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#30 あの彼にもう一度会いたい

2024年5月5日。
この日も連れ合いを誘い、いつものように鴨川縁の木陰で読書チェアリングをした。
そのまま夕刻まで過ごすと、スーパーを2軒ハシゴしつつ、2時間くらいかけてゆっくり歩いて帰った。
我々の両手はスーパーで買った食料品と荷物で塞がっていた。

帰宅すると真っ先に、買ってきた食料品を冷蔵庫に詰め込もうと台所に向かった。
その時、一緒に帰宅した連れ合いが「ぎゃっ!」と小さく悲鳴をあげた。

「……!!」

悲鳴をあげたきり固まり、続く言葉が出てこない。

「どうしたん?」

どうせ虫かなんかだろう。
そう高を括っていた私にとって、彼女が発した言葉は想像外のものだった。

「……ヘビが」

「ヘビ?」

「トートバッグからヘビが出てきた!」

床にトートバッグを下ろした途端、中からヘビが顔を出したという。

行方を見失うものならえらいことになる。
連れ合いはヘビの不意の襲来に立ちすくんでしまったものの、視線だけはしっかりヘビの姿を追っていた。

「ゴミ箱の裏に隠れた!」

勢い良く飛び出したヘビは、1メートルほど床を這うと台所のゴミ箱の影に身を隠した。

「大きさは?」

「そんなに大きくない。20㎝くらい。子供のヘビだと思う」

「子供のヘビ」と聞いて少し安心した。
何せ当方、虫も大の苦手だが爬虫類だって同様に苦手である。
子供時代からトカゲなどを触ると鳥肌が立ち、下腹部がゾワゾワした。
冷蔵庫の下などに潜られては大変だ。早く捕獲しなければ。
玄関先に置いてあるキャンプで使う薪鋏を持ってきた。
こいつで挟んでビニールに入れて逃せばいい。
ごちゃついたリビングの方に逃げられたら収拾がつかなくなる。そんなことにならないように、工作用のベニヤ板を引っ張り出してバリケードを作り、ヘビを包囲した。

「わたしがゴミ箱を持ち上げるから」

「オッケー」

ゆっくりとゴミ箱を持ち上げてもらいながら、恐る恐るゴミ箱の下と底面を確認した。

「あれ?」

しかし、そこにヘビの姿はなかった。

「なんでだろう。じゃあこっちは?」

隣のペットボトル専用のゴミ箱の方も持ち上げて確認したが、そこにもヘビの姿はなかった。

「うそだ……、ずっと見てたよな」

2人して一時たりともゴミ箱から視線を外していない。だが手品のように忽然とヘビの姿は見当たらない。
とはいえ、物理的にヘビが消えるなんてありえない。どこかにタネがあるはず……。

うちのゴミ箱はキャスターが付いた移動式のもので、余計な突起物や溝などはなく、つるっとしたシンプルな箱型だ。
考えられるとしたら、このキャスター部分が怪しい。
注意深く車輪部分を回転させてみた。
するとキャスターの車輪の内側にロープのようなものが挟まっているのが見えた。

「間違いない、コイツだ」

ヘビは我々の追跡から逃れようと必死に狭いキャスターの窪みに身を隠していたのだった。

薪挟みを割り箸に持ち替えて、ヘビを引っ張り出そうとした。しかしヘビは身を固く収縮させ、窪みのさらに奥に閉じこまってしまった。
まいった、全く引っ張り出せる気配がない。

しかしこの状況は我々としても好都合だった。
ゴミ箱ごと玄関の外に持っていけるので、彼を家から追い出すのが容易になった。
私はゴミ箱を抱えて玄関を出た。
これにて家からヘビを追い出すという第一ミッションは完遂した。
次のミッションはキャスターから一向に出ようとしないヘビを追い出し、ゴミ箱を無事救出することだ。(?)

マンションの非常階段口にゴミ箱を置いて、暫くキャスターの車輪回したり割り箸で突いたりしていたが、彼は頑なに出ようとしなかった。
時より身を捩るようにしてこちらに顔をのぞかせ、舌を出して私を威嚇した。

「出ておいで〜」
「怖くないよ〜」

なるべく優しい声色で語りかけもしたが勿論無駄だった。

やれやれ、どうしたものか。

5分ほど見守っていたが、事態は何も変わらない。不意に尿意を催したので、「ちっと待っててね、トイレに行ってくるね〜」そう声をかけるとゴミ箱を置いたまま、一旦自宅のトイレに駆け込んだ。
3分ほどして戻ると、案の定ゴミ箱のキャスターにヘビの姿はなかった。

こうして第二ミッションも完遂でき、ほっとしたにと同時に、今度は話しかけるくらいに一方的に打ち解けはじめていた彼のこれからの身を案じた。

彼にしてみたら楽しく鴨川の河原を這っていたら見慣れない洞穴(トートバッグ)を見つけ、好奇心で入ってみたら、2時間も揺られ今までと全く違う環境に連れて来られたのだ。
もしかしたら近くに家族がいたのかもしれない。そう考えるとものすごく申し訳ないことしたと思った。
変なオッサンがいると後ろ指を差されてでもこの大きなゴミ箱を抱えて、もう一度河原まで戻ってやればよかった。
それなのに私は彼を家から追い出すことしか考えられなかったのだ。

数日が経ち、毎日彼の事を考えている。無事この鉄筋コンクリートの迷宮から地面にたどり着けただろうか。新しい住処見つけられただろうか。
思いやりに欠けることをしてしまい、自分が酷い人間に思えて、自責の念に駆られる。

ところで、ヘビを見たら金運が上昇で縁起が良いって話ありますよね。
近いうち宝くじでも買ってみるとするか。

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