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#27 福田平八郎展にて己が記憶のいい加減さに震撼する

2024年4月7日、久しぶりに大阪へ出掛けた。

京都に住んでいると、大抵のことが京都で事足りてしまい、京都から出てどこかへ行くのが億劫になってしまう。

それでも海が見たくなれば福井や兵庫に行くことはあるし、湖に癒しを求め滋賀に行くこともある。不意に史跡に触れたくなって奈良に行くことだってある。
しかし、大阪に行くのは本当に稀だ。
大阪でも泉州地方に野菜を買いに行くことはあるが、所謂、大阪都市圏に出向くのは極端に少ない。
私の生活が都会を必要としていないのだ。
物に執着がないし、人混みも苦手。其の癖、雑然とした「ミナミ」を歩きたいと思うこともあるが、結局は出不精がもたげて仕舞う。

その一方でどうしても大阪へ踏み入らないといけない時がある。
京都では開催されない展覧会やイベントが大阪で開かれる時で、今回の大阪中之島美術館で開催中の『没後50年 福田平八郎』がそれに当たる。

ちなみに前回大阪へ行ったのも、同じく大阪中之島美術館で開催された『ロートレックとミュシャ パリ時代の10年』を鑑賞するためだった。
丁度2022年のクリスマスシーズンで、帰りにイルミネーションに彩られた御堂筋を歩いた。雨が降っていたので路面にLEDの光が反射して、とても綺麗だった。

2022年12月の御堂筋の様子
全長4キロを歩きながら
イルミネーションを楽しみました

そんなこんなで、久方ぶりに出町柳から京阪電車に乗って中之島目指す。
車窓をボーッと眺めていると、昨日花見をした伏見港公園(#26 伏見港公園で観桜)※1を通ることに気がつき、嬉しくなってiPhoneを構える。

昨日の花見の時に撮った
ミャクミャクラッピング車両
(#26と同じ写真)
ワイは昨日あの桜の下で
お花見をしてお弁当を食べて
ミャクミャクラッピング車両を
撮ったんですわ

昨日と今日の視点の違いから写真を撮ることができて大満足。
我ながら精神年齢がめっちゃ子供だと思う。
これでもアラフィフなんだぜ。

さて、昼過ぎに中之島に到着した我々は14時からの講演会まで少し時間があるから、近くのgraf studioで食事。モダンで機能性がありそうな家具を尻目に美味しいランチをいただきました。

サラダに
フライドチキンに
レモンスカッシュ

腹ごしらえを済ますと入場券を持つ者だけが許される、講演会『「写生狂」福田平八郎の画業』を聴講。

1時間半の講演会
いい感じに埋まってきました

こういった美術館主催の講演会に行くとキチンと開場時間に現れ開演まで起きて待っているのに、いざ講演が始まるとすぐに睡魔に負けてほとんど寝て過ごされる老婦人が必ず数名いらっしゃいます。
ご婦人達は、みな判を押したかのように、たまに目を覚ますと「今までちゃんと聞いていました、その話大変興味深いですぅ〜」とばかりに「ほぉほぉ」と深く何度か頷いた後、またすぐに眠りに落ちてしまいます。
大抵がリュックを背負い、サイドポケットに水筒、手にはメモ帳とペンが握られています。準備万端で微笑ましいけど、一体何しに来てるんだろう。

私は、というと眠ることなく、『漣』が釣りを覚えた福田平八郎さんが、琵琶湖の湖北での釣りの最中に着想を得た話に感銘を受け、次回琵琶湖に行った折にはゆっくりと湖面を眺めようなどと柄にもないことを思いながら深く頷いていました。

それでは、撮影可だったものをいくつか紹介いたします。

『漣』1932年
『漣』別角度
『水』1958年
『氷』1955年
『新雪』1948年
『桃』1956年
『雲』1950年

最後の『雲』ですが、先ほどの講演会によると福田平八郎さん本人があまり気に入らなかったらしく、発表後、蔵の奥に隠してしまったそうで、後年蔵から見つけ出された『雲』はかなり傷みがあったが修復され、何度も息子さんにお願いして展示に漕ぎつけたという経緯があったらしい。所蔵される大分県立美術館以外では初公開という貴重な展示でした。

それにしても自分が気に入っていない作品を後世の誰かに見られるのってどんな気分だろう。
片思いの彼女に書いた渾身のラブレターを皆に回し読みされているような感じなのかな。
出来の差はともあれ、そう思うと『雲』に対峙しながらなんとも居た堪れない気持ちになるのでした。

***

最後に正直に告白しなければいけないことがあります。

#24にて、2004年に西宮市大谷記念美術館で開催の『没後30年 福田平八郎展』で『漣』と『雨』の本画を見たかのようなことを書いていました※2が、今回の記事を書くにあたり当時の図録を見返していたところ、展示されていたのは『漣』と『雨』の下絵だったことが判明しました。

しかし、時が過ぎ、こうして再訪してみると、前回の福田平八郎展で観た『雨』や『漣』の感動がついこの間の出来事のように感じ、20年の経過が嘘みたい。

「#24 村上春樹さんがかつて猫を棄てた御前浜公園(香櫨園浜)でチェアリング、そして須田国太郎展を見て父と子を思う」から

20年前に下絵しか見たことがない絵画について、まるで大谷記念美術館に再訪したことで当時の感動がありありと蘇ってきたかのような描写をしていました。お恥ずかしい。

ポジティブに考えれば、素描や下絵でも本画を目にしたようなインパクトがあった、それだけ福田平八郎さんの画力に当時の私はしてやられたのだ、と思いたい。
そして別の展覧会で観た本画の感動を大谷記念美術館で鑑賞したことに記憶をすげ替えたんだ、と思いたい。

いやマジで、せめて本画は別の展覧会で見ていてくれ!昔の俺。
……本当に色々なことに自信がなくなりました。


※関連記事1
前日に伏見港公園でお花見をした話はこちらから読んでいただけると幸いです。

※関連記事2
ただただ恥ずかしい、記憶違いの思い出を語っている記事はこちらから読んでいただけると幸いです。

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