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【Management Talk】「歴史や物語、そこに込められた思いを学ばなければならない」名門企業を再生させた経営者が語るブランドの意味

株式会社カッシーナ・イクスシー 森康洋

米国アカデミー賞公認短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」は、2018年に迎える創立20周年に向けて、新企画「Management Talk」を立ち上げました。映画祭代表の別所哲也が、様々な企業の経営者に、その経営理念やブランドについてお話を伺う対談です。
第8回のゲストは、株式会社カッシーナ・イクスシー 代表取締役社長 森康洋氏。就任前赤字体質だった同社をたった一年で黒字化させた敏腕経営者に、大学生活の思い出からアメリカでの経験、会社を立て直すために必要なことなどについて語っていただきました。


株式会社カッシーナ・イクスシー
300年以上の歴史を持つモダンファニチャーのリーディングブランド『カッシーナ』と、洗練されたモダンデザインをテーマとしてセレクトした海外の優れた製品や、オリジナル製品の開発も行っている『イクスシー』を取り扱い、洗練された、夢のある生活空間の提案を通して、一人ひとりにあったライフスタイルを提案している。 



根性でひたすら練習し続けたラグビー漬けの大学生活

別所:本日はよろしくお願いします。

森:おはようモーニング(笑)。いつもラジオ聴いていますよ。

別所:ありがとうございます(笑)。おかげさまで、J-WAVEの朝の番組は今年で11年目を迎えました。森社長と私は十歳離れていますが、実は、慶應大学の同窓生で、しかも同じ法学部法律学科というご縁があるんです。

森:同じですね。だけど、私の場合は、法学部法律学科ラグビー部(笑)。

別所:大学時代はラグビー漬けの毎日だったと伺っております。

森:ええ。高校時代もラグビー部だったんですけど、長崎県の普通の公立高校の部活と大学の体育会は全然違って、苦しかったですね。当時の慶應には、花園経験者や有名選手はいなかった。だから、早稲田に勝つためには練習しかない、という非常にわかりやすいロジックで。科学的なトレーニングもなく、根性でひたすら練習し続けた四年間でした。下宿も、一部屋に8人が詰め込まれるラグビー部の合宿所で、100人程の部員と共同生活を送っていました。上級生にはベッドがあるけど、一、二年生は床に布団を敷いて寝るという監獄のような場所(笑)。門限もあったし、もちろん、プライベートなんて一切なかった。

別所:森社長の強靭なメンタルはそこで培われた。

森:終わりのない練習に耐えてきたわけですから(笑)。当時は、学生だからよくわからなかったですけど、社会人になってから振り返ると、ラグビー部で色々と学んだなと感じることはあります。結局、人間は一人では生きられないから、みんなで協力しなければいけないとか、日々努力した人だけがきちんとした結果を出せるとか。そういう考えは知らぬ間に培われていたような気がします。

別所:そんななか、大学を無事に四年間で卒業されたわけですが、就職活動はいかがでしたか?

森:別所さんもご存知のように、慶應の体育会、とくに、ラグビー部は、OBが色々と面倒を見てくれるから就職が強いわけです。私も、金融や商社など、五社程から内定をもらいました。だけど、そういう会社に入ってしまうと当然ラグビー部の先輩がいる。だから、それは避けて(笑)、とりわけ洋服に興味があったわけではなかったのですが、アパレル業界に入ったんです。

別所:ラグビー関係者のいない新たな人間関係に飛び込んだわけですね。レナウンに入社されていかがでしたか?

森:同期が、男性5人、女性200人という比率で。それまでの4年間、男100人とラグビー部の合宿所で暮らしていたのに、社会に出たら、5:200(笑)。しかも、営業で百貨店に行けば、受付嬢やエレベーターガールもいて……世の中ってこんなに楽しいのかと思いましたね(笑)。

別所:それはすごいギャップ(笑)。最初に営業に配属され、その後、転機はどこにあったのでしょうか?


アメリカのアパレル業界は皆がプロフェッショナル

森:30歳の頃、とくに希望したわけではなかったのですが、マーチャンダイザー、つまり企画の仕事をすることになったんです。当時は、「Anne Klein」や「Donna Karan」「Calvin Klein」といったNYブランドが隆盛を誇っていた時代です。私は、1986年〜1992年の約7年間、「Norma Kamali」という婦人服のブランドを担当し、NY出張を繰り返しながら、デザイナーとの打ち合わせからコレクション作り、展示会の開催、百貨店のバイヤーへの営業までやった。その後、1992年にNY赴任を命じられ、現地法人の社長に就任しました。

別所:現地法人の社長に。そこが大きな転機だったわけですね。アメリカに赴任して、日本とはどんな違いを感じましたか?

