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【感想】藤本タツキ読み切り「ルックバック」が、いろいろ凄すぎる件(あらすじ&ネタバレあり)

起き抜けの朝に、ガツンと頭をぶん殴られた衝撃だった。

ジャンププラス(通称ジャンプラ、J+とも)に掲載された藤本タツキ先生の読み切り「ルックバック」。

藤本タツキ先生の作品は、「チェーンソーマン」も「ファイアパンチ」も、前に載ってた読み切り(「妹の姉」「目が覚めたら女の子になっていた病」とか)も読んだことがあった。
そして読むたび「いやもう鬼才とか奇才とか、そんな言葉じゃ足らんけど、そういう表現ってこの人のためにあるんだな」と思っていた。

そこに来て、この読み切り「ルックバック」。
ジャンプラは朝派の私にとって、漫画は子どもの弁当をつくる直前の目覚まし代わりだ。漫画家さんたちの素晴らしき感性に重い頭を回してもらい、眠りから覚醒へ、本物の朝へと思考を浮上させる。

今朝はというと、読み出したら思考も心もわしづかみにされた。
回転する。どんどん引っ張られる。でもそれは、現実ではなく漫画の世界観へ。
そして余韻がハンパない。

だからもう、弁当をつくる手が疎かになってしょうがなかった。

やべぇ。
やべぇ読み切りが、世に出た。

そしてその瞬間に、今、私は立ち会っているんだな。
やべぇ・・・(語彙力)

今朝は、この興奮と感動を治める心地も時間的余裕もなかったので、今一度、自分の中で「何がそんなにすごいのか」を"ルックバック”しようと思う(自分で言うと寒いのだが、それを承知で極寒の地へ飛び込むしかない。そぐらい、このタイトルは衝撃が強い)。

先に言っておくが、私は考察勢でもなく、ガチタツキ勢でもない。
単に「藤本先生の漫画はつい読んじゃうぐらい好きです」というレベルの、いち読者に過ぎない。

そんな戯れ言で良ければお付き合いください。

【感動ポイント1】ありふれた2人の、ありふれない関係。変わるものと、変わらないものの凄み。

主人公は、学年新聞にて四コマを連載する小4の少女・藤野だ。

クラスメイトからも「スゴーい」「漫画家なれるじゃん」と言われ、有頂天になっている。4コマ欄は彼女の独壇場だ。

そこへ先生から、隣のクラスの不登校の子・京本に、四コマ欄を譲ってやってくれないかと言われる。
「別にいいですけど」と言いながら、「描けますかねぇ」と鼻で笑っている。

だが・・・そこで並んだ二人の四コマに、藤野は衝撃を受ける。

『題:放課後の学校』

上手いのだ。その子・京本の絵が。
デッサンみたいで。写真みたいで。
誰がどう見ても、そっちの方がうまい。

「すっげぇ。この絵プロじゃん」
「京本の絵と並ぶと、藤野の絵ってフツーだな」

そして、衝撃を受けた藤野は・・・。

・・・という感じの出だし。

この段階で、私は読みながら「うまいやつが出てきたことで、主人公がふてくされるんじゃないか」という展開を勝手に想像してしまった。
いいや、もう知らん!とか。描きたくない!とか。
もしくはけちょんけちょんに相手の四コマをけなす、とか。

でも違った。
主人公は、絵の猛特訓をするのだ。

「私より絵ウマい奴がいるなんてっ!絶っっ対に許せない!」

そして描かれるのは、画材屋に飛び込む藤野と、以来ずっと机に向かう背中だ。

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季節が変わる。
服装が変わる。
本棚に並ぶ本の量が増える。

藤野の周りは、どんどん変わり続ける。

変わらないのは、机に向かい、絵を描く藤野だけ

来る日も来る日も絵を描いて。
「いつまで漫画描いてんの」と、家族にも友人にも言われて。
でも、藤野は描き続ける。
『あいつより上手くなってやる』

その背中は、言葉より雄弁に、その決意を物語る。

る、ルックバック・・・!(震)

