「韓国の詩人のこと」

「韓国の詩人のこと」

これもずいぶん昔の話です。ぼくが20代の頃だから40年以上も前のことです。荒川洋治さんと一緒に7人ほどで韓国を旅行したことがあります。韓国の詩人と交流したり、慶州にある大学で座談会をしたりと、日々は充実しており、すべては荒川さんが予定してくれたものでした。

その旅行に行くちょっと前のことだったと思います。許万夏さんという韓国の詩人と会いました。許さんはちょうどその時に日本に仕事(医師だったと記憶しています)でやってきていて、そのついでにぼくら日本の詩を書く若者と会うことになったのです。

その夜に許さんと会ったのは、たぶんぼくらが韓国に行く時の予定であったり、なにかそんな打ち合わせのためであったのかも知れません。

当時、荒川さんはすでに詩人として有名でしたが、そのほかのメンバーは、ぼくを含めて、まだ無名の、一生懸命に詩を書いてます、という若者たちでした。それでも韓国の詩人に会うということで、詩集を出している人はその詩集を、出していない人は同人誌などを許さんに渡して、自分はこんな詩を書いていますと自己紹介をしたのです。

それで、許さんは日本語も読み書きできるので、渡されたものをざっと目を通して、ありがとうと言って、受取ってくれたんです。許さんは仕事の方も忙しくて、連日予定の詰まった中で、やっと時間を作って会ってくれたようで、顔には若干の旅の疲れも見えていました。

それで、その夜は別れて、その翌日の昼だったかに、また許さんと会うことになっていたんです。どこで会ったのか覚えていないのですが、笑顔で挨拶をして、「許さん、少しは休めましたか」と誰かが聞いて、でもそれに静かに応えたあと、許さんはにわかに、ぼくら若者の詩について、ひとりひとりの詩について、滔々と語り始めたんです。「松下さん、アナタの詩はこうですね、いいところはこんなところですね、誰それの影響が見られますね」、と、そんな感じで、一人一人の詩についての感想を詳しく話し始めたんです。こちらはそんなことは期待していなかったので、驚いてしまい、ありがたく許さんのアドバイスを聞いていました。

前の夜に許さんと別れたのは、もうだいぶ遅い時間でした。許さんはあれから、深夜何時頃まで、ぼくらの詩を読んでいたのだろう、と思えば、頭の下がる思いでした。ただ挨拶で手渡されたものを、そのまま読まずに翌日に会ってもなんら問題はないはずなのです。それでも、さぞ疲れていただろうに、貴重な眠りの時間を削ってまでも、会ったばかりの、何者とも知れない日本の若者たちの詩を、これほどまでに細かく読んでくれたのか、と思いながら、ぼくは感動をしていました。

あれからずいぶん月日が流れました。

今、ぼくは詩の教室の準備をするために、参加者の詩を読みながら、あの夜の許さんの気持ちが、少しは分かるような気がするのです。

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