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岸 信介の外孫で統一教会と近しかった安倍晋三を狙撃した宗教2世山上徹也は真犯人か疑われる余地あり,事実に即する再検討を示唆した孫崎 享

 

 ※-1 孫崎 亮の寄稿「〈日本外交と政治の正体〉安倍元首相を銃殺したのは山上被告なのか… 犯人が別にいるのであれば,世紀の滑稽譚に」

 上の記事「見出し」は,孫崎 享が『日刊ゲンダイ』2023年4月13日に寄稿したその文句である。後段の記述中に,その紙面を画像資料として紹介もする記事の見出しである。
 付記)冒頭の画像は「【安倍元総理銃撃事件】奈良県警と奈良医大の食い違い! なぜメディアは追及しない!? Shinzo Abe」『飛距離アップ研究所 かっちゃんねる /』2022年9月放映,https://www.youtube.com/watch?v=783D0HQ2K7s から,2023年4月14日検索。

 2022年7月8日(金曜日)の午前11時31分ごろに発生した,政治家:安倍晋三が狙撃され死亡した事件は,いまでも記憶に鮮明に残る出来事であった。

 安倍晋三元首相は,その2日後の10日(日曜日)に控えていた参議院選挙に立候補した人の応援演説のため,奈良市の近畿日本鉄道大和西大寺駅北口付近にて演説を始めた。

 するとその直後,この演説会場に来ていた統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の「宗教2世:山上徹也」が,手製の散弾銃を用いて安倍を狙い,撃った。安倍はこれに被弾し,夕刻に落命した。

 ところで,安倍晋三が死亡したその正確な時間は,夕刻17時03分と報告されているが,この時刻をめぐっては,単に事件を特定するといった「捜査上の手順そのもの」より「以上・以外」とでも称したらよい「疑念の余地」が残されていた。

 そのあたりの問題も含めてとなるが,孫崎 享の寄稿「記事」に提示されたいくつもの疑問点は,いまもなお残されており,その解明が「必要かつ十分に」なされてきたとは,全然いえない。

 以下に,孫崎 享の寄稿「記事」を掲載した『日刊ゲンダイ』「紙面」を紹介し,本ブログ筆者の議論を始める手がかりにしてみたい。

『日刊ゲンダイ』,孫崎 享「寄稿・記事」

 上に紹介した孫崎 享の寄稿「記事」は,2段目の段落からすぐに,安倍晋三銃殺事件について,はたして,山上徹也が「真犯人であるのか?」という疑問がありとされてもおかしくはないという具合に語り,「特定の事実関係が残置されている現状」に言及していた。

 本ブログ筆者は,その3段目の最後の段落から4カ所を,紫色⇒赤色⇒緑色⇒青色の枠組を使い分割して表示してあるが,それぞれの段落に関していちいち疑念あり受けとめている。

 いいかえれば,それらの「各問題をさらに吟味する余地がある」ことが,現時点において不要であるとはみなしていない。この吟味する作業はのちの段落でおこなうことにする。

 前段のように考えてみたところに,つぎの昨日,『毎日新聞』2023年4月14日の夕刊「オピニオン」欄であったが,つぎの意見が語られていた。
 

 ※-2 論説委員佐藤千矢子「暗殺史と山上被告」『毎日新聞』2023年4月14日夕刊2面「オピニオン」から

 安倍晋三元首相の銃撃事件で,山上徹也被告が追起訴され,一連の捜査が終わった。7月8日には,安倍さんの一周忌を迎える。政界の注目は,自民党最大派閥・安倍派の新会長選びに集まるが,私は,歴史的事件の背景を考えなおすことに,より関心がある。
 補注)※-1に登場させた孫崎 享は,安倍晋三を狙撃し死亡させた真犯人は山上徹也でない可能性を示唆していた。一方,この『毎日新聞』論説委員佐藤千矢子は,暗殺問題を歴史的背景のなかで考える必要性を訴えている。

 首相経験者の暗殺は,1936(昭和11)年の2・26事件以来で,戦後では初めてだった。

 安倍さんの事件は,歴史的にどう位置づけられるのか。もやもやを抱えながら約9カ月間を過ごしてしまったが,先日,月刊誌『Voice』で,そんな疑問に光をあててくれそうな試みに出合った。

