「First Love」を耳にすると

「First Love」を耳にすると

コタキナバルというところへ行ったことがあります。わたしが勤めていた会社はグローバルな会社で、定期的に国をこえての会議があったのです。その時は、アジア地区の社員がそこに集まって会議をしたのでした。マレーシアのリゾート地らしく、美しい海岸に沿った建物からは、どこまでもはるかに海が見えていました。

しかし、外の陽射しがどんなにさわやかでも、わたしたちは一日中部屋に入って、いろいろな問題を議論していました。各部屋7人ずつで、さまざまな国の人々がいました。会議は英語でおこなわれたのですが、インド人にしろ韓国人にしろフィリピン人にしろ、そこに来ている人たちはみな優秀で、見事な英語を話していました。日本人だけが英語に苦労していました。

まず書類が配られ、10分ほど読み、自分の意見を一人ずつ述べてゆきます。そのようなセッションがいく度も繰り返されるのです。とうていわたしの英語力ではついてゆけず、汗をかき続けていました。

それでも2日間に渡る会議が終り、最終日の夜になりました。大広間に全員が集まってディナーが始まりました。大きな円形のテーブルがいくつもあり、席は自由で、それぞれの国の人たちはほとんど国同士、仲間同士で集まって席についていました。

わたしも何人かの同僚と、どの席にするかと見回していました。そのとき、「マツシタサン」と、うしろからわたしの名を呼ぶ声がします。見ると、香港の、かつて電話でよく仕事をした人でした。

美しい女性で、頭がよく、仕事も当然よくできました。数年後には間違いなくトップのポジションにつくだろうと、誰しもが認めるエリートです。

立ち話でもしたいのかなと思っていたら、その女性が、「となりに坐ってもいいですか」というのです。とっさに、「もちろんいいです」といったものの、奇異な思いを抱きました。その女性とはそれほど深く知り合っているわけでもなく、なぜ他の香港の社員と一緒に食事をしないのかと思いました。

たしかにかつて、電話で話をしているときに、仕事の話のあとで、くだらない冗談を言い合ったことはありました。それにしても、ディナーで隣に坐るような親しい関係ではないのです。同僚たちはすこし離れたところで、わたしをからかいたげに笑って見ています。

わたしにとっては、きれいな女性と同席できることはうれしいのですが、それまでさんざん英語で恥をかいたあとの時間だったので、さらに食事中も下手な英語で会話をしなければならないということに、多少落胆していました。

ただ、話をしているうちに、その女性が、日々の生活のことや仕事のこと、あるいは育児のことなどを真摯に語りかけてくるのに、引き込まれてゆきました。はたから見たら、その人は優秀で、裕福で、健康で、なんの問題もない人生のように見えましたが、悩みはいくつもあるようでした。

仕事に疲れた、と言っていました。ほんとは家庭に入りたいという気持ちが強いんだと、言っていました。まさかそんなことを思っているとは考えもしなかったので、わたしは驚いてその話を聞いていました。

もちろん、わたしには何のアドバイスもできず、ただ頷いているばかりでした。聞いているだけでした。

食事が終って、コーヒーを飲みながら前のフロアーで踊りを踊っている社員の姿などを見ていました。さすがにその女性も話すことはもうないらしく、黙って前方を見ていました。

舞台の上では、地元の女性ジャズシンガーが先ほどから、ジャズのスタンダードナンバーを歌っていました。うまいことはうまいのですが、これまで幾度も聞いたことのある歌は、わたしを素通りするだけでした。

何曲目かに、前奏を聴いてあれと思いました。日本の曲かなという思いがわたしを舞台に集中させました。歌いだしてわかったのですが、それは宇多田ヒカルの「First Love」という曲でした。

聞いていると、発音も息遣いも、宇田川ヒカルのCDそのままに見事に歌い上げていました。

最後のキスは
タバコのFlavorがした
ニガくてせつない香り

明日の今頃には
あなたはどこにいるんだろう
誰を想っているんだろう

しばらくぶりに聴く日本語の歌が新鮮で、歌詞にあるように、わたしは一気にせつない想いに満たされていました。となりを見れば、香港の女性もじっと聴きいっています。

わたしは今でも、街中で「First Love」を耳にすると、その女性のことを思い出すのです。

さまざまな思いを抱えながら、香港の街角をうつむいて歩く、その姿を想像するのです。


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