対側にある柱の陰で、ハンカチで口を抑えてしゃがみ込んでいる20代くらいの女性を見かけたのは。
白いジャケット姿の彼女の隣には、制服を着た駅員さんが同じようにしゃがみ込んで彼女の様子を心配そうに見守っていた。
まぁ、こんな鮨詰め状態の電車に閉じ込められていたら、そりゃあ気持ちが悪くなって吐き気も催すだろうなぁと頷きながら、もう一度彼女の方に目をやると、そのハンカチは実は口元ではなくて、彼女の目元に当てられていたのに気がついた。
そうなのだ。
彼女は決して気持ちが悪かったわけではなくて、ただ号泣していただけだった。
しかし、朝のラッシュ時の駅のホームで突然、泣き出すなんて、まぁフツーじゃないよね。
一方で、そんな彼女のことなど我関せずで、まるでベルトコンベアのようにどんどんと階段の上の方へと吸い込まれていく黒山の人々こそ、確かに典型的なフツーの日本人なんだろう。
でも、陽の当たらない陰鬱な階段を無表情で昇っていく彼らフツーの人々と、そこから一人だけ離脱して、朝の陽光を一身に浴びながらキラキラと光る涙を流し続けるフツーじゃない彼女の姿を見比べたときに、不意に
「何もフツーだからいいってわけじゃないし、フツーじゃないからダメってわけでもないんだな。」
なんて感想が僕の頭をかすめたのだった。
確かに、どんな事情かは知らないけれど、こんな朝のラッシュ時のホーム上で人目も憚らずに感極まって泣きじゃくることができる彼女は、きっと永遠に忘れられないとても素敵な体験をしたんだろうなって少なくとも僕は思ったからね。
一方で、あんなにも辛そうに泣いている女性の存在にすら気づけなくなってしまったフツーの人達っていったい何なんだろう?
とも、どうしても思ってしまったけれど。
でも別にここで僕はフツーの人たちを批判したいわけじゃない。
そもそも僕自身、毎日、平気な顔をしながらこの奴隷船顔負けな満員電車に揺られているフツーの人間なわけだから。
そして、僕らがそんなフツーの毎日を円滑にやり過ごすうえで、やはりいちばんやっかいなのが自らの感情って奴なんだろう。
だから、僕らは無意識に
こんなのぜんぜんへっちゃらだよ
って強がってヤセ我慢をしたりするのだろう。
でも、そのヤセ我慢の中には実はしっかりと向き合って受け止めて上げないといけない感情もきっと含まれていて、だから、それをそのままないがしろにして放置してしまうと、それこそ最悪、相手の気持ちを想像できずに容易に踏みにじってしまえるパワハラ上司とかモラハラ夫みたいな人になっちゃうのかもしれない。
だから、本当は僕らも今朝の彼女を見習って、たまには人目など気にせずに街中で思いっきり泣いたり笑ったりしたっていいんじゃないだろうか。
どうせ、フツーの人達は彼女の時と同じようにちゃんと見て見ぬふりをしてくれるのだから。
そう、大変そうには見えなくても実際みんないろいろと大変なこんな世の中では、そんな風に
フツー時々フツーじゃない
くらいの感覚でやっていくのが、案外いちばん正解に近いような気がする。
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