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「ハマりたくない」と「ハマりたい」の違い。「ハマりたい」と「ハマる」の違い。

うちの母親が、「ハマりたくないのに〜」と言いながら、某韓国ドラマを観続けている。
生活に支障が出るから、本当にハマりたくないらしい。
なら、観なければいいのに、とは決して言えない。
ハマりたくないのにハマっていく感じは、わかりすぎるほどわかるから。

先日、親しい仲間たちと一緒に食事をしたとき、1人がこう言った。
「なにかにハマりたい」
ハマっているものがないわけではないけれど、「もうこれ以上、ハマりたくないのに〜」というほど、ハマれるものがほしいらしい。
この気持ちも、痛いほどわかる。

「ハマる」という気持ちは、不思議だ。
気持ちというより、現象か。
自分ではコントロール不可能な、心の現象。

ハマる、もそうだけれど、「〜たくない」「〜たい」という気持ちもなかなかに厄介だ。
「したくない」は必ずしも「したくない」ではない。
「ママなんか嫌いだ!」が必ずしも「嫌いだ」ではないのと同じように、「ハマりたくない」は「ハマりたくない」といいながら、完全にハマっていることを示している。
これ、なんなんだろう。
うちの母親は本当に「ハマりたくない」のだろうか。
ただ「ハマる」のが、怖いだけじゃないだろうか。
ハマって自分を見失うのが(見失っているわけではないのだけれど)怖いだけじゃないだろうか。

「〜たくない」の比べて、「〜たい」はどうだろう。
「ハマりたい」「世界旅行に行きたい」「転職したい」は、ハマっていない状態、世界旅行に行っていない状態、転職できていない状態だから、口に出る言葉だ。
「ハマりたい」は、「ハマっていない」であって、「ハマった」ではない。
「〜たい」は、必ずしも「〜した」とはならないのだ。

ちなみに、作家の中谷彰宏さんの言葉によれば、
「やりたい」と言っている人、思っている人が10000人いたら、実際に「やる」人は100人で、「やり続ける」人は1人、だそうだ。
「〜たい」人に対して、実行する人が1%、実行し続ける人が0.01%……。
つまり、「〜たい」だけでは、あまり意味がないのだ。

もちろん、やりたいと思っていて、なかなかやれないという場合、そこまで「やりたい」ではないのかもしれない。
「ハマりたい」のに、ハマるものに出会えていないのは、タイミングもあるだろう。
ハマるときは、どうもがこうが、ハマるだろうし、
やるときは、なにがなんでもやるだろう。
「行きたい」ではなく、「行く」と決めれば、誰がなんと言おうと行ってしまうのだろう。

「ハマりたい」と「ハマる」の違いは、
「やりたい」と「やる」の違いに似ているのかも知れない。
そんなことを思いながら、母親が某韓国ドラマにハマって観続けているのを見守っている。

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