森:一つは、アメリカでは皆がプロフェッショナルだということです。日本と違って向こうでは、たとえば、ショップ店員が出世してバイヤーになるというステップはありません。百貨店の店員として働いている人がバイヤーになろうとする場合には、ファッション工科大学(FIT)やパーソンズデザイン大学といった学校に入り、専門的な勉強をしなければならない。それで、卒業後にバイヤーの求人を探して応募し、職を得るわけです。だから、アメリカのアパレル業界には、私のように大学で法律を学んで、ラグビーをやってきた人間なんていない(笑)。日本ではそれが当たり前だけど、彼らは違うわけです。

別所:たしかにそうかもしれないですね。向こうには専門的な教育を受けたプロが多い。

:また、アメリカ人は意思決定するのが早い。日本の会社は会議ばかり多くて、何も決まらないという傾向があるでしょう。個人でリスクをとりたくないから、責任の所在を曖昧にするために集団で相談して物事を決めたり、誰も決めなかったり。だけど、向こうに行ったら、どんどん決断していかなければいけないわけです。辛いとは思わなかったですけど、厳しいなとは感じましたね。

別所:日本のスピードに合わせていたら置いていかれてしまいますよね。ところで、当時はアメリカのどちらに暮らしていたのですか?

:日本人が少ないコネチカット州に家を借りました。せっかく海外で暮らすのに日本人社会に入ってもしょうがないと思ったので、NY近郊は避けたんです。一時間ほど電車に乗ってオフィスまで通っていました。

別所:ここでも新しい人間関係を求めて。休日はどんな風に過ごされていたんですか?

:ラグビーですね。NY駐在のラグビー関係者でチームを作ってアメリカ人と試合したり、1992年に慶應義塾ニューヨーク学院ができたときには、無理やり押しかけてラグビー部を勝手に作りました(笑)。毎週末コーチした結果、8年目に、全米ハイスクールラグビーチャンピオンシップという花園のような大会で、東海岸の代表にまで勝ち上がりました。ロンドン遠征をして、イートン校と戦ったりもした。誰に頼まれたわけでもないですが(笑)。

別所:慶應は森社長を表彰すべきですね(笑)。そして、帰国後、レナウンをお辞めになった。


“勘違いした人”が働くブランドから顧客は離れていく

森:NYで8年間を過ごした後帰国したら、日本の会社はなんてつまらない仕事をしているんだろうと感じてしまったんです。別にアメリカだけが正しいと思うわけではないけど、ディシジョンメイキングやサラリーマンの大きな人間関係、マーケットのことよりも誰がどう言ったかの方が重要視されるような社会に大きな違和感を覚えた。それで、次も決まっていなかったけど、家族にも相談せず会社を辞めてしまいました。

別所:すごい決断力ですね。その後、アクタス、グレープストーンを経て今に至るわけですが、これまで経営者として会社を立ち直らせていくなかで共通して見えてきたことはありましたか?

森:業績の悪い会社に共通するのは、皆が思考停止してしまっていることです。見るべきところを見れば色々なことがわかってくるはずなのに、考えていないから見えていない。だから、私はいつも、自分たちがやるべきことをみんなできちんと考えて、実行しようと伝えます。それは、一人一人のお客様や一個一個の商品を大切にすることだったり、売り上げを作るためだけのよくわからないセールをやめることだったり。そういう当たり前のことちゃんとやろうと。

別所:なるほど。

森:また、ハイブランドで働く社員の共通項として、「自分に付加価値がある」と勘違いしている人が多いんです。ブランドを作り上げた人や脈々と支えてきた人の思いを忘れて、あたかも自分が偉いかのようにものを言う人がたくさんいる。そんなブランドからは、お客様は去っていくでしょう? まず、自分は大したことがないということを自覚しなければ、お客様にサービスなんてできない。ところが、ブランドに乗っかってしまう人がほとんどです。

別所:自分がそのブランドにいかに価値を与えられるのかを考えるのではなくて、そこにいるから自分も価値があると勘違いしてしまう。

森:だから、まずはブランドの周りにある歴史や物語、そこに込められた思いを勉強しなければならない。それを学ばないのはおごり以外の何物でもありません。私がここにきて最初にしたのは、自分たちでカッシーナという会社の教科書を作る「教科書プロジェクト」を立ち上げたことでした。自分たちが扱っている商品の構造から歴史まで、100ページくらいの教科書を作って勉強して、最後には役員含め全社員一斉に試験もやった。みんな商品のことを知っているようで知らないから、はじめにそこを直そうと。

