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岸田文雄:自民党政権のダメっぷり  人事は好きだが国民を愛していない  この「世襲3代目の政治屋」

 ※-1 松尾貴史の岸田文雄「批評」を読む前に一言献上

 以下のだいぶ後段になるが,※-2に,松尾貴史の岸田文雄首相に対する批評を紹介しつつ,本ブログ筆者なりの議論も添えて記述している。その点をさきに断わったうえで,最初にこう断言しておきたい。

 付記)冒頭に借りた似顔絵画像「岸田文雄」は,松尾貴史の同上批評「記事」から。

 一言でいうとしたらこの国総理大臣は,まさしく「世襲3代目の政治屋」として観るほかないのだが,あらゆる意味でトンチンカンでかつ唐変木だという印象を強く抱かせてきた人物である。

 自民党世襲政治の弊害は,この国の政治のありようを,完全に閉塞した状態に押しとどめているどころか,その腐敗・堕落ぶりの様子とみたら,かつてないくらいにまで,その程度の悪質さがきわまってきた。ところが「岸田文雄という世襲政治屋」には,その自覚書状が皆無であった。こんなものだという認識が彼の胸の内にはあった。

 岸田文雄流に「丸出だめ夫」的な宰相ぶりは,まず自分の息子翔太郎を首相秘書官にとりたてて,しかもこの若者を「うまく使い,同時に教育もさせて「大きく育てる」のだという親心からして,完全に倒錯の,つまり「バカ親的な深慮(?)」になっていた。

 補注)昨日記述した養老孟司のベスト本の書名をまねていえば,世襲政治屋たちに特有の「政治バカの壁」が,そこに厳在していたという説明ができる。

 そもそも,このドラ息子というほどの迫力をもちあわせてはおらず,ただの中学生程度とみなしたらよい心身構造・機能しかもちあわせない坊やが,2022年末の出来事であったが,主に年齢が近い親族を首相官邸のなかに集めては組閣ゴッコ遊びに興じたり,遊び場所にしていた事実が判明したために,世間のヒンシュクを買う始末になっていた。

 この三毛猫的に迫力ゼロだった「▼ホ息子」が主導したと思われる「その官邸内における内閣発足式ごっこ」は,実はオヤジもしらなかったわけではなく,ほぼ「同罪」的な認知心をもっていながら黙認していた。そうした息子の演技を喜んで見守っている節すら世間にはよく伝わってきた。

 岸田文雄は首相になってから「原発の再稼働だけでなく新増設」を決めたり,「アメリカから兵器の爆買い」もそのまま決めたり,あまつさえ「増税」を決めたりしたせいで,一時は,自分の顔のことに関して「増税メガネ」というあだ名をつけられていた。

 安倍晋三も,相当にひどい「幼稚と傲慢・暗愚と無知・欺瞞と粗暴」の総理大臣であったが,岸田文雄ときたら,この晋三の肩の上に乗っかった様相になったかのようにして,またもや,この国を衰退させる進路に拍車をかけるごとき采配しかできていなかった。

【参考記事】-今月(2024年1月)の『時事通信』世論調査について-


 「世襲3代目の政治屋」の岸田文雄は,アメリカのいいなりになるばかりの為政しかなしえないまま,日本の国民・市民・庶民の「立場・生活・人権」そのものには目もくれないなかで,しかもまずいことにその迷采配ぶりを目立たせるばかりだったとなれば,いまでは「衰退途上国」化したこの日本は,よりいっそう劣勢な立ち位置に吹き寄せられるしか策がなくなっている。

 「丸出だめ夫」君の風采にしかたとえられない岸田文雄の為政ぶりは,自分が首相でありつづける任期そのものを延ばしていくことにしか関心がない「個人的な欲望の事情」もからんでいたゆえ,こうなるとそのダメっぷりに限っては,みずからがの事実を明確に実証してきた。

 やはりというか,「世襲3代目の政治屋」の社会常識ないしは生活感覚というものは,一般の人びとのそれからは相当に遊離しきっており,この点はいまさらのように,われわれのほうに伝播してきている。