 近現代史研究で著名な,帝京大学の筒井清忠教授が「近代日本暗殺史」という連載を始めた。

 暗殺(政治的殺人)には「文化的・歴史的要素との関連性が高い」という特徴があり,現代の暗殺を考えるには,近代暗殺史の理解が不可欠だという。

 明治時代の暗殺は,西欧化推進の士族が,ナショナリストの士族から狙われたケースが多かったそうだ。大久保利通内務卿が暗殺された「紀尾井坂の変」は代表例だろう。

 だが,大正時代になると,その傾向に変化が表れるという。大正編の掲載はこれからだが,教授に話を聞くと,農村や下町出身者の生活や家庭への不満からの暗殺が増えていくのだという。

 原敬暗殺事件,昭和初期の血盟団事件,5・15事件,2・26事件は,軍人が動いたか否かなど事情は異なる。ただ,背景には,富裕層を守る政党政治への不満といった格差問題があった。山上被告の事件も,大正時代からの暗殺史の延長線上にあるのではないかというのが,教授の分析だ。

 山上被告の母親が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に多額の献金をして家庭が崩壊したことが事件の引き金とされ,政治は,宗教法人への不当な献金を規制する法整備をして,答えを出した。

 さらに視野を広げれば,いったん貧困に陥ったら,なかなか抜け出しにくい格差社会の問題が,背景になかっただろうか。

 山上被告の行為は許されるものではない。だが,落ち着いて考えられるようになったいま,歴史に照らして背景や原因を分析し,教訓をうる作業が求められているのではないかと思う。

『毎日新聞』論説委員佐藤千矢子

 a) しかし,この「近現代日本における暗殺」の史問題を考えるさい,この種の問題にまとわりついてくるほかない「陰謀」や「策略」の要素が,それでは完全に否定できるかといったら,実はまったくそうとはいえない。この側面の問題性もまた,軽視できない重要な要因である。

 ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺事件はその典型的な実例であった。このアメリカの政治家が殺された事件の真相は,いまだに解明されていない。誰かにわざわざ解明などされないようにと,どこかからかの圧力や脅迫がいつも発生していたといって,過言ではない。

 すべての暗殺事件というものがそうだとはいわない。そのように考えるう必要は全然ない。けれども,安倍晋三を狙撃し死亡させた山上徹也の場合,依然いくたもの疑問が残されたままである。それでいながら,ひとまず山上故人による犯行だったと,まるで120%は決まったかたちで処理されている。当人は,いまは公判を受けている身である。

 しかし,※-1において,孫崎 亮が寄稿の最後を「私はいろいろと推測しているが,ここでは事実を記述することに徹したい」と結んでいた点に触れたあった。けれども,この種の発言は「事実の記述に徹していき」「推測してい」く究明の過程をとことん詰めていけば,もしかしたら「安倍晋三を射殺した犯人」は山上徹也ではなく「第3の狙撃手」が潜んでいたかもしれないという推理を,否定できなくさせる。

 b) 安倍晋三が暗殺された直後からSNS界隈ではそれはもうやかましく,「第3の狙撃犯」の介在を説く者が多数登場していた。その一例としてつぎの記述を挙げておくことにしたい。

 「安倍晋三総理襲撃事件でやはり山上徹也は,囮だったのかビルから狙撃去〔さ〕れた可能性が在ります」
 『yoshikazu blog』2022-08-16,https://blog.goo.ne.jp/yoshikazu0416/e/e05de480849c8272adc5b00ca4a1d8d7

「第3の狙撃犯」が介在か?

 この題名に誤字が残したままのブログの記述のなかには,つぎのような図解がもちこまれていた。このなかに指摘された「疑問点」じたいはまっとうな指摘をしており,けっして陰謀論的な傾向に走った意見ではない。公式に発表された中身を図解に表現している。

安倍晋三遺体司法解剖-奈良県警「司法解剖」と福島英賢との見解相違は
あまりにも明白というか露骨である

 c)「【安倍元総理銃撃事件】奈良県警と奈良医大の食い違い! なぜメディアは追及しない!? Shinzo Abe」『飛距離アップ研究所 かっちゃんねる /』2022年9月放映,https://www.youtube.com/watch?v=783D0HQ2K7s と題したユーチューブ動画サイトは,明らかに素人筋からの分析であったが,本ブログ筆者もまったく同じに感じていた疑問を投じていた。

 このユーチューブ動画は,以下にようにその疑問点をわかりやすく図解にしてあったので,このなかから5点を引き出し参照する。当時から「疑問が残置されていた事件のその後」はまさに,なお「いまの問題」でもある。

① の射入口が心臓に達した弾丸の軌跡
② の射入口
奈良県警の見解は不自然な指摘
国民を小バカにした奈良県警の見解
奈良県警は独自の見解?

