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社会経営学という研究志向

 ※-1 マルクス主義的経営学の「滅亡の代替物と」して登場した研究志向のひとつが社会経営学

 この記述はいまから10年も前,2014年11月12日に一度公表されていた。その後,本ブログ筆者のブログサイト移動によって,ながらく未公開の状態に置かれていた一文である。

 日本の経営学史においてはその重要な陣営を形成・構築してきたはずの,批判的経営学(マルクス主義的経営学)の立場は,21世紀の現時点においてとなると,観るも無惨なというよりは,一見したところ跡形もなく雲散霧消したがごときに,つまりは,その志向性に即して研究が展開されてきた「文献史」的な記録以外,とりたてて注目されるべき痕跡がなくなっていた。

 しかし,隠れキリシタンだと形容したら適切どうか判らぬが,それでも批判経営学とも一括表現されていた「日本経営学史」において,それなりに非常に重要な理論的な地位を維持・誇示しえてきた「批判的経営学」が,前段のごとき時代の流れのなかでみせた衰退傾向によって,そのすべてが日本の経営学界のなかから消え去ったのではない。

 いってみればその衣鉢を継いだ人びとたちが,一定の勢力となって,「ソ連邦崩壊後」になってもめげずに,必至になって「批判的経営学」の学問路線を維持・発展させるべく,それなりに懸命に努力をしてきた事実も記録されている。

 その点では,批判的経営学の立場・思想を継承しつつ,さらに発展させるための努力をしてきた人びとの存在と,そしてこれらの学究がどのようにその後における「社会科学論としての経営学」を,さらに展開しようとしてきたのか,これに関心を向けて紹介することは,意義のある作業だといってよい。

 以上が,本日:2024年4月8日に本記述を復活させるにあたり,今日的にその問題意識をあらためて説明してみたものである。ソ連邦が崩壊してからすでに35年ほどが経過した現在,マルクス主義的経営学がはたして,学問・理論としての価値を,いまもなお,社会科学の本質論・方法論として維持しえているのかと反問されたとしたら,そのときはこう応えておく余地があった。

 すなわち,1990年前後にバブル経済が破綻したあとの日本の経済・産業・企業は,かつて「ジャパンアズ No.1」といわれるほど世界経済において圧倒的な優位を占めていた立場であったけれども,2023年になるとGDPの比較では,ドイツが第3位になって追い越され,世界第4位にまで落伍した。なお1位はアメリカで,2位は中国である。日本じたいは今後もさらに,その順位を下げつづけるしかない。

 なかでも,もっとも特長的に「日本のダメさかげん」を端的に表現した「比較指数」が,ジェンダーギャップ指数であった。2023年における日本の「ジェンダーギャップ指数」は世界125位であって,なんと,この順位は過去最低となった。

 この国:日本の政治・経済がいまだに改善する方途をみいだせないでいる惨状は,あの自民党と公明党の野合政権が「パー券裏金」問題で世間を騒がしていながら,そのいいわけに関してすら,さらにウソをいいつづけ,国民たちを騙しつづけていくしかほかに手がないといったような,いってみれば,完全なる「体たらく三昧」の「末期的な症状」が常態となっている。

 2024年の元日には能登半島地震が発生したが,4月3日に台湾の東部沖で起きた地震(M7.4,震度6強)が発生したさい,事後において被災者の救援・支援に関してとなると,日本がいかにひどくお粗末な救援・支援の体制にあったかが,明確に比較されてしまった。

 たとえば,日テレニュースは「台湾地震 発生後3時間で避難所… スピード開設ができたワケ」2024年4月5日 17:17 という見出しで,また「『TBS NEWS DIG』は「冷房完備・温水シャワーも… 台湾地震4時間で避難所設置,対応の早さなぜ? 【Nスタ解説】」2024年4月5日 (金) 21:38 という見出しで,その問題点をそれぞれ報道していた。

 ところが,日本の能登半島地震の場合は,多くの被災者がいまだに日常生活を取りもどせないでいる実態に取り残されている。この日本の実情は,まるで,被災地の人びとを平気で切り捨てているかのような姿勢に映る「日本政府・地方自治体」の,つまり,やる気もその気もないどころが,そもそも素っ気がなかった「自国民の保護体制」は呆れかえるほかない。

