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アベノミクスのなれの果て,日本経済は断末魔的苦境,だがあの日銀総裁黒田東彦が叙勲されたとの怪情報,岸田文雄もさらにこの国の政治経済をどん底へ誘導中,「世襲3代目の政治屋」にまともな能力を有する人間はいなかった(1)

 ※-0 2024年5月,円安が止まらない日本経済をみごとに造りあげてきた「安倍晋三と黒田東彦」という迷ゾンビコンビ

 a) いまから7年近くも前,『日本経済新聞』2017年11月2日 20:41,https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23064150S7A101C1920M00/ に掲載されてたコラム「大機小機」は,「おごるなアベノミクス」という標題で,以下に引用するように,その警告を発していた。

 当時はすでに安倍晋三の第2次政権の腐敗臭(死臭?)というか,その抜きがたかった「反・国家国民性」が,悪影響の露骨度をきわめていた。

 岸 信介の外孫が唯一誇りであったらしい「世襲3代目の政治屋」:安倍晋三が,21世紀の2010年代,細かくは2012年12月26日に再び,政権の座に就いて以来,この「美しい国へ」と向かうはずだった進路を完全に狂わせてきた。

 ともかく,そのコラム「大機小機」が2017年当時,安倍晋三の経済政策をどのように批判せざるをえなくなったか紹介してみたい。いまとなっては時遅しの感しかない,ある意味,むなしい遠吠えでしかなったが……。

     ★「コラム〈大機小機〉 おごるな アベノミクス」★
   =『日本経済新聞』2017年11月2日 20:41(ウェブ版時刻)=

 景気は良いが,経済が悪い。いまの日本経済を一言でいえば,こうなる。完全雇用状態で株価も上昇。好転する世界経済にアベノミクスによる金融,財政刺激がくわわっている。しかし,この「景気の良さ」は「経済の悪さ」をもたらし,将来不安をかきたてている。

 皮肉なことにアベノミクスの「成功」こそが「経済の悪さ」の要因だ。異次元の超金融緩和と機動的な財政運営の組みあわせによるリフレ政策がデフレ脱却への第一歩になったのは確かだ。だが,日銀の国債大量購入という「財政ファイナンス」は財政規律を緩め,日本を先進国最悪の財政赤字国にしてしまった。

 短期目標である基礎的財政収支の黒字化はいつまでたっても達成できず,2度も先送りされた消費税増税は,実現しても財政赤字削減にはあまり寄与しそうにない。教育国債など歳出拡大要求はあとを絶たない。

 日銀が財政赤字を下支えするのは不健全で,米連邦準備理事会(FRB)に続き,欧州中央銀行(ECB)も金融緩和からの出口戦略を進めているのに,独り日銀だけが出口の議論さえ封印しているのは,成熟国家の中央銀行としてあまりに異常である。無作為が続けば,出口に向けての金利上昇リスクが累積する。「見えざる円安誘導」とのそしりも免れないだろう。

 金融,財政政策の「成功」の陰で起動しないのが成長戦略だ。むしろ日本の強み「ものづくり」は劣化している。主要企業がまともに品質検査もできないようでは,産業競争力にも響きかねない。AI(人工知能),自動車のEV(電動)化,新エネルギーなど未来産業分野で日本企業が先頭集団にいないのは,成長戦略の失敗を物語る。

 日本経済に活力が乏しいのは日本が開放社会になりきっていないからだろう。日本人だけが対象とみられる「1億総活躍社会」構想は「日本第一主義」というしかない。外資や外国人材にもっと開放することだ。

 安倍晋三首相は企業に「3%の賃上げ」を求める。単なる賃上げ要請ならともかく,目標を明示した要求は「国家資本主義」そのものである。企業経営者がなぜ沈黙するのか不可解だ。

 アベノミクスの落とし穴をそれこそ謙虚にみつめなおし,日本の将来のために経済政策の正常化に立ち上がるときである。(無垢)