 以上の「【安倍元総理銃撃事件】奈良県警と奈良医大の食い違い! なぜメディアは追及しない !? 」と題したユーチューブ動画が訴えた核心は,疑問点としてはたいしてむずかしい内容ではなく,誰でもが簡単に理解できる「事件の中身」であった。

 となるとあとの問題は,なぜ「この程度に簡単な事件」の謎解きを,大手マスコミ・メディアがいっさいといっていいくらい「おこなおうとさえしてこなかった」のか,という基本的な疑念が湧いてくる。

 たとえば大手の新聞社の記者たちはもちろん,記者を職業とする人たちは,以上に指摘した「安倍晋三暗殺事件」に関する疑義をしらないわけがないと推察する。この種の疑問提起をましてや「陰謀説」だといいつのり,排除したがるその姿勢にこそ,きっとなにかの「陰謀めいた意図」が,どこかの誰かによって仕組まれていたのではないかと,勘ぐられるのがオチである。
 

 ※-3 孫崎 亮の寄稿「〈日本外交と政治の正体〉安倍元首相を銃殺したのは山上被告なのか… 犯人が別にいるのであれば,世紀の滑稽譚に」の含意

 ※-1に紹介した孫崎 享の寄稿記事のなかでは,3段目最後の段落から4カ所に分割しつつ,「紫色⇒赤色⇒緑色⇒青色の実線」でそれぞれを枠内にかこんでおいた。そのように,指示してみた段落ごとの文章の内容ついては,いちいち吟味しておく必要があると感じたのである。この吟味は,前項※-2のごとき「疑問提起」に対応する内容になるはずである。

 まず3段目の最後,紫色で囲んだ文章は,安倍晋三が狙撃されたあと,いったい何時何分ごろに死亡したのかについて,ウィキペディアには夕刻の17時03分だと説明している。

 夫の身に起きた事件の発生をしって急遽,奈良医科大学に駆けつけた妻の昭恵が,同大附属病院に搬送され治療(延命措置)を受けていた晋三に会えたところで,その時刻以降に彼が死亡したという説明になっていた。
 
 しかし,安倍晋三の治療のためにというよりは,むしろ延命策(救命措置)として実行された措置として,14リッターの輸血がおこなわれていた。この場合,大量出血のさいに主に用いられる “赤血球の輸血(赤血球製剤)” は1単位=140ml であるから,安倍の治療にさいしは輸血(赤血球製剤)の100単位が使用されていた。事実,異常に大量の輸血がなされていた。

 事件発生直後の判断・分析としては,そう簡単には実証的に議論できなかった嫌いがあったにせよ,現時点になってみれば,その大量の輸血にいかほどの効果があって,また延命策としてどれほどに意義がありえたのかという医学的な評価が厳密になされる必要がある。

 その点は元首相の安倍晋三であったからどうだこうだという次元の問題とはまた別に,純粋に医療の問題として議論されるべき検討課題である。

 さてここからは,以上のごとき前提となる言及も踏まえて,前段,孫崎 享の寄稿記事から本ブログ筆者が抽出・指定してみた最後部の ① ② ③ ④ の各段落についてそれぞれ検討してみたい。

 ① について。

孫崎 享・1

 この ① は,福島英賢(ひでただ)教授が説明した安倍晋三の被弾部位や死因の分析と関係して,その死亡時刻についていうと,はたして夕刻の午後5時03分であったのかどうかをめぐり,疑いが皆無であるとはいいきれない節があった。

 たとえ「救急救命(?)としてであった延命治療(!)」ができるかぎりほどこされがたゆえ,その死亡時刻にまで延命するための措置が実現できていたとしても,実質,狙撃された時からすでに心肺停止状態になっていた安倍晋三の容体に関してとなれば,死因となったはずの「銃弾が心臓を損傷していたという診断」(奈良医科大学福島英賢)が,まず第1に留意されて当然の事項となる。

 だが,安倍晋三が被弾した直後から,死因となってどのように容体が経過していったのか,時間の経過とともにその症状にどのような変化が起きていたのかなど,死因に関係する要因として詳細に語られてはいない。

 それは,福島教授自身が一番よくしる事実・経過であったはずであるから……。しかしというか,しかも奈良県警の見解と,最初から治療をほどこしてきた医師の報告の内容とが,まったくと形容していいくらい,無関係だとみなせるほどかけ離れていた。 