 台湾の救援・支援体制は,この国の政府が説明するところでは,2011年3月11日に発生した東日本大震災(ならびに東電福島第1原発事故)の発生によって日本国民たちに降りかかった被災状況をみせつけられ,あれではいけない,台湾も地震がよく起きる国ゆえ,災害有事のときはどのように自国民を保護すべきか,どのように支援するのかを検討してきたといい,今回の地震災害が発生したさいは,実際にその準備が活かされていたのである。

 ところが,日本は能登半島地震のときは,冬の寒い時期であったにもかかわらず,暖かい食事すら長期間,被災民には提供されていなかったという始末をはじめ,住居の問題もあいからず不首尾であって,避難民は当初から長期間,体育館・公民館で雑魚寝を強いられてきた。それでいて東京の国会付近では,自民党の国会議員たちの裏金問題でこの国のなかを騒がせる醜態劇が,続けられていた。

 「いまだけ,カネだけ,自分だけ」の政治・為政を平然とおこなっている岸田文雄政権であったせいか,政治の基本的な作法以前の,社会常識からして備わっていなかった。なかでも「世襲3代目の政治屋」たちが演じつづけてきた「見苦しいドタバタ劇」は,この首相みずからが現場監督となって制作・披露してきた物語であったから,ただ立腹させられるだけであった。自然災害の被災者救援・支援に不熱心である現政権の不真面目ぶりは,この国の本質をあらためて暴露させたことになる。

 現政権のもと,国民や国家の大事がいったいどこにあったのか,という基本的な認識すらろくにもちあわせなかった「丸出だめ夫」同然の「岸田文雄首相の采配」は,とうの昔から全国民の抱く憤懣を最大値にしていた。

 以上のごとき政治の話題に言及してみたのは,1990年以前であれば批判的経営学陣営のみならず,いわばマルクス的な思想傾向を支持する知識人や学究たちが,前段に論及してみた問題が登場したさいは,政権・権力側に対して真っ向から批判を差し向け,大いに議論を仕かけては,「政治・経済・社会の各次元」において必要となる形勢をととのえさせていくなかで,それなりに相互の批判がゆきかう状況も生みだしつつ,これに即してさらに,事態の改善や解決に向かう動向を造っていく場合もけっこうありえた。

 しかし,最近では立憲民主党に対して自民党政権側が,野党は批判しかしないなどと,きわめて不当な,つまり見当違いもはなはだしいイチャモンをつけていた。「批判なくして野党なし」という大原則を無視した「その種の反政治社会的な発言(発想)」は,本末転倒どころか,政治の基本構造に完璧に無知蒙昧である事実を教えていた。

 批判的経営学を支持するかとしないとかいった政治思想・イデオロギーにもからむ世界観・価値観の問題をめぐっては,日本の政治のなかでは野党的な勢力が弱体化させられたためか,関連する議論が不活発になっている。社会科学分野における話でいえば,筆者の関心では経営学の分野における研究の進展に阻害要因となるその種の悪影響は,1990年以降になるとヨリいっそう明瞭になってきた。

 以上の「2024年4月7日時点」における能書きを叙述してから,以下に連結させることになるのが,2014年11月12日に一度公表された「本論部分」である。

 

 ※-2 社会経営学の研究課題とはなんであったのか

 要は「社会経営学に新地平は開けるか」という関心がもたれてよかったのだが,21世紀も第1四半期が終わる時期になってもまだ,その予測は現実のものたりえないという判断をせざるをえなかった。というのは,この社会経営学とか,あるいは公共経営学と称した学問志向が現時点においては,まだ本物になったとみなせるほどの展開をみせえていなかったからである。

 以下に論じる内容は,いまから10年前の著作に関する吟味であったが,このあとにつづいて展開しているとみなせる研究業績がみつからない現状にある。この点も踏まえるかたちで,2024年4月段階での議論をおこなってみたい。

 1) 重本直利編著『社会経営学研究-経済競争的経営から社会共生的経営へ-』晃洋書房,2011年3月という本があった。

 重本直利編著の本書は「社会経営学」の研究方法を世に問う著作として公刊されていた。本ブログ筆者は,本書の執筆分担をしたある人から献本を受けた。

社会経営学研究・表紙とカバー

 本書は縦書き・2段組で本文 379頁であり,小さめの活字で印刷されている。同じA5判で1頁あたり 850-900字で組んだ本であれば,700頁近い分量になるはずである。ボリュームの話はさておき,本書はいわば「従来型の経営学」を方法転換させたい意図を提示している。