そして、6年生になった彼女が手にする、学年新聞。

また私は、勝手にその先を想像した。
そしてついに、努力家の藤野が、京本よりうまくなる日が」――

——・・・来なかった。

そこに並んだ四コマは、やはり、京本の絵の方が圧倒的にうまかった。

そしてついに、藤野は四コマをやめてしまう、のだが。
私の浅はかな予想を心地よく裏切り続けて、物語は展開していくのだった。

【感動ポイント2】憧れと『憧れ』の交錯。そこにある、正と負の躍動。

そして、小学校の卒業式。
藤野は不登校の京本宛の卒業証書を私に行く役を任せられる。

初めて行く京本の家で、藤野が見たのは・・・スケッチブックの山。
閉ざされた京本の部屋に続く廊下の脇に、モーセの十戒よろしく、通り道だけが空けられた状態でうずたかく積まれたスケッチブック。

その山の上に置かれた白紙の四コマを見つける藤野。
藤野は即興で四コマを描く。出てこない京本を題材にした、「引きこもり選手権」という四コマ(出てこない藤野は屍になってしまう)。

「何やってんだ・・・」

そうつぶやいたとき、ひらっと四コマが藤野の手から落ち、閉ざされた京本の部屋の扉下に滑り込んでしまう。

「失礼しました!」

と言って家から駆け出す藤野。

追いかけてきたのは、京本だった。

「藤野先生ぇ!」

(――ほぁっ!?先生!?)←すみません私の心の声です

「私っ!藤野先生のファンです!」

まさか、まさかの。

あれだけライバル視して、最後は完敗だと感じて、四コマまでやめてしまうきっかけを感じた相手が。
きらきらした目で。

「藤野先生は漫画の天才です・・・!」

憧れの眼差しで見つめてくるなんて。
そんなの、思ってもみないじゃないか。

そして、「なんで途中で四コマやめたんですか?」という問いに対し、思わず藤野は言うのだ。

「まぁ・・・漫画の賞に出す話考えてて、ステップアップする為にやめたって感じだけど?」
「すっ・・・スゴい!!」

そして「またね」と言って別れる二人。

降り出す雨。
その中を、ランドセルをしょったまま、踊りながら帰る藤野。

・・・もう・・・その描写が、何よりも美しくて。

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町から田舎へ。
晴れから雨へ。
歩く姿から、飛び跳ねる姿へ。

この、対比される2つが、藤野の動きと共につながっていく。
「雨なのに上機嫌」いや「雨だからこそ上機嫌」という描写がもう、ぞくぞくして。
土砂降りの雨に降られて踊る姿は、さながら映画のワンシーンだ。
正と、負の躍動。

そして帰るなり、本当に机に向かい、有言実行で漫画を書き始める藤野。
ああ、またこの背中だ。
この背中を見ると安心するなぁ。

中学になっても、その背中は変わらなくて。

変わったのは・・・

「ただいま」
「おかえりなさい!」

部屋に、京本がいて、一緒に漫画を描いていることだ(うぉーーー!)。

そして2人はついに、漫画家デビューを果たす。
その名も『藤野キョウ』というペンネームで。

初めて入った原稿料を手に、2人は街中に出かける。

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クレープ。
映画館。
ファーストフード店に本屋。

それだけ見ると、どこにでもいる、街中の、仲良しの中学生だ。
(この、見開き四つ割?とでも言うべきコマ割は、淡々としていながらじっくる見るにはとっても素晴らしいコマ割だと実感した。真っ正面から客観的に2人を見ることが出来る)

