叔父と、書き初めと、2023年の目標。
突然だが私には、書道家の叔父がいる。
もう70歳を超えて、広い広い田舎の家でひとり、いつもこたつに入ってぬくぬくしている。
マイペース過ぎて、何を考えているのか身内でもよくわからない。
でも私は、他人にも自分にもあまあまに生きる叔父は、憎めなくて好きだ。
いつも正月に帰省すると、私たち一家が書き初めをしたいと言うので、そのときだけ放置状態の書道教室の部屋(今はもう通う小学生がいない)を開けてもらう。
私も小学生のとき、毎週ここに入り浸っていた。
叔父は、教室の子どもたちにせがまれると漫画やおもちゃを買ってしまって、それを目当てに来る子も多かった。
それらが半紙や筆と共に散乱したまま、時が止まり、普段はひっそり息を潜めている。
そこに正月の風を入れることで、年に一度、止まっていた時が動き出す。
ほこりっぽい中に、墨のにおい。
すり切れたフェルトの下敷き、乾いた半紙の音。
珍しく晴れた北陸の日差しが、やわらかく降り注ぐ。
今年は何を書こう。
表紙が折れた四字熟語の豆辞典を開く。
その間、小5の息子や小1の娘が、先に書く準備を始める。
叔父は子供らから「お手本かいて」とせがまれ、「書けるかなぁ」と言いつつも、老いで小刻みに震える手でにこにことお手本を書いている。
うーん、何を書こうかなぁ。
これにしようかな。
目についた文字に決めたところで、窓辺に座る叔父がこちらを見ていた。
「何を書くがかな」
「うん。これにしようと思う」
「ははぁ。いいがじゃないですか」
いつも通りにこにこと、すべてを肯定してくれる。
「お手本、書いてくれん? 私楷書しか書けんし、子供らと同じ楷書で」
「ははぁ。書けるかなぁ」
にこにこしながら、長い書き初め用紙に向かってくれる。
「どう書いたらいいがかなぁ」
そう、言いながら、墨池から離れた震える筆先が。
突然、踊り出した。
たっぷりの墨を足跡に、走り、跳ね、空を飛んで向こうにつながり、滑りながらも流れず。
ときに勢いよく。ときにゆったりと。
豊かに。なめらかに。強く素早く、やさしく静かに。
えっ、楷書・・・楷書ちゃうやんこれ、と思いながらも目が離せない。
きらきらしている。文字が。
音楽が聞こえる。筆から。
これはあの、さっきまで横一本ひくのに震えていた字と同じだろうか。
全然ちゃうやん。別物やん。
「こんながかなぁ」
出来たものは、明らかに楷書ではなく。
かといって行書でもなく、草書でもない。
「これ・・・なんていう書き方?」
「はぁ。なんやろねぇ。創作かねぇ」
叔父はにこにこしていて、いつもの叔父だ。
こんなん真似できるかーい!と思いつつ、書かれてなお放たれる、そのイキイキとした文字を横に携え、一息つく。
よく見て。いや、よく思い出して。
あんな風に踊って。
あんな風に筆を走らせ。
あんな風に楽しく。
「・・・」
書いた。
書いたけど。
隣のものと全然、全っ然違う。
「ははぁ。いいがじゃないですか」
叔父はにこにこしている。後ろにいた主人も「いや、お前この字めっちゃいいよ」とか言ってるけどあかん!全然違うもん。
よし、もう一枚書こう、と思ったところで、寝ていた生後3ヶ月の末っ子がびえーんと泣いて書けず。
・・・。
家に帰って、みんなの字を並べながら「これってどういういみ?」と娘に聞かれる。
「えっとね。『天や地がずっと変わらないように、長く続くこと』っていう意味らしい」
天長地久。
幾久しく、物事が続くこと。続けること。
命は限りあるけれど、空に広がる天も、大地も限りない。
人間はいつか衰える。けれど、生まれたときから共にある心や、奥底に宿る魂は永遠だ。
未熟者でも。不格好でも。
たとえ何歳、何年経って、どんな姿になっても。
命ある限り、自分らしくあり続けること。
それが私の、2023年の目標だ。
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