 前段で「従来型」と形容した経営学とは,日本の経営学界ではもはや《過去の遺物》とみまごう「かつての批判〔的〕経営学」を意味する。

 1990年前後に発生した世界政治経済情勢の急激な変動を契機に,マルクス経済学界・マルクス経営学界はその理論の内部を不可欠かつ有機的に構成していたはずの「マルクス主義思想(=イデオロギー)」に関していえば,それこそ筆舌に尽くしがたいほど大きな打撃を受けた。もっとも,自業自得でもあったが……。

 2) しかし「マルクスの経済学・経営学」そのものの理論的な有用性そのものが,当該学問領域の万事・万端において廃れてしまい,不要・無用になったとはいえない。かつての,この学問のありかたとはまた別様に,つまり「マルクス的な経済学・経営学」が現状分析や現実批判のために必要不可欠であり有効でもあるといった学的な認識は,けっして間違いではない。

 ところが,日本の経営学界における話でいうと,かつての「マルクス主義(的)経営学」陣営は,朽ちはてしまったかと思えるほどに体たらくぶりを体験してきた。要するにいまでは,その残骸さえみいだすのがむずかしいくらいに,無残な「今日の理論状況=興亡の軌跡」を描いてきた。

 その代わりというのも語弊がないではないが,「かつて批判的経営学の論者」であった学究たちが中心となってだが,それなりに布陣を組んで「社会経営学」という経営学理論の新しい企図に取り組んでいた。

 3) 本ブログの筆者は,この重本直利編著『社会経営学研究-経済競争的経営から社会共生的経営へ』晃洋書房,2011年3月20日を献本してくれた共著者に対して御礼の気持を表わす意味でも,早速,彼が担当する章などを中心に読みはじめてみた。

 なにせ小さめの活字で絶対的な著述分量が多い著作なので,その全部に目を通してからだとなかなか時間がかかる。ここまでで,ひとまず読みおえた範囲内で受けた印象を中心に,若干論評をくわえてみることにしたい。

 なお,重本直利『社会経営学序説-企業経営学から市民経営学へ-』晃洋書房,2002年という重本の単著が,上記編著に先行する研究業績として与えられていた。


 ※-3 論 評-重本直利編著『社会経営学研究-経済競争的経営から社会共生的経営へ』晃洋書房,2011年の解説

 1) 基本概念の解説的な記述

 重本直利編著『社会経営学研究-経済競争的経営から社会共生的経営へ』晃洋書房,2011年の基本概念は,「企業経営をめぐる今日的諸問題に向き合う経営学方法論とはなにか,という問いに発してい」た。

 すなわち,「今日的な諸問題を解決するうえで,既存の経営学方法論の限界を踏まえた問いを発し」たのである。社会経営学の研究方法は「経営概念の「社会的拡張」と「市民的豊富化」において,その限界を乗りこえようとしている(重本直利「はじめに」ⅰ頁)。

 「社会経営学〔研究〕と銘打った学問構想」を実現するため,その理論的な構築と展開に従事してきた「日本の経営学者」のなかには,マルクス主義的経営学者から転身してきた学究もいる。もっとも,マルクス主義的経営学への執着をいまだに抱いている経営学者は,この社会経営学のほうへ完全に自身を移動させることができないでいた。

 後者の場合はその意味で,いまでは,にっちもさっちもいかず,まさにゆきづまった学問状況に置かれ,呻吟してもしていた。というよりは,その大多数の経営学者たちは誰に断わるわけでもなく,いつのまにか学問の基本路線をなし崩し的に変質させていった。

 つまりとくにその場合,過去においてマルクス主義経営学が犯し,そしてはまりこんでいったその「学問の反省」をほとんど伴わせないまま,それでいて,都合のいい身勝手な変身だけを現象させていた。

重本直利・画像

 重本編著の「はしがき」を読んでいると,なぜ,マルクスの思想=衣鉢を生かすべき批判的経営学「理論」の展開内容が,21世紀へとつなげていくための発展経路を独自に開削できなかったのか,という〈率直な疑問〉が湧いてくる。

 日本の批判的経営学者は「マルクス経営学」を,マルクス経済学の観点・立場・方法からではなく,マルクス主義の思想・イデオロギーから教条的・観念的に構築していった。だが,この方途は完全に破産した。

 しかし,最低限でも,そのみなおし=棚卸だけはしておかねばならなかったはずの関係論者は,いつのまにか,どこへ消えてしまった? ところが,雲隠れしたつもりの彼らがその後もしばらくは,日本の大学で教鞭をとっていた。その事情は理解できなくはないものの,結局は,不思議な事象であった。