その帰り道、京本は言う。

「藤野ちゃん 部屋から出してくれてありがとう」

はぁ~~~いいな~~~いいな~~~仲良しの2人。
「絵を描く」というコアな部分でつながった、奇妙な2人。

いいな。ほんと、いい。

【感動ポイント3】重ねに重ねられる"ルックバック”。それは刷り込みの感動。

けれど、そんな2人にも転機が訪れる。

17歳となり、連載を持ちかけられたとき、京本は「美術の大学に行きたいから連載を手伝えない」と言う。

そこは、2人が漫画に励んで歩き続けた田舎道。
景色は変わらないのに、2人は変わっている

「もっと絵、うまくなりたい・・・」

そうして2人は、ついに道を分かつ。

1人、街中のオフィスで、漫画を描き続ける藤本。
ペンネームは「藤野キョウ」のままだ。

連載が続く。巻数を重ねる。
季節は巡る。
変わらない、藤野の背中。

もう、この「背中」を見ることに、安心感を覚えている自分がいる
背中を見れば、時間の巡りは感じるけれど、変わらない彼女に安心もする。

ああ、藤野は変わらない。変わらないでいてくれるのだ、と。
京本はいないけれど。美大に行っているけれど。
元気にしているのだろうか・・・


そして――とある美大で起こった、切りつけ事件。

京本が通う美大。


――

ここでは一切、「京本が犠牲になった」とは"書かれて”いない。

”描かれて”いるのは、藤野が受けた衝撃だ。

スマホの画面。回想。
休載のお知らせ。

そして、京本の――遺影。

今も並ぶスケッチブックの山の上には、かつて京本を連れ出すきっかけとなった、藤野の四コマがあった。

「私のせいだ・・・」

涙とともに、びりびりに破かれる四コマ。

その切れ端が、ひらりと落ちて、京本の部屋のドア下へと滑り込むと――

【この先の感動は、もったいなくて言葉にできない。ほんもので堪能してほしい】

もう、クライマックスのシーンは、また絵で魅せる、魅せる、魅せる。

このノスタルジックながらも、ああ、こうであってほしいと、そう願うラ・ラ・ランドのようで。

「京アニ事件」のことや、それを思い返すこと、忘れないこと、絵を描く人々の、尊い命が犠牲となったこと――

それらすべてを思い返しながら、この「ルックバック」が今ここにあることに、ただただ感動しかない。

絵を描く姿。描き続ける背中。
それを見つめる人々。

「好き」の上には絶え間ない努力があり、そのさらなる努力の上に、小さな花を咲かせる人もいれば、咲かないままに終わる人もいる。
けれど皆、等しく背負うものがあり、その背には言葉では語れない想いがある。

この「ルックバック」があることで、それらを思い返すことができる。

【余談:主人公の名前について】”藤野歩”に込められた意味。

「藤野歩」という主人公の本名は最後のあたりに出てくるのだが、私はこの名にも、深い意味が込められていると思う。

それは、かつて藤野と京本が出会ったときに、藤野が京本が着ているドテラ(で、あってる?はんてん?)の背にサインしたものだ。

そこに感じられるのは

「私たちは”歩”き続ける」

という想いだ。

大切な人を失った。
類稀なる才能を失った。
それは、作中に出てくる京本でもあり、京アニのスタッフの件もそうだ。

でも、私たちは歩くしかない。
その想いを、その過去を背にして。

藤野は、自分が背に刻んだ名前を見上げながら、歩いていく決意を新たにする。それは私たちも同様なのだ。失ったものの重みを背に感じながら、歩き続けていく。それしか、残された私たちにできることはない。

そしてもうひとつ。深読みかもしれないが、ペンネームの名前が「キョウ」であることにも感じ入るところがあった。

私たちは、大切な人を失ったとしても、その想いや魂とともに、『今日(キョウ)』を『歩』きつづける

もちろん、「京アニ」の「キョウ」でもあることだろう。
でも私たちは、悲しみを背負いながらも今日を歩く。過去を振り返りながら、歩いていくのは今この瞬間。

その背に名を刻み、背を見せて笑い、でも一旦は背を向けながら、また向かい合い、その背で泣く――

ルックバック。ああ、ルックバック。
どんだけこのタイトルを、重層的に敷いてるんや・・・!

これはもう、本物を読んだ人にしかわからない感動だと思う。


――久々に、本っっっっ当に、深く感動した物語でした。
この感想も、寝かせて落ち着いたら、また追記するかもしれません。

また何回でも読み返したいと思います。
ルックバック!


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