小ネタ集①

1つの記事にするほどではない話をいくつか。
ナンバリングしているが、②以降を書くことになるかはわからない。

暗い話が多い。



急に流産死産経験を問われる話

日常生活で流産死産経験について問われることはそれほど多くないと思う。しかし、再び妊娠した場合はそこそこの機会がある。多くの場合は流産死産経験というよりも妊娠出産経験を問われているのだが、無事に産まれたかも同時に問われることが多い。自分が思い出せる範囲でこのような機会について書き出してみる。

●婦人科の初診問診票
生理周期や妊娠出産経験を問われる。婦人科の健康診断のときも書くことになるのだろうか。兄弟流産死産経験のある私は、妊娠前からこの質問項目を見ると少し手が止まってしまう。

●母子手帳交付時
母子手帳をもらうときに書く書類に問われる箇所があった。目的はわからない。息子の母子手帳を交付されるときに気付いていたので、娘の母子手帳をもらうときは身構えて行った。役所職員さんに特に言及されることはなかった。

●母子手帳内
母子手帳内にも記載する欄がある。万が一の時に必要な情報だろう。

●妊婦健診の保健指導
無事に出産するためには今までの妊娠出産経験のことを聞かれるのは避けられないだろう。ここは頑張りどころである。ちなみに私の場合は不幸が重なってしまった。この時のことは下の記事に書いている。

●赤ちゃん訪問(仮称。自治体によって名称が違う)
だいたい新生児期に自治体の職員なのか自治体に雇われた保育士なのか、あまりよくわからないが自宅に様子を見に来る。調べてみると他にもたくさんの自治体で実施されているらしい。
正直なことを言うと、新生児が家にいる状況で部屋を片付けたり気を遣うことが多いのでできれば断りたいものである。
家庭の状況に問題がないか、赤ちゃんは元気か等の確認が目的なのだと思う。赤ちゃんがいる状況でまともに生活ができなくなって孤立する人ができるのを未然に防ぐために重要なのかもしれない。訪問を断ったら要注意家庭とみなされるのだろうか。
とりあえず、訪問の際は産後の健診でもやるような産後鬱の質問票などに回答することになった。その中に、流産死産経験、子供を亡くした経験を問われる項目があった。全く身構えていなかったので少し困った。話したくないのに息子死産について話すことになった。

急に実の親を問われる話

親と良好な関係を築けている方達はスルーしてほしい。死活問題の人もいる。

●入院費の連帯保証人
娘出産での入院の前に病院の書類を書くことになった。そこに入院費の連帯保証人を書かなければならなかった。存命であれば、多くの場合は実の親を書くことになるだろう。私は絶対に毒親を連帯保証人にしたくなかった。万が一のことがあったときに奴らに病院から連絡されるのは避けなければならない。
結局、義父に連帯保証人になってもらった。特に怪訝な様子を見せず快諾してもらえてありがたかった。
ここで漫画作品を紹介したい。作者さんのがん闘病生活の中での入院費の連帯保証人の問題で私と似た葛藤が描かれている。残念ながら作者さんは一年程前に亡くなられてしまったのだが、とても大変であろう闘病生活がわかりやすくコミカルに描かれている。おすすめである。

●保育園の申請
申請書に子供の祖父母について生年月日や住所等を書く欄があった。子供の面倒を見ることができる人の有無の情報が必要なのだろう。生存していても会っていない祖父母を書いても仕方ない。もし何かあったときに連絡をされたら逆に困ることになる。"交流なし" や "不明" 等の記載が可能である場合もあるので、困ったら各自治体に確認してみてほしい。

バースプランの話

こちらも親と良好な関係を築けている方達はスルーしてほしい。私にとっては重大なことである。

出産前にどんな出産にしたいか等の希望を書いて病院に提出するバースプランというものがある。
娘出産当時はまだコロナ禍のため、立ち会い出産の選択肢はなかった。そのため、息子のときの反省で、陣痛中に呼吸がおかしかったら指導してほしいというくらいしか希望はなかった。
しかし、万が一自分に何かあったときのことを提出直前に想像してしまい、書き足すことにした。自分に何があったとしても、実の父親と面会しないし、子供も会わせない旨を書いた。周りが何と言おうと、第三者である病院は私本人の意思を最優先してくれるだろうと考えたからだ。
予定日より前に破水してしまい今日にも出産か、という状況だったためか、助産師さんがすぐにバースプランを確認してくれた。助産師さんの表情が一瞬変わったが、父親については特に何もコメントせず、「わかりました」と言ってもらえた。

息子死産時の心残り

分娩前日夜の食事がとても美味しかった。息子は死んでいてもつわりがあったので吐き気があったし、精神的に辛い状況だったが、とても美味しく、品数も多く、とにかく豪華だった。娘の出産時は違う病院だったため、その食事が普通の分娩食だったのかはわからない。分娩に体力を使うことになるからか、一緒にとる最後の食事だからという産院の気遣いなのか。
ただ、体調自体は良いわけではないので半分ほどしか食べられなかったのが悔しかった。撮った食事の写真をたまに見返している。

娘出産時の心残り

安産祈願で有名な中山寺のお守り等の一式を頂いていた。その中に御符があった。端折って説明すると、産気づいたらコップの水に御符を浮かべて観音様にお供えするよう書いてあった。
もちろん水見式を思い出した。そんな理由で少し楽しみにしていたのに、私の陣痛中に夫はやってくれなかった。完全に忘れていたそうだ。私も破水して病院に向かうときは御符が視界に入ったので覚えていたが、まさか破水して4日後に産むことになるとは思っておらず、夫に頼むのを忘れてしまっていた。そもそも "産気づく" とはどのような状態のことを指すのだろう。
今でも御符は目につくところにある。

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