 ともかく本書,重本編著『社会経営学研究-経済競争的経営から社会共生的経営へ』は,こうもいっていた。

 「企業市民(コーポレート・シチズン)」ということばは「既存の企業経営がもっている質あるいは構造(システム)をその『内側』から変革する志向性をもったものではない」(重本「はしがき」ⅱ頁)。

 それは「株式会社としての『法人企業』の社会内でのあり方(位置づけ)を根本的に問い返すことが求められているのに」,外延的・部分的な変革しか期待できないからである。そこで「現在,社会の一構成要素としての企業経営を捉える方法が経営学に求められており,本書はそれを社会経営に関する学の構想(=社会経営学)において捉えている」(同上,ⅰ頁)。

 社会経営学の「視点は,けっして企業経営(経済合理性)からの視点ではなく,市民からの視点に立った経営学の構築である」

 「つまり,市民は経済合理性のみで生きているのではなく」「さまざまな分野・領域の諸関係のなかで生きている」

 「したがって,企業中心視点ではなく市民中心視点をすえた経営概念の構築である」

 「この経営概念を,社会における諸関係をいかに経営(マネジメント)するのか,つまり『社会経営』の概念において捉える必要がある」(同上,ⅲ頁)

 従来,マルクス経営学は「人民だとか・市民だとか・学生だとか・労働者だとか」のためを標榜する〈学問形態〉であった。ところが,社会経営学ではあらためて,こんどは〔も?〕「市民中心視点の経営概念の構築」が主張されている。それが目玉であった。

 従来の「人民=市民のための経営学」は,マルクス経営学のなかはどのように位置づけられ,解釈されてきたのか,この論点との照合は明快ではなく,どちらかというと視野のそとにおいたまま,肝心な主唱だけは移動させてきた。

 社会主義体制の国々が多数崩壊した時点においてまでも,人民=市民(学生・労働者)の立場・価値観を高揚させていた「プロレタリアのための経営学」は,実は,けっして「人民=市民学生・労働者)」のための科学的立場を志向していたのではなかった。

 それは結局,社会主義的国家独占主義体制〔昔風にいえば国家社会主義体制〕を占有・支配する「一部のノーメンクラツーラ(=Nomenklatura)」のためのものでしかなかった。

 過去において「社会主義経営学」は,「人民:プロレタリアートなどの概念」を念頭に置いているかのように標榜していた。けれども,実際にあっては,一部のノーメンクラツーラ階層〔階級!〕層の経済・社会的な利害に奉仕するための学問でしかありえなかった。

 なお,ノーメンクラツーラ(ラテン語)とは「名簿」を意味する。ソ連時代の公式見解は,このノーメンクラツーラを,上部当局者によって認可される部局,その部局の役職者と説明する。ところが,さらに一歩踏みこんで,その「当局者とはなにか・誰か」と問うても,この肝心な点について説明はない。あるのは沈黙のみ,である。

 だから,アンドレイ・ドミトリエヴィッチ・サハロフ博士はこういった。ソ連では「1920年代,1930年代,もしくは決定的には第2次大戦後,ノーメンクラツーラという新しい階級が形成された」

サハロフ・画像

 しかし,旧ソ連体制の中核組織であった機関や当局は,ノーメンクラツーラすべてを故意に隠蔽してきた。人民は結局,支配されるべき対象・客体に過ぎなかった。 

 ところが,第1次大戦以降における日本のマルクス経済学・経営学〔者〕は,旧社会主義国家における政治・経済・社会的な諸問題,その矛盾に満ちみちた現実性に目を塞ぎ,その理想面だけからソ連などを崇拝的に尊敬してきた。いいかえれば,マルクスやエンゲルスの描いた規範的な国家理想像がこの地上に完全なかたちで実現されたと錯覚してきたゆえ,20世紀もどん詰まりの時点に来るまでは,その本性をまったくみぬけなかった。

 そこで登場したのが,その大失策を少しでも克服するための新しい試図としての本書『社会経営学研究』である。この社会経営学は「今日的な諸問題を解決する」ために「既存の経営学方法論の限界を踏まえた問い」であって,既存の「経営概念の『社会的拡張』と『市民的豊富化』において,その限界を乗りこえよう」と計画していた。

 2) 社会経営学はなにをめざすのか

 社会経営学の研究はそれゆえ,「従来型の経営学」を拡大させつつも,それを質的にも抜本より変革する方途を目標にかかげている。

 「社会経営は,そのなかに企業,行政,学校,地域,病院,福祉,農林漁,家庭といったさまざまな分野,さらには組織携帯でみれば営利組織(PO)と政治組織(GO)のみならずNPO(非営利組織=特定非営利活動法人)とNGO(非政府組織)なども包括している」