 とはいえ,そうした自民党政治のあり方を支えてきた支持者も一定の比率で,有権者のなかには存在する。それゆえ,この国は,一種の救いようがない瀬戸際まで追いこまれている。現在は,そうした時代の情況にあると観察しても,なんら不思議:違和感がない。

 岸田文雄という首相の立場にあっては,「世襲3代目の政治屋」として保持しているらしい「方向感覚的な座標軸」が,もともと完全に狂っていた。

 だから,「今なお避難者 1.6万人の異常事態 明らかな岸田人災,初動の遅れが決定的」『日刊ゲンダイ』2024/01/16 17:00,https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/334767 が,長い記事であったが最後の段落において,岸田文雄の政治をこう批判していた。

 どうにも現場のニーズと政府の対応のズレが際立つのだ。視察先で岸田が,被災者の生活再建に関し,困窮者に最大20万円を貸し付ける「緊急小口資金」の受け付けを近く開始すると表明した。しかし,現場はいまだ食料やトイレに困っている。融資はその先の話だろう。

『日刊ゲンダイ』

 補注)その最大20万円という金子は「貸し付けてやるが,あとで返すのだぞ」という性格のものであった。能登半島地震で家が全壊してしまい,家族も複数死亡している人びとが大勢いる被災地に対する「国家最高指導者のその采配」とは,とても思えない対応であった。

 岸田文雄君に聞くが,君の政治「家」としての生活感覚は,いったいどのあたりにあるのか? 「被災者救援」に関しては完全に的外れだとみなすほかないの基本姿勢が目立つ。しかも,来年度予算向けの話も出ていた。迅速を要する案件について,そのように悠長な構えではまともな救済はできない。

 厚生労働省は〔2024年1月〕10日までに,緊急かつ一時的に生計の維持が困難になった人に生活費を貸し付ける「緊急小口資金」の対象に,能登半島地震の被災世帯をくわえることを決め,都道府県に通知した。貸付金額は最大20万円。申請は各地の社会福祉協議会が窓口となって受けつける。

 通常は低所得者世帯などが貸し付けの対象だが,特例として災害救助法が適用された石川県などの被災世帯をくわえる。所得などの要件は設けない。

 註記)「被災者に最大20万円貸し付け 能登地震で特例措置-厚労省」『時事通信』2024年1月10日15時20分,https://www.jiji.com/jc/article?k=2024011000779&g=soc

『時事通信』

 とりあえずいま,被災者向けに,金額で「20万円」(ポッキリ)を経済的に援助しようとするに当たり,「当面の資金援助が欲しい者は申請しなさい,最大20万円までは支援するよ,ただし貸付だからあとで返してね」といったこの話を聞かされ,呆れた。

 被災者のなかには財布さえ失ったものがいるはずであり,銀行の通帳・キャシュ・カード類なども喪失している人びとが大勢いて当然である。それゆえ,とりあえずであっても,ただちに被災者である確認をしたうえで20万円をさきに支給(給付)しておき,あとはなるべく早めにこんどはたとえば200万円を,それも家屋全壊した世帯に関しては資金援助をおこない,当面の生活がなりたつように扶助するのが為政者の役目なのに,その支援の仕方のけち臭いことといったら,絶えられないくらいたまらない。

 岸田文雄の政治感覚は,「世襲3代目の政治屋」らしく,いちじるしく焦点ボケしていた。この事実は,能登半島地震が発生する以前から確認できていた岸田の特性であった。

 さらに,大地震という自然災害の発生した直後からの「彼の言動ぶり」をみせつけられたわれわれは,現状のごとき「自民党」(と,および,いるのかいないのか分からぬ)「公明党」の野合政権がかもしだしている「人でなし」ぶりに関しては,もういいかげんにしろといいたくなる。この感想は,本ブログ筆者1人だけのものはあるまい。

 

 ※-2「〈松尾貴史のちょっと違和感〉岸田首相の年頭の動向 無力感にさいなまれた」『毎日新聞』2024年1月21日朝刊「日曜くらぶ」D面 

左側に岸田文雄の似顔絵が配置されているが
それは切り離して後段にかかげてある

 この松尾貴史の批評を以下に紹介しながら議論を進めたい。

 --災害関連死を防ぐためにと岸田〔文雄〕は「2次避難の促進に注力」と旗振りするが,家族がバラバラになる懸念や子どもだけ避難という苦渋の決断など,先の見通せない被災者をさらに悩ませている。