 ② について。

孫崎 享・2

 この ② については,安倍晋三が狙撃され死亡するに至った事件が発生した2022年7月8日以降,非常に多くの,それも素人筋を中心とする分析--つまり刑事畑関係の有識者は退職者であってもほとんど登場しておらず,その代わり医療以外の分野の人びとが多かったという観察にもとづく--が,とくにユーチューブ動画サイトに公表されていた。

 安倍晋三「殺人事件」には,第3の犯人:狙撃手がからんでいて犯行に及んだという「物語:筋書き」が盛んに唱えられてきた。この推論は,山上徹也が手製の散弾銃で発射させた1弾に込められた6発のパチンコ玉を発射したさい,その殺傷力の問題に関連していた。なお山上徹也は2連銃の散弾銃を製作し,犯行時にはその2発とも発射した。

 通常の散弾銃だとその粒の大きさにもよるが,大体800〜900粒の小さな弾丸が発射され,おおむね50m以内で最大の威力を発揮するとされる性能・威力を有する。それに比較して,山上徹也の手製の散弾銃だと,その1弾:6発がどのくらい「距離」を飛び,またどのように「空間」を広がっていくのか,具体的に解明されていない。

 あるいはどこかで,その種の実験が試みられているかもしれないのに,その結果が世間によく伝わるようには公表されていない。そのように受けとってみて,けっして不自然な理解にはならない。

 事件が発生してから犯行現場の実況検分や現場検証がまともになされていたのかについては,素人のわれわれにも疑問を抱かせた捜査をしてきたのが奈良県警であった。

 なにやらあれこれと,不必要にもたついて捜査していたようにも映るし,とくに,事件5日後になされた2回目の現場検証については,公道でも大通りである事件現場を,時間がだいぶ経ってから再度実施したりで,なにかと首をかしげる捜査になっていた。
 
 ③ について。

孫崎 享・3

 この「世紀の滑稽譚」になる可能性ありやという指摘は,万が一にも犯人が別にいるのであれば」という限定を設けてはいるものの,かなり「その方向で検討の必要があるのではないか」という語感を漂わせていた。

 もしも「真犯人」と呼ばれるべき「第3の狙撃犯」がいると仮定したら,このような詮索をしている本ブログ筆者の立場は,けっして不当でも的外れでもないはずである。

 問題の問題は,なにゆえこうした疑念が残されたまま,とくにマスコミ・メディアがこの記述で指摘している疑義をとりあげようとする気配すらないところが,いまでも不思議に感じる点になっていた。

 昔,3億円強奪事件といい,東京都府中市で「白バイに扮装したニセ警察官」に現金輸送車が奪われるという事件が起きていたが,この事件は迷宮入りしていた。当時の3億円といったら,現在の10億円以上には相当する。

 安倍晋三の殺人事件の真犯人は山上徹也に絶対,間違いがなく,これで決まりだという以前に,その死因について当事者・関係方面において完全に矛盾・対立する見解が,いまもなおそのまま垂れ流し状態になっているのは,本当に奇怪な事態である。

 ④ について。

孫崎 享・4

 以上のように発想(疑義)を抱いて「安倍晋三・射殺事件」をみなおす必要があるのだなどといいだすと,それは「陰謀説」に囚われた者の妄想だと反論(反撃)されやすい。

 しかし,今回の事件は「首相暗殺事件」だった以上に,いうまでもなく格別に重大な出来事であった。にもかかわらず,当局側(警察庁・検察庁)の対応ぶり,その発生直後からであったが,捜査過程における挙動に関しては,不徹底ないしは挙動不審にも感じられる局面がみられた。

 なかでも安倍晋三が狙撃されて体内に盲管銃創として残されているはずの弾丸がみつからないで,どこかで紛失したかのように説明されてもいて,いくら修羅場での対応とはいっても,この種の殺人事件に対応する姿勢としてみるに,ある意味,ひどく弛緩した「なにかの介在」を嗅ぎとるほかない気分にさせられた。
 

 ※-4 まとめとしての議論

 2022年7月8日に起きた「統一教会・宗教2世・山上徹也」の怨恨を買った安倍晋三「射殺事件」をめぐっては,いまだにまともに解明されていない問題性が残されている。

統一教会とは親密だった安倍晋三


 奈良医科大学で安倍晋三の救急救命治療に当たった福島英賢教授の説明と奈良県警の司法解剖結果とが,まったく噛みあっていないどころか,まるで別件の医療事例であったかのようにして,同時進行的に,世間の側に対してその関連情報が流されてきた。