 「また,これらの経営(管理・組織)は,それぞれ独自に固有の価値をもち,相互に謹聴・矛盾・対立関係(関係性)のなかにおかれている(あるいはおかれるべきである)という視点において捉える」し,「それらの社会における諸関係性のありようが『社会経営』の内実である」(『社会経営学研究』はしがき,ⅲ頁)。

 既存で,だいぶ以前に公刊されていた「経営学全集」のなかには,山城 章・金子孫市『各種経営学-官庁・学校・労働組合-』丸善, 1970年という「題名」を付けた経営学書もあった。ただし,この著作が社会経営学の披露する問題意識とは「似ても似つかない中身である」ことも,断わっておかねばならない。

 しかしながら,社会経営学の試図は,既存の経営学理論諸説の克服に急なあまりか,既存の経営学に対してのみならず,社会科学の本質論・方法論「全般」の次元・圏域に対しても十分に関心を向けていなかった。

 たとえ,社会経営学研究の見地が「克服すべき理論対象」とみなしたものであっても,こちらに含有されている「先行する研究成果」が適切に顧慮されていない。ただし,この指摘は日本国内にかぎっており,欧米における関連業績の話ではない。

 3) ドイツ経営政策の伝統

 たとえば,半世紀以上も昔の経営学文献に,こういう著作があった。

  占部都美『経営社会政策-社会的経営体制の実践と理論-』森山書店,1955年初版,1969年新版。

  市原季一『ドイツ経営政策』森山書店,1952年。

 占部都美の同書は「経営社会政策は,経営の社会関係,いいかえれば経営の人間関係の最適形成をはかるために経営によって自主的に設定される諸施策のことをさしている」(序文,1頁)と規定していた。

 結局,占部都美『経営社会政策』は「社会的合理性の原則は」「正確にこれを計量することはでき」ず,「要するに,経営の社会的構造の経営目的に対する適合度をさしている」(207頁)かぎり,経営管理政策の一領域として通常にいう労務管理政策と大差はない。

 しかし,その企業政策的な見地は,市原季一『ドイツ経営政策』の編成をみれば判るように,ドイツ的経済社会体制への通路に開かれていた。市原の本の章立てを紹介する。

 緒 論  
 第1部 アッベとラテナウ   
  第1章 エルンスト・アッベの経営政策   
  第2章 ワルター・ラテナウの経営政策
 第2部 シュピンドラーとクッス  
  第3章 ゲルト・シュピンドラーの経営政策
  第4章 エルンスト・クッスの経営政策  
 第3部 経営参加の政策   
  第5章 カール・ツゥインクの経営政策   
  第6章 共同決定法の成立   
  第7章 西独企業における協同決定の実態  
 第4部 所有参加の政策   
  第8章 所有参加の主張とその吟味

市原季一『ドイツ経営政策』目次


 占部都美,市原季一の両著ともに企業内経営政策に足場を置いた議論ではあったとしても,ドイツ的な社会政策の伝統,ビスマルクの国家思想からの一定の影響を反映させた「社会的な経営思想」を究明していた。

 しかし,重本直利編著『社会経営学研究-経済競争的経営から社会共生的経営へ』2011年3月が視野に収めているのは,占部都美と市原基地の両著が公表されてから半世紀以上も経過した時点になっていたから,もっと前進していた。

 すなわち,こういう時代環境を正直に反映させ意識していた。

 冷戦体制解体後のグローバリゼーションの進展にともなって各国の政府が多国籍企業の活動を有効に規制する力を失い,同時に社会福祉政策が後退していくなかで,労働組合・さまざまな市民運動グループ・NGOなど,国家機関でもなく企業でもない「一般市民の自発的結社」が一定の公共的役割(秩序を維持し社会を安定化させる役割)を担うことへの期待が高まっている。

 注記)植村邦彦『市民社会とは何か-基本概念の系譜-』平凡社,2010年,17頁。

一般市民の自発的結社

 重本編著『社会経営学研究』はまさに,こうした時代からの要求に真正面から格闘する理論営為であった。この志向性は,現実をよく直視している学問形態を表現していた。

 しかし,本ブログの筆者が心配するのは,これまでの理論蓄積,つまり,この『社会経営学研究』の本質論・方法論に推進力を提供するはずの「過去の研究成果」が十分に活かされていないこと,いいかえれば,それにまともに目を向けていなかった,いわば結果的に無視していたという特定の不満を残していたことである。