 致命的な初動の遅れを取り戻すことができるのか。被災者ニーズと乖離した現状の対応ではどうにもならない。

 岸田文雄首相は〔2024年1月〕4日の年頭記者会見で,能登半島地震の被災地に立地する原子力発電所に関する質問にまともに答える気配すらみせず,記者の声を無視して記者会見場を立ち去った。

 震災への対応に向かったのかと思いきや,BSフジの生放送に出演した。そこでは,自民党総裁選なども話題になったという,ちょっとしたサイコサスペンスのような光景があった。がれきに埋もれ,救助を待ち,寒さとひもじさにあえいでいる人たちがいるなかで。

 5日には経済団体や連合,時事通信社の新年会を「はしご」したのだという。もともと冷酷な人格ではないかという印象をもってはいたが,ここまでくると戦慄(せんりつ)を覚えてしまう。

 補注)途中で口をはさむが,岸田文雄は実はそうした「自分の冷酷な人格」性を,実際にはまったく「自覚できていない」どころか,「それ以前」あるいは「それ以外」になる「自分風の生活世界」のなかにおいてのみ,生きてきた「世襲3代目の政治屋」であった。

 前段で触れたような「自分の息子を首相秘書官に任用する」といった縁故主義の最たる采配の意味じたい(これが当然問題になるざるをえない点)が,この岸田文雄という総理大臣の理解だと,まったく認識「以前・以外」の問題になっていた。そうでなければ,有能・優秀な国家公務員が当然その職務・地位に就いているはずであった。

 しかし,翔太郎を解任したあとに誰がその後を継いだのかとみたら,この翔太郎をオヤジが秘書官に着ける直前までその職務に就いていた官僚(同一人物)を,再びもとに戻して再任用した。こうなると,この岸田文雄という首相は「親バカ以前の単に完全なる▼ホ」だったのか,という人物評価が下されても当然だということになる。

 2010年代に日本の政治・経済は,安倍晋三のせいで,完全にガラクタ化していく道程をたどってきた。さらに,2020年代のそれは,岸田文雄の迷采配のせいで,わざわざ,安倍にみちびかれたそのトンデモの道筋を固めなおしていくことになった。

 冗談ではない。

 すでにすっかり「衰退途上国」となったこの現状の日本である。これに少しでも歯止めをかけねばならないこの国の最高指導者が,自分のせがれを自分の秘書官に任用することに関心を向けるヒマがあったら,もっとほかの国家的な関心事にその時間を向けるべきであった。

 岸田文雄は「首相になって関心があるのは人事だ」とのたもうたが,「自分の息子の人事」を公私混同的に采配するといったごとき,逆立ち的に倒錯した実際の人事に,本当に手を着けたのだから,これは「悪手中の悪手」であった。

 アンタ,早う,首相,やめなはれ。

 そもそも「世襲3代目の政治屋」という存在が,多くの間違いを起こさせる温床になっていた。たとえば,やはりその1人である森 喜朗という,この老害政治家の見本をみよ。自民党内(旧)安倍派の院政をきどっているつもりだったのか,森はカネ,カネ,カネ……の銅臭まみれの感性だけを生かしながら,その安倍派を牛耳ってきたのである。

 自民党内安倍派は「パー券裏金問題」では収支報告書に記入しおらず,議員じたいにキックバックされたカネのうちの相当部分が,森 喜朗のほうに流入していたという疑いがもたれている。

〔松尾貴史・記事に戻る→〕 石川県の馳 浩知事による「緊急事態宣言」も,出されたのは地震が発生してから5日もたってのことである。なぜこれほど時間がかかったのか。

 生死を分ける目安ともいわれる被災からの「72時間」どころの話ではない。「内外に大ごとだと思われぬよう」という意図があったとしか私には思えない。救援活動への指示や取り組みも,被害を過小評価したいという意図を感じてしまう。

