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マッサージ屋さんの田舎娘

入社して4年?だったか、英語も中国語も満足に話せない。営業の人が付いたり商社の人が付いたり、大抵は通訳が居る。1990年代の中国はまだまだ発展途上国感満載で、街中に痰壺があって痰はカーッペッと吐いたり、鼻水は手鼻でチューンってかんだり。しかも若い女性とかもやってる。街中ゴミ屑だらけで埃っぽく異臭がする。異臭は下水が整備されて居ないからだ。上海みたいな大都市でさえ下水は無い。糞尿も垂れ流し川に注がれる。キタねー。ヤクザ上司は自分が行くのが嫌でわたしに押し付ける。仕事は設計会議と言って機械仕様を決める会議であった。約二週間で移動と休日込みで地方を廻る。多くて5社ほど、それほどその機械は売れていた。最初は浙江省紹興市。真っ暗の埃っぽい田舎。食べ物不味い。ウナギのブツ切りの煮物。川魚の香草煮。カエルの足の炒め物。腐った豆腐。吐きそう。唯一食べたのが空芯菜の炒め物と灰色のパサパサ蒸しご飯。朝から会社訪問してお昼にお酒が出て午後もミーティング。ヘロヘロ。真面目に仕事しなくてもこれは儀式みたいなもの。正直誰でも出来る。食べて飲んでホテルに帰る。元気ならマッサージ。当時の支那は売春など無く夜の娯楽はマッサージしかない。ニーホイジャンインウェマ?ブホイ。まったくコミニュケーション取れないけど触ってもいいシチュエーションなのだ。1時間マッサージ当時のレートで千円程度。楽しみはそれしかありませんでした。つづく…

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