アベノミクス批判のコラム

 一国の首相が主に大企業を中心にして特定の要請を出していた。だが,安倍晋三が財界側に対して具体的に『3%の賃上げ』を求めた基本姿勢は,大東亜戦争中に登場した東條英機の強権独裁ぶりを想起させた。

 いまなお低迷するばかりであるこの国の経済を,その種の国家最高指導者の指図ですれば,いくらかでも「まともに指導できる」かのように早合点した「稚拙な妄想ぶり」そのものが,もとより百害あって一利なしであった。

この図表において赤線の折れ線グラフを観る場合

「0%の横軸」を境にその「上下の総面積」を比較すると
つまりは全体で「実質賃金はマイナス」という様子が分かる

このように日本の「実質」が低迷した賃金水準に継続しているうちに
諸外国の賃金水準はそれこそじわじわ上昇してきた

その種になる「労働経済統計の水準比較」でさらに観察するとなれば
相対的かつ絶対的に取り残されて(置いとけられて)きた日本は

外国人観光客にとってみれば
とても物価が安い国となりワンダフルに観光を堪能できる

 b) ここ2年ほどの日本の労働者が受けとる賃金は,実質でマイナスを持続させられてきた。上の『東洋経済 ONLINE』作成の統計図表は,2023年途中で終わっているけれども,

 たとえば『日本経済新聞』2024年4月8日 18:52(ウェブ版)の報道は,日本における「賃金増,物価になお追いつかず 実質賃金23カ月マイナス」だと報じていた。要は,前段図表中において「赤色の折れ線グラフ」が語るとおりの労働賃金面での下落過程がつづいてきた。

 日本の労働者に対する賃上げはその間,ほとんどないも同然に経過してきたなかで,アベノミクスの大失敗によって,円安がますます進捗するばかりであった。こうなると「対ドルレートで160円」に到達することも覚悟しておく余地がありそうだといった,専門家の意見も提示されている。

 さて,いよいよ「日銀,5兆円規模為替介入か 日銀預金残高から推計 政府は沈黙貫く」『毎日新聞』 2024年4月30日 21:02(最終更新 4/30 21:39,ウェブ版)という見出しの記事も出ていた。けれども,その種になる「日銀による覆面介入」は,当座をしのぐ効果しかない。

 専門家の意見のなかには,円・ドルレートは160円をさらに超えてゆき,180円あたりが「落とし所(?)」だという意見(予想)まで示されている始末で,庶民の生活状況は,大企業体制内に生息する一部の労働者階級(階層にあらず)の立場でなければ,「実質賃金の確保」は全然おぼつかないでいた。

 2024年度を迎えてだが,就職戦線の一陣においては大卒の初任給を3万円から5万円前後も上げる大会社が出てきた。だが,いままで30年間も据え置き状態に等しかったその賃金水準にあったせいか,労働経済内において「その正(のよい展望)に向かわせられる好ましい効果」が,いかほどまで期待できるのか,依然不詳のままである。

 以上まで記述したところで,本日2024年5月3日の『日本経済新聞』と『毎日新聞』のそれぞれ朝刊から,関係の深い記事をひとつずつ参照してみたい。

とくに左上の図表に注目したい
円買い・ドル売りのその効果がどこまで効く化については疑問
2024年は日本だけがマイナス

 c) 新聞のコラム欄には,訪日する外国人観光客たちは「3000円のラーメンや6000円の海鮮丼」をとてもうまい,すごくいい,ワンダフルだといって喰いつつも,この味なら高くない,安いと反応し,満足顔であった。

 こういった趣旨の,外国人観光客の歓び具合を横目にチラ見するほかない「われわれ内国人」の立場ときたら,すき家の牛丼(最近,並盛を430円に値上げ)や,日高屋の中華そば(本ブログ筆者が昨日5月2日に外食したそれは390円)を食える程度でガマンするほかない「日常の外食生活」になっていた。