 岸田首相が〔1月〕4日の記者会見で,諸外国からの支援を「現時点で一律に受け入れていない」と説明したことも,被災地の状況や受け入れ態勢の事情があったにせよ,被害を矮小化させたい意図を感じとった。

 補注)この「諸外国からの支援を『現時点で一律に受け入れていない』と説明したこと」は,「世襲3代目の政治屋」の面目躍如であった。被災者救済をなによりも最優先させる見地ではなく,自分だけが思いこんで理解したつもりの「災害状況に対する認知水準」でもって,そのような主観的判断を勝手に下していた。

 要はモノが分かっていないのであるから,もとより,状況の深刻さをより広く,深く察知しようとする意欲がないというか,そういった方途に向かい自分の指揮を執ろうとする動機をもちあわせていない。

 それでいて,自分の偏った知識・情報でしか,地震の被害を理解・把握しようとしていないゆえ,相当に鈍い・劣った・悪い感覚でもって事態に当たるほかなく,必然的に対策のほうは万事が中途半端となってしまう。

〔記事に戻る→〕 馳知事は元日に東京にいて,地震発生後に首相官邸に入り,自衛隊のヘリコプターに便乗させてもらって石川県庁に入ったのはその日の午後11時過ぎだという。

 彼がいつになれば被災地を訪れるのかと思っていたら,なんと14日にようやくである。馳(は)せない知事ではないか。これまで被災地にいかなかった理由を問われた記者会見では「1月1日から24時間,知事室に滞在しております」などと語った。

 元日の深夜に滑りこみで県庁に到着したのに,そう語れるのはなかなかの神経だが,岸田首相も同じ日まで被災地に入ることはなかった。

 補注)この馳 浩石川県知事,あの岸田文雄総理大臣ともに「県の首長」や「国の首相」の地位に就いていながら,いったいどこの・なにをみて,ふだんの仕事をしていたのか? なお,馳は森 喜朗の子分であったからこそ石川県の知事になれてもいた。

〔記事に戻る→〕 ダメージを受けトラブルが起き,避難経路であるべき道路も破壊されているのに,震度7の揺れを観測した志賀原発のある志賀町には岸田首相は近寄りもせず,「地元の理解をえながら再稼働を進める方針はまったく変わらない」といい切る。

 補注)志賀原発が,今回における能登半島地震発生(深度7:激震)によってこうむった損害は,かなり深刻であった。また,事後においても関連する事故(安全面にかかわる支障)が,不具合となって続発していた。

 とくに,その激震に襲われた珠洲市においては昔,原発の立地が計画されていたものの,住民の反対で建造されなかった事実は,いまから思いだすだけでも,首筋が冷たくなる話である。

〔記事に戻る→〕 能登半島の珠洲市や輪島市では,支援物資や救助隊が来ず,孤立状態が続いているところもあるという。国内の有志がボランティアとして向かおうとするも「迷惑ボランティアのせいで大渋滞が起きる」というデマがばらまかれる。

 補注)被災地が混乱するという点よりも,現地の様子が幅広く,ことこまかに世間にしられることを望まない「特定の勢力」がいたという推測もなされる理由が,以上の記述から伝わってくる。これは,あながちはずれた推理・説明ではない。

 れいわ新選組の山本太郎が現地入りしたある日,夜も午後9時ころになっての話であったが,残っていたカレーを提供され食したところ,これを被災者用のために確保されていた貴重な食料を奪うものだという,事実にもとづかない非難をいいだし,煽る人間がいた。

 だが,そうした発言は,政権寄りの立場に偏った立場から,たとえば,音喜多駿のようなお調子者の国会議員が,必死になって山本太郎を貶めるための発信を試みていた実例となって,かなり嫌らしいかたちで登場していた。

【参考記事】-山本太郎が能登半島地震の現地にいって行動していることを報告している『長周新聞』の記事(読む人は長いので覚悟されたし)-

 
 なかでも,陸上自衛隊の精鋭部隊である第1空挺団が1月7日になると,毎年恒例の「降下訓練始め」を実施していたが,こうした防衛省・自衛隊側の動向を,まるで指をくわえて是認(放置?)したかのような岸田文雄の基本姿勢が解せない。