別所:おっしゃる通りだと思います。僕は、慶應を卒業した後、ハリウッドの映画に出演するために渡米しましたが、演技も英語もできるつもりだったのに、はじめは全く通用しなかった。それで、ひいひい言いながら学校に通って、改めてきちんと勉強したことで視点が変わりました。日本に戻ったあと、ショートショート フィルムフェスティバルを始めたのもそのときの経験が生きているように思えます。それで、映画といえば、森社長も映画好きだと伺っています。


中学生の頃送った淀川長治さんへの手紙

森:映画は子どもの頃からよく観ていました。大学で上京するまでは長崎の小さな田舎町に住んでいたので、あの時代に外部との接点なんてほとんどなかったわけです。そのなかで、映画は広い世界を観せてくれる唯一と言っていいほどの貴重な存在でしたから。

別所:淀川長治さんに手紙を書いたことがあるんですよね?

森:中学一年生の時のことです。当時、将来は映画に携わる仕事に就きたいと思っていました。だけど、田舎の少年だからどうしたらいいのかわからなかった。そこで、その頃貪るように読んでいた「SCREEN」という映画雑誌の編集部に淀川さん宛ての手紙を書いたんです。淀川さんみたいに映画の仕事に就くためには何を勉強したらいいのか教えてくださいって。

別所:すごく積極的な中学生ですね。

森:そうしたら、忘れた頃になって直筆で返事がきたんです。そこには、「特別に勉強することはなにもないから、色々な人に会って、色々な場所に行って、色々な経験をしなさい。そうすれば、縁があったら、映画に携わる仕事ができるかもしれません」という意味のことが書かれていました。いまでも、映画を観ているときにその手紙を思い出すことがあります。

別所:すごい……。映画が、人生に与えた影響は大きいですね。

森:映画って、ハリウッドの大作と、ヨーロッパのマイナー作品では全く別物ですよね。アメリカ映画は、基本的には娯楽だから勧善懲悪が多いけど、フランスやイタリアの映画には、人間のもっとドロドロした心模様が描かれた作品がたくさんある。私は中高生の頃、その両方を観て、自分も早く大人になりたいと思った。それが、東京に行くという発想にもつながったわけです。


社員の幸せの延長線上にお客様の幸せがある

別所:そんな森社長はいま、ご自身のビジネスを通して現代社会をどのように見つめてらっしゃるのでしょうか?

森:我々が扱っている高級家具というカテゴリは、必需品ではありません。量販店に行けばずっと安い価格のものが並んでいる。では、お客様はどちらが欲しいか? お金があれば皆がカッシーナを買うかというと、そうではないわけです。たとえば、高級車のオーナー全員がカッシーナにも興味があるかといったら必ずしもそうではない。車には興味があるけど、家具には全く興味がないという人も当然います。富裕層は、皆が同じような生活をしていると思ったら大きな間違いで、それぞれがライフスタイルにこだわりを持っているんです。

別所:たしかに。

森:これだけ情報が氾濫した時代においては、当然のように同質化が起こりますが、もう一方では、多様性も生まれているわけです。そうした状況のなかで、私たちは、人が豊かな気持ちになれる可能性のあるものとして、カッシーナやザ・コンランショップの商品を広く提案していきたい。非常に完成されたデザインの椅子を一脚置くことによって、空間全体の雰囲気を一瞬で変えてしまうことだってできる。そういうことを伝えていきたいと考えているんです。

別所:これから目指していくのはどんなことでしょうか?

森:まずは、当社の社員が生き生きと働き、仕事を通してたくさんの人たちと知り合いながら、成長していってほしい。そして、私は、彼ら彼女らが年を重ねた時に、ああ、ここで働いてよかったなと思えるような会社にしていきたいです。社員が幸せであること、笑顔で元気よく働けることの延長線上に、お客様の幸せもあると思っていますから。

別所:ありがとうございました。

(2017.7.18)


森 康洋 略歴

(昭和30年7月15日生)
昭和53年4月  株式会社レナウン 入社
平成12年7月  同社執行役員就任
平成13年8月  株式会社アクタス 入社
         代表取締役社長就任
平成20年11月 株式会社グレープストーン 入社
         常務取締役就任
平成22年11月 株式会社カッシーナ・イクスシー 入社
         執行役員副社長就任
平成23年3月  同社代表取締役社長就任