 昔「あこがれのハワイ航路」という歌が流行ったというが,その時代は敗戦後の1948年のことであった。この歌をもとにした新東宝の映画も1950年に制作されていたらしいが,最近は円安のせいで,ビンボウ人はもうハワイには,そう簡単にはいけない時代になった。

 備考)なお,2024年3月の訪日客数は308万1600人となり,新型コロナ流行前の2019年同月を11.6%上回った。単月でも ,もっとも多かった同年7月(299万1189人)を超え,初めて300万人を突破したのは,イースター休暇や桜の開花シーズンを迎え日本を訪れる人が増えたからだ,と報告されていた。

 d) ところで,単純に1ヵ月に300万人もの人数になる外国人観光客が日本に来たとなると,単純計算では1年間では3600万人にもなる。そうなるとわれわれは,彼らが「円安効果」をタップリ堪能できている「日本旅行の優雅さ」を,それもとくに観光地に暮らす人びとは毎日,目前の光景としてみせつけられている。

 そうしたなかで,「自分たちの貧困化した生活実態」じたいを,いよいよ本物の体感として学習させられるほかなくなっている。それが大多数の人びとが属する「一般庶民側の立場」であった。


 ※-1 現時点にも通用する議論として「2019年10月4日」に試みていたアホノミクス批判をここから始める

 再度,『日本経済新聞』朝刊の日経コラム「大機小機」から話題をとりあげる。ただしここでは,その日付が2019年10月4日に書かれた別の「大機小機」が議論の素材となる。

 こちらの大機小機がかかげていたその標題は「安倍総理はレガシー作り」であった。だが,この字面を観ただけでも多分, “想像を絶して無理な話題作り” になっていた事実は,その後5年近くが経過した現在になっても,充分に納得がいく。

 安倍晋三が首相として憲政史上最悪・最低・最凶の,つまり,この国を破壊しまくった「幼稚と傲慢・暗愚と無知・欺瞞と粗暴」の人物だという評定は,アベをヨイショしたがる文筆業作家ならさておき,いまの時点(2024年5月)となってみれば否定できる者はいない。

 つまり,安倍晋三はすでに故人になっているからよけい明確に指示できる点は,この「世襲3代目の政治屋」「出来そこないだったボンボンの政治家まがいの人物」は,「虎は死んで皮残す」どころか,自分自身が残した「悪政・失政・愚政」の棚卸しを,残されたわれわれにさせるといった〈ツケまわし〉押しつけてから死んだ。

 安倍晋三はだから,なかでも「負のレガシー」ならば順調に構築してきた。一国首相として彼がとくに,第2次政権(2012年12月26日~2020年9月26日)を務めてきた時期は,日本というこの国が確実に弱体化していく「歴史の展開」そのものになっていた。

 このごろは「日本はすでに衰退途上国だ」という表現が使用されているが,直近における日本の惨状は,もはや「転落後進国」だと指称してもなんらおかしくないくらい,落ちぼれてきた。

 以上のように2024年5月時点におけるこの国の現状認識,そのごく基本線だけをごく一部分だけ紹介してみたが,まだまだ,最近の日本が現象させているこの国の凋落・低迷ぶりに関した話題は,あちらこちらにたくさん実在している。

 しかし,それらについてここでいちいち言及していたらキリがなくなるので,ここではひとまず,2019年10月4日の時点にまで戻っての議論となる。

 とはいえ,当時から安倍晋三のせいでクタクタのヨレヨレの,あれもダメこれもダメになりつくした「この日本の惨状」は,この「世襲3代目の政治屋」を大いに甘やかし,さんざんに増長させてきた「われわれの責任」でもあった。その問題はなかでも「忖度」ということばに象徴されていた。

 ということであり,4年ほど前の記述を以下に復活,再掲させる。その後のいま,またもや「世襲3代目の政治屋」の,たとえていえば「丸出だめ夫」ならぬ「岸田文雄」が政権の座に就いてからというもの,安倍晋三と同種ではないものの,そのダメさ加減だけは抽象面の把握として共有しえた「日本の政治への異次元的な弊害性」の発揮は,この国をますます死に体同然にまで追いこんできた。