 今回の能登半島地震をめぐっては,陸海空軍の自衛隊3軍が本気になり,率先して救助・救済の活動に出向いたという感じが伝わってこなかった事実は,軍事問題の素人であるわれわれの目にも奇妙に映った。

 なお,ネット上にはそうではないと反論する意見も表明されていたが,意図の問題ではなく,現実に自衛隊がどれほど被災地に向けて動員されていたか,その救援状況がどれほど効果を挙げえていたかなどを基準に判断・評価すべき事項である。

 ともかく,その第1空挺団は1月7日に,新年恒例の降下訓練始めを披露していた。ところが,能登半島の罹災者が家族が死に,家を失ったなかで,しかも避難所において苦しい状況で生きのびている最中に

 「陸上自衛隊の精鋭部隊」である第1空挺団が「通常の訓練となんら違わない」それではなく,新年を迎えて新しい気分になるそれを実施したと聞かされて,首をひねらない人はいないのではないか。

 おまけに,首相の岸田文雄がそれについてとくにはなにも指示していなかったとすれば(「自然災害発生のおり」だから「このときだけは」などとなんらかの指示を出すこと),また陸上自衛隊の幕僚長,そして統合幕僚長も「降下訓練始め」を,予定どおりやらせてよいという判断をしていたとなれば,これはかなりおかしな国のしぐさになる。

 その降下訓練始めを今年も予定どおりやりたかったにせよ,3ヵ月ほどでも延期してから実施すればよかった。なにも「松の内」が終わる日の1月7日に実施する必要がどうしてもあったのか?

 その予定をズラしたら,隊員の士気に悪い影響でも出るのか? それよりもその訓練訓練始めを災害地で生かすために派遣したほうが,よほど自衛隊としての本分にかなう部隊運用にならないか?

 第2空挺団はなぜ,最大限の対応をおこない,1月2日に現地に向かい救援活動をしなかったのか? 第1空挺団は自衛隊でひとつしかない精鋭部隊としての空挺部隊であるから,能登半島地震程度の災害発生時には救援用に出動はせず(温存させておき),ほかの諸部隊に任せるという理屈でもあったのか?

 軍隊というのは国家を守るために存在するのであって,まさか国民そのものを守るための編制は組んでいないから,能登半島地震発生のときであっても,第1空挺団は「新年恒例の降下訓練始め」を,予定どおりに実施しすることにした〔優先した〕という理屈になるのか?

〔記事に戻る→〕 岸田首相は,現地で救助活動をするわけでもないのに,コスプレよろしく防災作業着に身を包む。それで胸に赤い造花をつけて年頭のあいさつをしていたのは,滑稽(こっけい)ですらあった。

この画像は白黒だがバラは赤いもの

 補注)岸田文雄はここで松尾貴史が指摘する疑問,「防災作業着」の「胸に赤い造花をつけて年頭のあいさつ」というチグハグな自分の「衣装の姿」が,まずもってどういう印象を他人に与えうるか,これに気づくための感知器をもっていなかったのか?

 自分の息子を,現役だった首相補佐官をわざわざ任免にして交替させた「人事」もそうであったが,世間の常識を健全に保持できる基本(遵法)精神をそもそも欠落させているのが,安倍晋三や森 喜朗などの自民党関係者の場合であったが,現在の首相岸田文雄で同列であった。

〔記事に戻る→〕 彼が視察に赴いた珠洲市の中学校の校舎3階に避難している60代の女性は「(岸田首相は)わずかな時間,1階をのぞいただけでヘリコプターで帰っていった。どんな思いで来たのかも分からない」「(自民党派閥の)裏金問題もあるなかでのパフォーマンスではないか」と語っていた。

 現地での取材も,代表だけに限られるもので,政府にとって都合の悪い質問が飛ばないかたちでおこなわれたようにしかみえなかった。

 補注)そういった現地視察しかしなかった岸田文雄は結局,「自分に自信がない」総理大臣であったという結論にならざるをえないのか。あるいは自分がみたくない現実は,なるべく通り一遍でしか触れたくなかったということか。

