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大学で、なぜか能楽部に入った話。(序)/あの日、私と京都は。その3

それは、まだ――

まだ、百万遍に、立て看板(通称タテカン)が遠慮なしにずらずら並んでいた頃で。

まだ、取り壊し前の大学闘争時代の建物が、かろうじて残っていた頃で。

まだ、4月に格安コピーで印刷した大量のビラが、大講義室の机に地層をつくる頃で――

――ただ、手書きだった履修登録が、パソコンによる登録に変わっていく頃で。

それまで一切関知されなかった出席が、じわじわ取られるようになる頃で。

タテカンとセットで、なくてはならない石垣が、取り壊されるとかいう話が出る頃で――

――なんかそういう、それまでにあった無秩序な秩序が、社会的なホンモノの秩序によって、徐々に侵食されゆくような。
自由という名の最後の残り火が燃えてゆく、そんな時代だったと思う。


そんな頃に私は、18の春、大学一回生になった。

そして(中略)能楽部宝生会に入った。

***

「なんで私はここにいるんだろう」

「……今更ですか?」

能楽部の稽古場は、通称「BOX(ボックス)」と呼ばれる。

私が所属するのは能楽部宝生会(=宝生流。武家に嗜まれたらしい地味な流派)で、それ以外に他流派である観世会(=観世流。日本の8割以上はこの流派)、金剛会(=金剛流。京都に宗家があって関西中心らしい)がある。それと狂言会(=能とごっちゃにされるけれと別物。ただしよく似ていて、はぁーっはっはっはぁーと笑う楽しいやつ)も同じBOXを使っていて、計4つのサークルで共有している。
だからBOX内には常に、謡本やらカセットテープやら謎の紙袋やら、奥には布団やら枕やらが転がっている。

目安20畳ぐらい(←超適当)の広い部屋は、手前の畳にはコタツが、奥は一段高くなって板敷きになっており、そこで舞の稽古ができるようになっている。
コタツは誰でも入っていい。コタツは共有財産だ。
だから私は、5月で全然寒くもないのにコタツに入っているのだが。

「なんで私はここにいるんだろう……」

「稽古するためじゃないですか。初舞台まであと2週間でしょう」

同時期に入った1回生は男子1人。その同回生は、いつも何故か丁寧語で、実にあっさりと言ってくれる。

「……いやそうじゃなくてぇー」

コタツの上に載った謡本に突っ伏す。
亀の甲羅色した緑の本。「鶴亀」とかって書いてある。まだ全然覚えてない。ていうか中身が意味不明。フリガナなきゃ読めないし。

「なになに、何の話?なんで宇宙の中の地球に生命が存在するかって話?」

「いや違います先輩」

何で私は、「京都のキャンパスライフをenjoy☆彡」するはずが、わけわからん能楽部に入って、このわけわからん人たちと、わけわからんこの「謡」と「仕舞」を稽古しているのだろうか……

「そこの人たち。稽古してください。師匠いらっしゃいますよ」

舞台の上から部長が指摘する。

「よし。鸚鵡返ししようか」

「……はい」

先輩に言われ、コタツから出る。
机の謡本と、その横にあった扇を手に、畳の間の空いている場所に移動する。

「えーと。前回どこまでやったっけ。まぁいいか、最初からで」

「はい」

先輩と向かい合って正座。
膝の前に扇を置く。その先に謡本。

「では」

「はい」

互いに手をついて。

「「よろしくお願いします」」


***

このときの私は、この先京都を離れるまでの10年ほど――

ディープな「能」の世界にどっぷり漬かるなんて、そりゃあ、思ってもみなかったのだ。


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