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「知らない」武器。不適切にもほどがあるってよ。

黒柳徹子はすごいという話をしていた。
「なぜボールを打った選手は皆同じ方向に走るのか?」と、伝説の長嶋茂雄監督相手に質問してしまうような、極め付きの野球オンチでありながら、幾人もの大物野球選手とトークを繰り広げてきたのだ。
あまりにルールを知らないものだから、野球好きにはもどかしい部分もあるかもしれない。
が、だからこそ、プロが誰にでもわかるような言葉で、野球の魅力を語ってくれる。野球に限らず、彼女が知らないことは意外に多く、ひやひやもするが、あまりに素直に訊くものだから、案外おもしろい話へと発展したりする。
なんだかんだと、彼女の「知らない」が相手の魅力や人柄を引き出してしまっているのだから、やはりすごいのだと思う。

話は変わって。
先日、従弟が某大手企業のおえらいさんになっていたことを知った。
そんなこと知らなかった私は、「なまはげを本気で怖がって、泣きながら道に寝転がった」幼い日の彼のまま接していた。
オタク仲間でも、「あなた医者だったの!」とか「そんな大きなお子さんがいたの!」とか、あとから知って驚くことがあるけれど、細かい情報を知らずに接しているほうが、遠慮なく話せるもののようだ。

もちろん、あとからそんなすごい人だったか!と思って、あとずさりするこもないわけではない。
けれど、従弟は相変わらず、なまはげに泣いた怖がりの彼なんだよなぁ。
「知っている」と「知らない」のバランスって、あるよなぁ。

再び話は変わって。
友だちが面白い面白いというので、Netflixで『不適切にもほどがある!』を観始めた(TBS系・金曜22時ドラマ)。
宮藤官九郎が脚本を手掛ける“意識低い系タイムスリップコメディ”だ。
これが、おそろしく面白い。そして、深い。まさかの、泣ける。

主人公は、1986年(つまりバリバリの昭和)から2024年の現代(令和!Z世代!)へタイムスリップしてしまった昭和の典型的ダメおやじ、小川一郎(演じるは阿部サダヲ)。
バスのなかでタバコを吸い始めるは、若者相手にすぐに説教たれるわ、学校では体罰当然だわ(彼は中学教師)、現代なら即アウトな言動の連続。
昭和の常識で突っ走る彼は、「それパワハラ」「それセクハラ」と、令和にまみれた現代人たちから突っ込まれるのだけれど、「なに、そのハラ?」状態で、令和を「知らない」ゆえに、令和の人たちを揺り動かしていくのだ。

観ながら思ったのは、花粉症のことだ。
私がはるか昔に付き合っていた人は、やたらとくしゃみをする人だった。
はじめは風邪かと思ったけれど、常にくしゃみが止まらない。
そのうち鼻がとれちゃうんじゃないかと思うレベルで、映画を観ているときや食事をしているとき、ちょっとしたストレスだった。そして、このくしゃみを止める方法がないものかと、一時期本気で考えていたほどだ。
いま思えば、あれは花粉症だったのだろう。
当時はそんな言葉もなく、気遣えなかったことを申し訳なく思っている。

花粉症のように、昔もあったのだけれど、当時は言葉がついていなかった、そんなものが結構あるように思う。
セクハラもパワハラも、そうだろう。
名付けられたことで、スポットがあたり、良くも悪くも、気を配るようになった。

花粉症は、判明して、名付けられて、よかったことのひとつだ。
一方で、◯◯世代とか、◯◯時代とか、名付けられたことで、ちょっと息苦しいこともある。
なんでもかんでも、パワハラ言われたら、言いたいことも言えなくなるよなぁと、思わないわけでもない。

そんなとき、このドラマは、実に痛快だった。
「時代に合わせなくちゃダメかね」
「ひとりで抱え込んじゃダメかね」
昭和おじさん、一郎の無知ゆえの言葉がやたらと刺さるのだ。

いや、ダメなわけじゃないよね。ひとりでやりたいときもあるよね。

黒柳徹子じゃないけれど、「知らない」から遠慮がないって武器だなと思う。
「知らない」強さ、「知らなくてもいい」強さ、そんなことを考えながら、このドラマを観ている。
オススメ!

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