 しかも,岸田文雄の場合においても問題になるのは,当人が「自分がそのような役回りを演じているという自覚が皆無である」事実であった。この首相はこの連休中,外交ならぬ単なる外遊にまたもや勤しんでいるが,バイデンの小間使いみたいな任務遂行しか分担できないこの世襲3代目の政治屋」もまた,「日本の恥,つまり国辱ものの人物」であった。

【参考記事】


 この※-1の全体の記述に関しては,つぎの要点2つを最初に挙げておきたい。

 ▲-1 安倍晋三という無策・極右・反動政治家にゴマを擦る文章を書くコラム記事など不要

 ▲-2 安倍晋三の為政(内政と外交)のせいで,破綻・沈没を覚悟させられているのが,現状における日本国の沈滞・惨状

本稿※-1からの要点2つ

 ところで,ブログ『くろねこの短語』2019年10月4日が当時,こういうふうに語っていた。

 「無教養な世襲政治屋が政権の座に居座っていることが,この国にとって最大の『国難』ってことなんでしょうねえ」

 註記)http://kuronekonotango.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-3186da.html

 また『植草一秀の「知られざる真実」』2019年10月3日は,「アベノミクスで庶民の暮らしは真っ暗闇だ」と断言していた。

 註記)http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-91d87b.html

 以上,適切だと判断してよかったアベノミクス〔およびアベノポリティックス〕に対する断罪的な発言は,その後における「いま:2024年5月」になっても,そのまま当てはまる。われわれ庶民の日常生活にまるで死垂のごとき〈歴史的含意〉を提供しつづけてきたのが,安倍晋三君の下手な為政であった。

 安倍晋三っていう男,本当に「〈罪な男〉としての世襲3代目の政治屋」であった。しかし,この男は2022年7月8日に霊界に旅だっていた。いまごろもまだ,その道中はきっと悪路に苦しめられているものと推察する。

 

 ※-2「〈大機小機〉安倍総理はレガシー作りを」『日本経済新聞』2019年10月4日朝刊19面「マーケット総合2」

 本日「本論」となる記述は,この日経のコラム記事の引用から始める。

 --わが国でもっとも必らず必要とされながらもっとも困難な政策は「社会保障の肥大化を抑えつつ,必要な財源を賄うこと」である。後世代に負担をつけまわさず,安心で安全な社会をつくることが政権にとって最大の責務だからだ。将来不安を軽減する社会保障の構築は消費を促す成長戦略でもある。

 しかしそれは,厳しい歳出削減と増税の組みあわせを意味するので,政治的には危険な道だ。短期的には国民や経済に負荷を与え,国民の賛同はえがたいので,歴代の政治家は手を付けないまま放置してきた。これが今日まで,国民の将来不安を招いて消費が伸びず,借金が膨れ上がってきた最大の理由だ。

 補注)れいわ新選組代表山本太郎が盛んに議論している税制(とくに消費税)の中身について,この「コラムを書いた人物」:ミスト氏〔この人は森信茂樹であった〕は,どう受けとめているのか。無視しておけばいいという考えか。肝心と思える世の中の「特定問題に関した議論」をすっ飛ばしておいて,それでまともな対話ができるのか。 

 さて,安倍晋三総理の在職日数は〔2019年〕9月24日,佐藤栄作氏を超えて戦後最長になった。11月20日には桂 太郎氏を抜き歴代最長になった。振り返るとアベノミクスは周りの景色を一気に変えることには成功したが,成長経済への道筋はなお不透明で,デフレ脱却が確実になったとはいいがたい。

 補注)こうした安倍晋三の為政に対する評価は,単に上っ面をなでまわしただけの,しかも空虚な実体のない表現になっていた。安倍はいままで長期間政権を担当してきたにもかかわらず,レガシーに相当する実績(もちろん「正」のそれ)はなにひとつ残せていない。