 素人目にもおかしいと,それもしごく簡単に感じられる「死因の分析結果」は,奈良医科大学の福島教授に対するよりも,奈良県警側の司法解剖として公表された結果に対するほうが,世間の側からできる判断に照らしても,たいそう奇妙に受けとれた。なお,その司法解剖の担当医も奈良医科大学の教員であった。

 この記述全体は興味本位の関心からした議論ではない。安倍晋三射殺事件が起きてからしばらくのあいだ,ネット上にたくさんの関連する記述が公開されていた。現在の時点となれば,それらの記述のなかには,事件の追及にとって有益な解明をしたものも,けっこうな分量として所与になっている。

 安倍晋三が山上徹也に狙撃され死亡した事件であったが,ごく初歩的というか常識的な次元で,それも素人が自分たちなりに努力して考え,事件の核心はどこにみいだせるのかと理解しようとしてきた。

 事件の性質上,この種の殺人の事例はその道の専門家や研究者がいないわけがないのに,なぜかこちらの「識者」からの分析や説明があまり聞こえてこなかった。

 一国の首相がである,たとえこの「世襲3代目の政治屋」の七光り的なボンボンの甘ちゃん君が,いかにダメな国家最高指導者であったにせよ,殺人事件の被害者としてどのように命を奪われたのかについて,いい加減な始末の付け方をしているようでは,一般市民たちの関係当局側に対する信頼感を落としかねない。

 地元の医大で治療に当たった優秀な担当医・教授が記者会見で公表したさいの「安倍晋三が被弾した上半身に関した受傷に関する説明」と,警察側の立場でやはり同じ医大の別人の教員が「司法解剖した結果」とは,まったく別の事件に関した「診察」と「所見」であったかのように,すなわち,体たらくにも不一致ぶりをさらけ出していた。

 要は,いまでもネット上にはたくさん,その付近の疑問に関した疑問や批判が公表されているけれども,とくに

 a)「銃撃そのものがなされた時の現場の状況」

 b)「その発射された方角」

 c)「第3の狙撃手が居た」のではないかという疑い。

 d)「山上徹也が使用して手製散弾銃の特徴・性能」が,被弾した側が受ける致死力の点に関して,まともな説明がなされていない。

 e)「奈良医科大学」と「奈良県警」のあいだには,なぜか,事件の発生後から一貫していまでもなお,安倍晋三が被弾して死亡した原因に関してだが,相互間に「決定的な齟齬」を残されたままである。

 f)「被害者の体のなかに当初は残存していたと思われる弾丸1発」が,いつ・どのように紛失したのかさえ,ろくにその事情が判明していないままである。

 もしかすると,疑いが抱かれた点を,さらに詰めて指摘するとしたら,山上徹也の手製の散弾銃から発射された弾丸ではない「弾丸」が,安倍晋三の体内でみつかっていたのではないか。
 
 つまり,当初は「盲管銃創」となっての胸部のどこかに存在したはずのその弾丸は,どこかの段階で隠蔽されており,もとからないもの(みつからないもの)にされたという推理もできる。

 事件当日の出来事を時系列的に追跡していけば,そのような操作(紛失工作)をする隙間となる時間は,いくらでもあった。そのように推理があってもおかしくはない。

 g) 以上の f) の指摘は,狙撃されて心肺停止状態になっていた安倍晋三が奈良医科大学に搬送される途中に関したものだとなれば,警察関係者の立場にある者たちが細心の注意を払って「そのような紛失が起きない」ように対応することは,警察関係者にとってイロハの仕事ではないかと思う。

 逆にいうと,そのイロハの要領にしたがい「問題の弾丸」をなきものにしておくことも不可能ではない。これはいいすぎではなく,一度は想定してみるべき推理としてならば,あっていいものである。

 要するに,山上徹也による安倍晋三「狙撃・殺人」の事件が,本当に山上自身の犯行だったのかと疑わせるような材料ならば,この事件の途中において何点も露出していた。

 そうであるからこそ,疑問が抱かれて自然なのであって,今回のごとき事件の発生とその後の過程のなかでは,「奈良県警の対応ぶり」に関していえば,不思議さを通りこして格別なる奇怪さが露見させられていた。

 「山上徹也は非犯人説」をただちに「陰謀論」だと仕分けて片付けておきたい向きに対しては,まず最初に,前段のように記録されていた国家機関側の挙動不審,これが残した足跡に関する疑問を,さきに解明しておくことが必要ではなかったか。

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