 

 ※-4 マルクスの思想と経済学の有用性

 1) 批判経営学の凋落と社会経営学の登場

 日本のマルクス主義的経営学者は,ごく一部の人士を除き,21世紀のいまにあっては「蜘蛛の子を散らした」結末を招来させていた。現状では,その『理論的な所在』がいまひとつ,よく分かりえない実情になっている。

 ある経営学者は,マルクスの思想もそれ流の経済科学「論」もかなぐり捨てた。ある経営学者は,マルクス経営学の理論傾向をいつのまにか薄めていき,環境問題の経営学とでもいう課題に,自身の研究領域を徐々に移動させていった。

 それでも「批判経営学」という名称を表題にした論著を公表する「勇気ある学究」もいないわけではない。だが,いまやその理論展開は支離滅裂であって,学問的な説得力を喪失していた。その代替品として登場したのが「関係性の経営学」とも称してもいる,この「社会経営学」の研究志向である。重本編著『社会経営学研究』「はじめに」は,こうも論及している。

 「社会経営」という概念には,現代日本社会によって形成されシステム化され,かつ諸問題を抱えている「企業経営」に向きあって,「主体的な営みの今日的中身とはなにか」という問題式が胚胎されている。

 すなわち,社会を対象化し,ただ客観的・構造的にみるだけでなく,今後われわれが「企業中心社会」をどう変え企業を具体的にどう形成しなおすのかという経営学的な問題意識が胚胎されている。

 それゆえ,そこでは,「理論と実証」というこれまでの社会科学の枠組にとどまらず,「理論と主体的営み(実践)」という枠組がとりわけ問われる。

 注記)重本編著『社会経営学研究』「はじめに」ⅲ頁。

社会経営学の狙い

 重本が強調するのは「理論は,統計データ・客観的な事実などによってだけではなく,主体的な営み(たとえば市民事業,社会的企業)によって検証されるという立場を積極的にとる」ことである。それゆえ「理論の実践性・有効性が今日鋭く問われている。とりわけ『企業中心社会』といわれる日本社会においては経営学理論の実践性・有効性は鋭く問われている」のである(同上頁)

  20世紀の中葉,日本のマルクス主義的経営学(経営経済学)は中西寅雄『経営経済学』日本評論社,昭和6年を始祖に誕生した。だが,そのあとすぐに学問にとっては暗黒の時代:戦時体制期が来た。この時代をくぐりぬけたマルクス主義的経営学は敗戦後,日本の経営学界において一大勢力を築き上げていった。その「理論の実践性・有効性」じたいは,当時に関してのみ評価するかぎり,相当程度の実効性を発揮しえていたようにみえた。

 ところが,第2次大戦後その数を急速に増やした社会主義国家体制の大多数が崩壊するにしたがい,それ以前にも学問的な実践性と有効性を少しずつ喪失させていったマルクス主義的経営学は,自己崩壊の道へと一途にたどっていった。なかんずく「みずからの学問路線に生じていた変化」を自覚できていなかった。

 ある意味,本書,重本直利編著『社会経営学研究-経済競争的経営から社会共生的経営へ』2011年3月は,20世紀から21世紀にかけて,日本の経営学界に生まれていた空白期間を埋めるかのように登場したと判断できる。

 2) マルクスと無縁でありうるのか

 重本編著『社会経営学研究』「はじめに」の記述は,こう主張している。

 経営学は「企業経営」のありようの視点に留まらず,「社会経営」のありようの視点からこの企業経営をとらえ返し,さらには市民あるいは地域視点からの企業経営の再構築(リストラクチャリング)という課題に応えねばならない。すなわち「経営概念の中身が企業経営(営利経営)のみを意味するのではなく,他の経営体との多様な関係性のなかで経営概念を豊富化する必要がある」

 さらにいえば「『社会経営』の方法と実践があってこそ『社会政策』の方法と実践が十全に機能する。『市民社会』,『ボランタリー社会』を標榜する21世紀という時代は,われわれに『社会経営』とその学(社会経営学)を構築すべき時代を迎えている」