 その指摘「アベノミクスは周りの景色を一気に変えることには成功したが・・・」の表現のうちで,その「一気に変えること」とは「日本国破壊」を意味していた。この点は,いまの時点(2024年5月3日)になったところでも,それこそ贅言を要しないほど明解であった。

 仮になにかがあったとすれば,それは「安倍晋三」流に単なる「やってる感」だけに終始してきたところの,いいかえれば,実質において日本の社会経済をひたすら疲弊させ破壊するだけの,ただひたすらに「粗雑で乱暴な政治手法」に関する〈確かな記録〉であった。

 この安倍晋三の為政の,そのカラッポさを評価するという意味では,逆説的な表現をとってまさに書かれていたかのような,この日経コラム「大機小機」は,実際には “故意に不透明な皮肉” を述べていると解釈することも可能である。

〔コラム記事に戻る→〕 在任中に2度も消費税率を引き上げたことは大きく評価すべきだ。だが,もとをたどれば,旧民主党政権下で「社会保障・税一体改革」として企画され,みずからの関与のない三党合意で立法化されたもので,安倍総理のレガシー(政治的功績)とは呼べない。

 補注)安倍晋三が首相在任中に消費税を2度上げた点については,これが「彼の実績(レガシー?)にはならない」という議論・評価の仕方そのものが,かなり奇妙な立場,腸捻転的な姿勢を示唆していた。

 すなわち,なにかを混ぜっかえすかのような口調が含まれていながらも,あえていいたい点をぼかしておきたいのか,舌先がチロチロとみえかくれするだけの “ものいい” になっていた。

 要は,消費税率の引き上げ問題に関してとなれば,もともと安倍晋三の介在は考慮外とみなしてもよいという理解になるのか? なんとはなしであっても,いわずもがなであったかのような調子をみせながら,「その問題の輪郭を明確には浮上させない」かのような説明は,かえってなにもいわないほうがマシではなかったか?

これは事実の指摘

〔記事に戻る→〕 2度の消費増税〔8%から10%へ〕にもかかわらず,国と地方を合わせた長期債務残高は1100兆円を超え,財政赤字が経済に与えるリスクのマグマはいつ噴き出してもおかしくない。待機児童対策などが不十分な,少子化と高齢化で継続的な人口減少がみこまれている。賃金の伸びは停滞し,中間層の二極分化も始まっている。

 補注)2012年12月26日に発足した第2次安倍政権は,この記述(原文を最初に書いていた)の時点で,すでに6年と9ヵ月の時間を経過させてきた。しかし,ここで指摘されているごとき現実問題にまともにとりくみ,それなりになんらかの成果を挙げることができていたのかと問われたら,この答えは「否」であった。

 安倍晋三がなにをやろうとしてきたのかと問うまえに,そもそものより肝心な問いを提示するとしたら,安倍はすでになにをやってきたのかについて,これをじかに問わないようなコラムの発言(コラムニストの立場)は,いささかならず無責任だとまで,逆に非難されて当然であった。

 その発言は,単に自身がいいたいことだけを,アトランダム(思いつき的に)口にしているだけであって,それこそ議論の焦点が明快ではなく,単に垂れ流し的な発言がめだっていた。

〔記事に戻る→〕 9月には全世代型社会保障検討会議が立ち上がった。議論すべきことは自明だ。国民が安心して人生100年を送れる社会保障改革をおこなうこと,それを裏づける財源を明確に示すことの2つだ。

 具体的には団塊の世代が全員後期高齢者になる2025年までに,消費税率を少なくとも3%程度上げておくことだ。それがなければプライマリーバランスの黒字化も,社会保障の持続性も保証されない。

 補注)山本太郎が消費税に問いかけている基本的な疑問に対して,なにも答える気はないまま,上の記述内容は自問自答しているらしい。しかし,それでは空虚なやりとりにしかなりえまい。

