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運動会のパパと、脳内イメージ。

 高校時代サッカー部だった友人が、10数年ぶりに昔の仲間とフットサルをやったという。スマートにパスを受けとり、軽やかにドリブルでボールを運び、華麗にゴールを決める。脳内には、高校時代のプレイが鮮やかによみがえり、事前のイメージトレーニングは完璧だった。

 が、脳内プレイと実際のプレイは違うものだ。彼の足は思うように動かず、絡みまくった。頭の中では走れているはずなのに、体がついていかず、非常に見事にすっ転んで、足を捻って捻挫するという悲しい結果となった。

 外国語もそうだ。ドラマで見ているから、韓国語がある程度は聞き取れる。聞き取れるから、話せるような気になっているし、頭の中では話せている。が、実際、人前で韓国語を話そうとすると、まるで出てこない。「モシッソヨ(カッコいい)」と言いたいのに、なぜか口は「マシッソヨ(おいしい)」と言ってしまう、あれだあれ。脳内では、ちゃんと「モシッソヨ」なのに!

 インタビューやプレゼンのときもそうだ。出だしはこんな話をして、こんなことを聞いたら乗ってくるかな……などと何度もイメージして、脳内では相手との会話がスムーズに流れている。が、現実は甘くない。用意していた出だしの言葉とは違うことを言ってしまったり、聞こうと思っていたことをスコーンと忘れてしまったり、良くも悪くも思い通りになんて1ミリも進まない。
 準備せずに臨むよりはいいけれど、頭の中で「できている」ことが、実際に「できる」こととは限らないのだ。

 文章もそうだ。このネタ書けそうだな、と思ったとして。頭の中ではすらすらと書きたいことが浮かんでくるのだけど、パソコンなり、ノートなりを開き、いざ書こうとなると、あれ、書けないぞ、となることは少なくない。

 とにかく、想像と行動は違うものらしい。子どもの運動会で久々に走ったパパたちが、バタバタと足を絡ませて転んでしまう現象がそれ、というわけだ。

 とはいえ、想像を行動に移してみて、「あれ、できない?」と知ることは、悪くない。もちろん、その場は恥ずかしかったり、落ち込んだりするのだけれど、やってみたあとは爽快で刺激的だ。こうなれば、しめたもの。やってみることの怖さも薄れていく。
 脳内会議もいいけれど、会議を終えたら、外に出てみよう!なのだ。

 ちなみに、今日は「K-POPダンスを踊る会」だ。NewJeansの「Super Shy」を踊りたくて、踊れるようになりたくて、始めたのだけれど、実際はNewJeansどころか、幼稚園の学芸会のダンスのレベルにも達していない。
元バスケ部ゆえ、脳内ではバリバリに踊れるイメージはあるのだが、運動会のパパ同様、まったくもって動かないのだ。

 自分ができない、ということを知るだけでない。彼女たちの凄さをあらためて知ることにもなった。彼女たちに限らず、世のダンスを踊る人たちが輝いて見える。自分が踊ってみて初めて、見え方が変わったのだ。

 そういう意味でも、脳内イメージと実際が違うことを体験することは、素敵なことなのだと思う。

 さて、踊ってきま〜す!


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