 注記)重本編著『社会経営学研究』「はじめに」ⅳ頁。

 以上の議論を聞いたところでただちに,素朴だが明確に浮かんでくる疑念があった。社会科学の諸分野で研究されている経済諸科学との連携性,とくに,既存である〈学問の立場〉や〈研究の方法〉に関する異同がまだよく理解しにくい。社会経営に対する接近・研究に関する提唱そのものに急であって,近接する関連科学との協同可能性の認識が曖昧であったのである。

 この「社会経営学」という理論構想はとりわけ,つぎにかかげる「既存の研究成果」を,どのように受容・批判・消化・活用しているのか不詳であった。これには特定の不安を覚える。その存在を承知のうえで,あえて無視しているならともかく,過去から歴然と蓄積されている研究成果にどのように接しているのかさえ分からない。以下に関連の業績を〈清・濁〉合わせて紹介しておく。

 a) カール・ポラ〔ン〕ニーの業績(経済文明学)。日本語訳のあるもの

  ☆-1 カ-ル・ポランニー,吉沢英成・野口建彦・長尾史郎・杉村芳美訳『大転換-市場社会の形成と崩壊』(The Great Transformation,1944)東洋経済新報社,1975年。新訳版,野口建彦・栖原学訳,2009年。

  ☆-2 カ-ル・ポランニー,栗本慎一郎・端 信行訳『経済と文明-ダホメの経済人類学的分析』(Dahomey and the Slave Trade,1966)サイマル出版会,1975年。筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉,2003年。

   ☆-3 カ-ル・ポランニー,玉野井芳郎・中野 忠訳『人間の経済 1 市場社会の虚構性』(The Livelihood of Man,1977)岩波書店,1980年,玉野井芳郎・栗本慎一郎訳『人間の経済 2 交易・貨幣および市場の出現』岩波書店,1980年。

  ☆-4 カ-ル・ポランニー,玉野井芳郎・平野健一郎編訳,石井溥・木畑洋一・長尾史郎・吉沢英成訳『経済の文明史-ポランニー経済学のエッセンス-』日本経済新聞社,1975年。筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉,2003年。

 b) 名東孝二(経営学者)の業績

  ☆-1 名東孝二『英知産業のすすめ-生産者主権から生活者主権へ-』白桃書房,1998年。

  ☆-2 名東孝二・ほか2名編『ホスピタリティとフィランソロピー-産業社会の新しい潮流-』税務経理協会,1994年。

  ☆-3 名東孝二『人間価値実現のための経営』日本法令,1971年。

  ☆-4 名東孝二『生活者のための企業再生』時潮社,1974年。

  ☆-5 名東孝二・ほか2名編『多重化する社会と産業-産業の論理から生活の論理へ-』新評論,1981年。

  ☆-6 名東孝二編著『産業社会を超えて-国際的視点からの検証-』同文舘出版,1986年。

 c) 坂本藤良(経営学者)の業績

   坂本藤良『エコロミックス-環境科学入門-』マネジメント社, 1976年。

 --坂本藤良は別に多数の関連著作をもっているが,ここでは環境経営学に関する文献,1冊のみ出しておく。環境問題に関する訳書も何冊が手がけている。

 d) ゴットル(Friedrich von Gottl=Ottlilienfeld, ナチス・ドイツ御用達:「国家経済学」用の学説を提供)の業績。ゴットルに関しては,日本の祖述者が何人もいる。

  ☆-1 『生としての経済』(Wirtschaft als Leben, 1925)

  ☆-2 『経済と科学』(Wirtschaft und Wissenschaft,1931)

  ☆-3 西川清治・藤原光治郎訳『経済の本質と根本概念』
      (Wesen und Grundbegriffe der Wirtschaft,1933)岩波書店,1942年

  ☆-4 金子 弘訳『民族・国家・経済・法律』
      (Volk, Staat, Wirtschaft und Recht,1936)白陽社, 1939年

 これらの著作に目を通せば,重本直利編著『社会経営学研究-経済競争的経営から社会共生的経営へ-』2011年3月という最新作にも,かなり深く広く関連する論点を探りだすことができるはずである。その意味で先行研究の渉猟・探索をはじめから無頓着であった〔か,それとも無視した〕かのように映る発想は気になる。

 e) マルクス経済学,それもソ連邦科学院経済学研究所著,経済学教科書刊行会訳『経済学教科書 改訂増補第4版』合同出版,1963年が,マルクス経済学について解説する通論的な説明を聞こう。

「経済学の研究対象」 社会経済の基本的な生産関係の型は,すなわち,原始共同体制度→奴隷制度→封建制度→資本主義制度,その発展のうちで低い段階〔社会主義〕と高い段階〔共産主義〕の2つの段階を経過する共産主義制度として把握される。なかでも,社会主義は生産手段の社会主義的社会的所有にもとづく,人間による人間の搾取がなくなった社会制度である点に注目すべきである。

