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体の周波数を整える食事

伝統の味とは
地方や地域で愛されている味であろう

関東で美味しいと思うものを作っても
甘さを生かした醤油を日常に使う
九州の方にとっては
ただ単に
塩っ辛い醤油となって
食材の旨みを感じる前に
塩辛さが際立ち

美味しかった
とは

なかなか思えない

そうすると
食べてみて心が喜ぶ味とは
その地域で育った小さな時に
育まれるのだと感じる

本格的な味覚


料理教室などで教える味覚は
講師自らが教わった味を再現する


料理教室などの認定講師となるには

先ずは料理教室に通い
味付けの基本の数値を覚え暗記し
めでたく卒業をして講師となる事もあると聞く

確かに
基本の味付けはそれで十分であろうし
合格なのだろう

しかし自分はここで疑問が湧く 

その味付けが旨いと感じる事もあるかもしれない

しかし

気温、天気、湿気、食材の出来を見極め
食べて下さる方に美味しいものを提供し

喜んで頂きたい。
健康になって頂きたい。 

と願うので
毎回同じ分量では作らない場合もある

いい塩梅を探す


自分の塩梅は
修行してきた30年以上の蓄積である

受け継いだ味や
工夫を凝らしたレシピもある


歴史の中で考えると
先人たちの
苦労の末に得た味が
今の日本に
残っているのだと思うと

感謝しかない

そこに
知識だけでは表現出来ないそれぞれの料理人の経験も加わる

その経験値には
間違いなく失敗も入る
やってみて 失敗して
次の機会に活かす

それが自信になってくる

昨今の日本は
失敗を恐れる。

失敗をまるで許さないかのような
風潮もある。

だから
子供たちは萎縮し
そのまま大人になり
叱られるくらいなら
余計な事で動かないし見ないふりの方が
楽になる。

悲しい流れのような気がする。

それは大人たちが
まだ小さい子供たちに
必要以上に
責任ということばを植え付けてきた結果なのだろう

自由にありのままに 伸び伸びと
子供らしく

子供が失敗したら大人が責任を持てばいいだけだ

スポーツや勉学を課題と称して
無理やりやらせる事は歪みが生じる

体に良い食材を無理に入れても生じる味覚の歪み


食材を無理やり突っ込んだとしても
食材の持つ良さと塩梅を見ないと
ただ不味いものに仕上がってしまう


それは
自分で良しとするものを提供しても
食べて下さる方の体調や元々の味覚が違えば
残念ながら
美味しかったとの声は頂けない

先程、料理教室の講師などの話は
あくまでも一例であり全ての人とは決して思わないが

決まった味付けの分量を
ただ単に通ってくる生徒に教える場合の味付けと

食べて美味しかった。

満足して頂こうと試行錯誤する味付けは
似て非なるものかと思う

もちろん
一生懸命に生徒に教える先生も居ると思う。

思うのは
教室とは
先に生徒が講習費として払ってきているので 
旨く感じなかったとしても
それを作り教えれば良い

しかし
店で提供するというのは
旨く無ければ売れない
評判も伴ってお客様の足が遠のく場合もある 

なのでお料理は
季節毎の想いが入っている


人間の体が巡るように



食べたものがエネルギーに変わり
身体中を漲るように

心がホッとするように

体の不調を整えるように

寒い日は温まるような
食材を

暑い日は汗をかいて出てしまう
栄養素の補給を

季節の変わり目には
体が調う食材を

それぞれ毎回
キーワードを自分で考え
食材に入れ込んでいる

それは隠し味として入れ込んである

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