 前段でいわれていた「2025年までに,消費税率を少なくとも3%程度上げておくこと」とは,現状の消費税10%にさらに3%を載せて,13%の比率にまで上げろという話(提案)である。

 前掲の図表をよくみるまでもなく,この種の主張がいかに身勝手な財界側の立場からの意見に過ぎなかったことは,一目瞭然であった。

 つぎの類似の図表をさらにかかげておく。安倍晋三政権が庶民の生活経済を少しでも考えた内政をおこなっていたとは,とてもではないが,全然いえなかった。つまり,いつもその逆方向であった。

日本企業の活力はこのためにかえって劣化したとも指摘された

内部留保ばかりにはげむが設備投資にそれを使わず
かつまた労働者の賃金引き上げに回さない

ましてや社会貢献にもお裾分けしない

とくに2013年度からの第2次安倍政権は
消費税と法人3税の関係を露骨に反転させてきた

〔記事に戻る→〕 引き上げ方は潜在成長率の範囲内で,毎年1%程度ずつ3年かけてというような方法が望ましい。この道筋を示すことこそ会議の目的であると同時に,安倍総理のレガシーとなる。(ミスト)(引用終わり)

 以上のごときにミスト氏(森信茂樹)が書いた「コラムの意見」を全部読んでみて,なにが感じとれるか? それは,実体の不確かな,中身のつかみにくい主張であった。

 とりわけ,最後のつぎごとき「消費税の上げ方」に関する意見具申には恐れ入った。「潜在成長率の範囲内で,毎年1%程度ずつ3年かけてというような方法が望ましい」などといった提言は,実質的にはむなしい主張であった。そもそも,当時において「潜在成長率」という経済事象など,もとより存在しえなかった。

 「▲カな提言」とまでは断定的に評価はしなくとも,ほとんど「現実無視の消費税率の上げ方に関したその種の発想」については,「日本経済の潜在的な成長力(可能性)を無視した認識」として,根本から徹底的に批判されておく必要があった。

 山本太郎れいわ新選組代表が参議院選挙期間からいまも続けて説明している消費税の問題は,すでに前段に参照してみた統計図表の中身を観れば,その核心は即座に理解できたはずである。

 ここではさらに,消費税収と法人3税の関連を図表化した統計を紹介しておきたい。同じ趣旨の図表だが,原資料に対して『しんぶん赤旗』が色づけを変えて報道に利用していたものを参照しておきたい。

財務省公表資料より作成
つぎの図表を同一である
棒グラフの色づけが異なっている
こちらでは下の表の内容について
すでに実行されている項目がある


 補注)こういう点に注意したい。「消費税が導入されてから〔上の図表の時限まで〕国民から集めた消費税は372兆円。…… しかし社会保障は改悪の一途。どうしてこんなことになったのか。同じ時期の法人3税の減収は291兆円。消費税の8割が法人税減収の穴埋めに使われたのが実態」であった。 これは税制上の国家的な詐欺行為。

 財界人はなにかについては消費税上げろ,代わりに法人税は下げろ,この1点張りである。自分たち「本来の使命である企業の革新」はないがしろにしておきながら,かつまた,従業員にはろくに給料を払わずして(それでも最近は人事・労務経管理体制事情を反映させて給与水準をあげざるをえなくなってはいるが),経営体制の変革などどだいできるわけがない。

 いまは,AI技術の新展開がかけ声やかましく叫ばれる時代であるが,この新傾向の潮流にいかほど日本の会社が積極的に挑戦できるのか,まだまだである。その割には,いままで内部留保だけは1人前にタップリ溜めこんでいる大企業が存在する。しかし,それを積極的な投資にまわせるだけの知恵も勇気も萎えさせてきた経営者たちだとしたら,今後において熾烈な国際企業競争に対峙させられたさい,それと戦い勝てるのか?

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【断わり】 「本稿(1)」の「続編(2)」のリンク先・住所は,以下となる。

  ⇒ https://note.com/brainy_turntable/n/n809fb89a228e

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