 このような発展段階論が,とくに最終段階に想定された「資本主義制度から社会主義制度への発展」について,「人間による人間の搾取にもとづく社会性がどのように発生し,発展し,滅亡するか」を「研究する」。

 「経済学は,歴史的発展の全行程がどのようにして社会主義生産様式の勝利を準備するかをしめす」 「さらに経済学は,社会主義の経済法則,すなわち,社会主義社会が発生,より高い共産主義の段階にむかってさらに発展していく法則を,研究する」(以上,同書,18頁参照)

 3) 小 括

 以上にいわれた「社会主義勝利観」を裏づけるはずの「発展していく法則」は,現実の展開におけるその記録を観るまでもないが,社会主義体制を採用した諸国家の経営・運営の実際・実践によって,是認されることにはならなかった。

 「マルクス・レーニン主義経済学」は「弁証法的唯物論と史的唯物論の基本的諸命題を,社会の経済制度の研究に適用する」のであった。いいかえれば,「弁証法的唯物論の方法」にもとづく「マルクス主義経済学の方法」は,「人びとの社会的生産関係つまり経済関係の発展に関する科学」であった。ただしこれは,資本主義制度下の経済「発展段階における財貨の生産と分配を支配する諸法則を明らかにする」「経済学」である(前掲書,18頁)かぎり,有効な立場であった。

 というのは,マルクス主義経済学の「科学的研究の任務は,理論的分析によって,経済現象のうわべの概観の背後にある深部の過程,その生産関係の本質を現わす経済上の基本的な特徴をあばき出して,第2義的な特徴を捨象する」ことに任務があったとするにせよ,換言すると,それが資本主義経済制度の分析・批判に関しては成果を挙げていたにせよ,社会主義経済制度の取組では完全に失敗・敗北していたからである。
 
 本ブログの筆者が問いたいのは,マルクス〔主義〕経営学がこのように示してきた,それも評価されてよい実績を,社会経営学の研究方法がどのように摂取し止揚しようとしていたのか,いまだに不祥であり疑問であることである。

 マルクスの学問・思想の実績・成果を無視して「社会経営学研究」という理論形態は,よく成長・発展させうるのか? 

 社会思想研究会編『「経済学教科書」の問題点 上』中央公論社,昭和31年という本は,いまから70年近く前,関連する歴史的な論点をつぎのように批判していたが,重本直利編著『社会経営学研究-経済競争的経営から社会共生的経営へ-』2011年においては,それを顧慮された形跡がみいだせなかった。

 --ソ連のような独裁国家=プロレタリアート独裁の名のもとの共産党独裁の国家,しかも,ひとにぎりの独裁者の独裁国家のみが社会主義であるという主張は,社 会思想史の社会主義の概念に反する。社会主義思想は,なによりも経済的特権の打破を主張しただけでなく,同時に政治的特権の廃止も主張していた。

 ゴドウィン,ホジソン,プルードンみな,しかりである。民主主義的社会主義が人間の大多数のものに受け入れられる普遍的理想であるがゆえに,人間が道徳的理想を追求する内的必然性をもつかぎりにおいて,民主的社会主義の到来は必然であることを主張する(社会思想研究会編,前掲書,268頁)。

 要は「社会経営学」がその研究の目標に据えるようとする「企業中心視点ではな」い「市民中心視点をすえた経営概念の構築」は,マルクス経済学・経営学が研究の目標に据えていた「社会主義社会:プロレタリアート〔人民→市民?〕独裁が発生すれば,より高い共産主義の段階に到達できると予定・確信していた歴史的な学問観」などにおける「経営概念の構築」と,いったいどのように通底していたのか? また,その相互間においてどのように異同していたのか?

 「社会経営学」は,この種の「社会科学的な議論として〈価値前提となっていた問題〉」を,まえもって研究しておく余地があったのではないか? 社会経営学じたいが批判的に克服しようとするはずだった「かつての日本の批判的経営学」が,この「社会経営学の研究方法」とまったく別の,無縁の存在にはみえない。

 結局,その「社会的経営学」はだから,往時の「ヤヌスの一面」を完全に払拭しきれないまま,マルクス主義的経営学を再登場させていると論難されたとき,これに十全に応えうる「反論のための学問姿勢」を備えていなかった。

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