 ▼-1 21世紀になってから「自民党をぶっ壊す」といったが,そうはしなかった小泉純一郎。

 ▼-2 自民党ではなく日本国そのものを,非常にまずいことに,溶融させてしまった安倍晋三。

 ▼-3 そしていまは,自身の政治「家」としての存在価値を誰に対しても真正面からみせられない状態のまま,「世襲3代目の政治屋」の立場・利害からのみ,しかも自国の為政を完全に私物(死物)化した岸田文雄。

〔記事に戻る→〕 そんななか,能登半島でドローンなど無人航空機の飛行は禁止令が出されている。ドローンによる捜索や物資の輸送はおこなわれているが,規制なくドローンが飛んでいると救助活動などの妨げになることにくわえ,政府にとって都合の悪いものが撮影され,流出するのを恐れてのことではなかろうか。

 なんとも無力感にさいなまれる新年だった。
 (引用終わり)……(松尾貴史は放送タレント,イラストも)(そのイラストは切り離したかっこうで前掲してあった)

 さて,岸田文雄の采配ぶりを観ていると,「常識が違う」だとか「感性にズレがある」だとかいった次元には収まりきらないものが,確実に介在していた。というか,政治感覚そのものに関してからすでに,「異次元的な陥没状態」が生じさせていた,としか形容のしようがなかった。

 いまさら1957年7月生まれで66歳の彼に対して,「政治屋」の制約を振りほどいて「大変身」せよと要求したところで,重荷になるという以前に無理難題であった。

 しかしながら,一国の最高指導者の資質そのものが,国民・市民・庶民たちの「生死問題」にまでかかわっている事実の前では,岸田文雄という総理大臣については,いかりや長介の口調を真似て「こりゃダメだ」という結論しか出てこない。

 ここでの暫定的な結論を断わっておく。首相になれた「世襲3代目の政治屋:岸田文雄」の幸せは,イコール「国民・市民・庶民たちの不幸せ」を意味したことにとなっている。

 それにしても,いつまで経っても,ただろくでもない国家最高指導者しか登場しない「この国の政治」に,なりはてたものである

 しかし,とはいってもその過半の責任は有権者側にある。とりわけ自民党を支持し,つまり回りまわっての,あの「パー券裏金問題」などからしたたり落ちてくる「現ナマ」を受けとっているから,選挙のとき投票所に出かけたときは,ともかくも自民党に投票している「あなた方」が,とりわけ地方にいけばいないわけではなく,けっこうたくさんいる。

 ところで,その自民党の派閥問題と密接に関連した「パー券裏金問題」は,東京地検特捜部による「中途半端な捜査:その寸止め結果」のために,この国の政治体質の根幹に対してなにかまともな刺激を与えうる契機にならないことが明確になっている。

 

 ※-3 本日(2024年1月22日)の『毎日新聞』朝刊2面の「〈風知草〉透明化の研究=山田孝男」https://mainichi.jp/articles/20240122/ddm/002/070/074000c

が,最後の段落で,こう指摘・主張していた。

  自民党の信用は地に落ちた。派閥の問題であり,歴代幹事長の支出に「でたらめやムダはない」と考える人は少なかろう。

 政策活動費のような支出は公明,共産両党以外の各党にある。「自由な政治活動の潤滑油」と説明されてきたが,度を越した潤滑油が〈1強多弱〉政治の定着を招いた面がある。

 安倍派の大事を決めてきた森 喜朗元首相(86歳)や同派の7幹部はお目こぼしだった。その一方で会計責任者は訴追された。捜査への不信がちまたにあふれている。自民党はみずから不信をぬぐい,新しい政治を生み出さねばならない。

『毎日新聞』2024年1月22日朝刊

 このような意見をいわれたところで,いまの自民党の連中に聞く耳があるとは,とうてい思えない。そうなのだから,彼ら・彼女は選挙で落とすほかない。つまるところ,庶民の立場にあってこそ,むしろ「民主主義に対して自覚ある主体的な判断力」が問われている。

 いまどきの日本を表現した「衰退途上国」というこの用語は,経済の次元に関するよりもまずさきに,政治の次元においてこそよく妥当する〈衰退現象〉を意味していた。そうだとなれば,有権者の「存在価値そのもの」こそが,時代的にも根本から第1に問われている。

【参考記事】-植草一秀の問題指摘-


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