【連載小説】Monument 第七章#4
眞琴
凪いだ湖水を想わせる、漆黒の闇。
その水面を、謎の光は進み続ける。
光の点は瞬きつつ円形から楕円に、そしてまた丸い形へと脈動し、次第に大きくなっていく。
やがて、それははっきりとした楕円形を示すと、さらに細長く横に伸び、光の粒に分離した。
――モノレール?!
そう。闇夜を走るモノレール……。きっとこんな風に見えたことだろう。
でも、まさか。そんなはずはない。
車両はもう――遊園地の閉園に先立って――壊れてしまい、とっくに撤去されていたはずだ。
だったが、眼下に迫る光の列は、明らかにモノレールのそれだった。
ヘッドライトに、薄っすらと線路が浮かぶ。
車窓から煌々と、眩しい光を湛えながら。
モノレールは速度を落とし、右へ大きく遊園地の正門へ――朽ち果てて、かろうじて残された駅舎へと向かってカーブする。
ヘッドライトが丘に茂った木々を舐め、くっきりと駅舎を照らした。
その有様に、釘付けにされていたわたしたちの後ろで、カチリッ、と。
小気味のいい、音が鳴った。
一斉に振り向いたわたしたちの目の前で、永遠に一時五十九分を指していたはずの長針が真上を向く。
仕掛人形がせり上がり、踊り始めた。
手に手に、ハンドベルを携えて。
遊園地の丘に、楽の音が響き渡った。
呼応して、わたしたちを取り囲んだホタルたちが一斉に明滅を繰り返す。
強く。また、強く。
モノレールが、プラットホームに滑り込む。
丘は光に満ち溢れ、眩んだ視界が一瞬、真っ白になった。
光が退いた。
わたしたちは変わることなく遊園地にいる。
が、駅舎に、正門に、わたしたちの頭上に灯りは点り、花咲き乱れる大時計はライトアップされ、その隣で空中を三色のリフトが滑っていく。
吊られた提灯が、色とりどりに揺れていた。夜風に、吹かれて。
入口広場だろうか。
ストリート・オルガンが陽気な音楽を奏でている。
丘の端から、ネオンに輝く大観覧車の姿が見えた。
「なに。これ?」
「どうなってんの?」
啓太郎と、声が重なった。
行き交う人、また、人。
わたしの前には、左右の手を両親に預けた赤いスカートの女の子。
その隣で、腕を組み、ぴったりと身を寄せ合ったカップルが大階段を登っていく。
踊り場のベンチでは老夫婦が、ひととき脚を休めていた。
夜間開園――陽の長い夏場と、紅葉の季節に催されたと聞いたことがある――その雑踏の真っただ中に、わたしたちはいた。
泥だらけのジャージに、長靴のまま。
人々は、わたしたちに目をくれることもなく、遊園地での一夜を楽しんでいるように見える。
ただ一人、その人込みの中に、ぽつりと佇む女性を除いて。
涼し気な、やわらかい白のワンピース。
花時計の麓で、静かに微笑む優しい瞳。
長く伸ばした黒髪が、夜風をはらんで膨らんだ。
切れ長に整った両の眼と、その左の下の泣き黒子。
どこからか遠く、クチナシが薫った。
彼女が今、わたしたちの前に立っている。
夢に見る姿、そのままに。
馨
風に吹かれた提灯が、足元で影を揺らめかす。
呆然と立ち尽くす僕らほうへ、彼女はゆっくりと歩を進めた。
真っ直ぐに。
足取りも確かに。
誰一人、言葉を発しない。
発しようにも、声にならない声が、喉に詰まった。
彼女の歩みが、ひたりっと停まる。僕たちの前で。
つかの間、僕らと対峙した彼女の右手が、すっと僕の胸元に伸ばされた。
彼女の背後に、花時計の秒針が流れていく。
その意を察するまでもなく、僕はずっとポケットの中で握り締めていたものを取り出した。
一度も開けたことのないカプセルを捻り、二つに割る。
落としてしまわぬよう気を付けて、その中身を右手に受けた。
彼女の顎が、微かに傾ぐ。
僕は、空のカプセルをポケットに仕舞うと、そっとその指輪を摘まんで、彼女の手のひらに委ねた。
桜色をした手のひらの上で、そのちっぽけなプラスチックのおもちゃの指輪は、いささかの遜色も見せることなく、堂々と緑色の光を跳ねる。
彼女は、それを胸に抱くと、しばしの間、瞳を閉じた。
やわらかな笑みを浮かべた頬の下、いたずらっぽく口角が上がる。
俯き加減に広げられた、左の手指。
右手に摘まれた指輪は、彼女の左手の指先を順繰りに巡り、薬指の先で静止した。
ゆっくりと指輪が、降りていく。
それが彼女の薬指におさまると、森ノ宮が、いた。
ぼくらの目の前に。
ぼくらと過ごした十二歳の。
五年四組の、森ノ宮が。
いつの間にかぼくらも、小ざっぱりとした夏服に身を包んでいた。
十一歳の姿になって。
大階段を駆けあがる彼女と眞琴が手を繋いだ。もう一方の手を取ろうと、反対側へ回り込む麦。出遅れてぼくも三人を追いかける。
メリーゴーランドの回る入口広場の脇を抜け、ネオンの輝く大観覧車の下へと向かって。
四人揃って乗り込むと、ゴンドラは天高く、星空の中を舞い上がった。
「馨さん」
ぼくの隣で、彼女はぼくをそう呼んだ。
たぶん……。
そんな気が、した。
眞琴
遊び疲れたあたしたちは、バラ園のベンチに背を預けた。
盛りの過ぎたバラのアーチ。
その傍らには、植えられたばかりのクチナシが、白い花をいくつもつけて、やさしい香りを贈ってくれる。
あたしたちは、頭を寄せ合って、満天の星空を見上げた。
あたしと香澄はベンチの上で。
毬野と啓太郎は、芝生に座って。
流星は、長い尾を曳いて次々に飛び、星々は、あたしたちの頭上で巡った。
馨
プラットホームで指輪を外すと、森ノ宮はぼくに差し出した。
「持って行けよ」
森ノ宮は小さく、その頭を振った。
「一緒に来ない?」
眞琴の言葉にうなずくと、彼女は白線の後ろへ下がった。
発車のベルが鳴り響く。
ドアが、森ノ宮とぼくらを隔てた。
モノレールが、走り出す。
ぼくらは三人、車内を駆けた。
プラットホームの、森ノ宮を追って。
最後尾の窓ガラスに顔をくっつけ、遠ざかっていく彼女を見守る。
森ノ宮の姿が小さくかすんで、やがて光の粒になり、闇間に紛れてしまうまで。
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