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健康マインド(スーホの白い馬)赤羽末吉

鎌倉のアトリエの他に長野県の別荘地「黒姫山荘」で(いわさきちひろ)(いぬいとみこ)らと交流して絵本作家として精力的に作品を発表❗
木下順二の依頼で舞台美術も手掛ける→(名古屋西川流舞踊劇)
1971年からはセミナー「絵本の学校」の校長として後身育成に取り組みました。
1980年 日本人初の国際アンデルセン画家賞受賞

モンゴル民話(スーホの白い馬)が評価されました❗
1980年チェコスロバキアのプラハでの受賞式に出席します。

1986年には「鳥獣人物戯画」をヒントに創作絵本「おへそがえる・ごん」を発刊❗

おしぼたんのようなおへそを押すと、口から雲を吐くふしぎなかえる、おへそがえる・ごん。三部作

1987年脳梗塞で倒れ、1990年に亡くなります。手掛けていた宮沢賢治「風の又三郎」が原画3枚で未完となりました。

多彩な造形・色。独創的な物語を創り続けた赤羽末吉。
日本民話を世界に知らしめた功績も大きい❗

私の好きな作品は

1972年初版発刊 川村たかし・文(もりくいクジラ)


1983年、「いなばのしろうさぎ」を描く赤羽末吉

中国の放浪を経て絵本作家として大成した赤羽末吉の豪快な絵と人生に 合掌❗

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