おニャン子クラブを知った話

おニャン子クラブに最初は、何の興味も持っていなかった。
大学時代は、毎週オールナイトフジを見ていた。
俺の寮の後輩には、一緒に見てるうちにハマり、何とか大学誰それとなオールナイターズほぼ全員の学校名学部名前ニックネームを暗記したガイ吉もいたw
そいつには、おかわりシスターズの「恋をアンコール」をそいつが歌ってるのを俺が録音していたので、朝、寮の部屋から外に向けて大音量で流してあげた事がある。そいつは朝はO線の駅員のアルバイトしていたから、不在なのでw当時はまだ自動改札機ではなく、全部駅員が切符に鋏入れてたから、バイトが必要だったのである。
恋をアンコールが大音量で流れている中、そいつはバイトから帰って来た。すると自分の歌声が流れている。激怒して、俺の部屋の窓目掛けて、石を投げて来やがった。壁に当たったが、窓が割れてたら即弁償だったのにな。
話を戻す。
オールナイトフジで、オールナイトフジ女子高生スペシャルが放送された。
この中から、おニャン子クラブの1期生が生まれたのである。
俺は当時は大学4年生で、JKには興味無かったので、見たけど誰が可愛いとかは何も覚えなかった。

社会人になって、テレビ番組でオールナイトフジ女子高生スペシャルのメンバーで、おニャン子クラブと言うグループが結成されて、夕やけニャンニャンって夕方の番組が始まったのは、知っていた。
だが、興味無かったから、ふーんと思っていた。

ある日、代々木の客先に行って、バス停に立っていた。
そこに高校の同級生のKが通りかかり、声をかけて来た。
Kと会うのは、2年ぶりくらいだった。
俺は時間もあったので、「近くに住んでいる」と言うKについて、彼のアパートに行った。
そこで、夕やけニャンニャンのビデオを見せられたのである。
俺はそこで、おニャン子クラブにハマってしまったw
その週から、毎日夕やけニャンニャンの録画を始めた。まだ仕事してるじかんだから、録画してみるしか無かったから。
俺は家に遊びに来て飲んでいた大学の友達のTにビールを飲みながら、夕やけニャンニャンの録画を見せたら、彼もハマったw

吉祥寺の駅ビルにバラエティショップのギョエテがあった。本当はゴッセと言う店名だったか、俺はギョエテと名付けたw
ここで海賊版のおニャン子クラブの生写真が売られていた。ここにはTと何度か買いに行った。
俺は中央線沿線に住んでいたし、Tも杉並区の丸の内線沿線で、荻窪から丸の内線か高円寺から歩くか、だったから吉祥寺は行きやすかったのだ。

俺は新田恵利ちゃんから入り、次は渡辺美奈代ちゃん、渡辺満里奈ちゃん、工藤静香ちゃん、貝瀬典子ちゃんという遍歴を辿った。
コンサートの時は、会場近くで893の売ってるグッズ屋で、メンバーのはちまき買って、締めてコンサートに挑んだ。
当時はまだ身分証提示とかなかったから、会場近くにはダフ屋がたくさんいた。
昭和は、プロレス見に行ってもコンサート行っても必ずダフ屋が、何人もいたものだ。俺は売ったことも買った事も無いけど。

俺とTはその後のおニャン子クラブのコンサートは、関東のは全部行った。つまりあぶない課外授業のコンサート以外は、行ったのだ。
コンサートのチケット取るために、ファンクラブの子にゃんこクラブにも入った。中高生ターゲットだから、年会費は500円だった。そして、会報や会員証がもらえた。
おニャン子クラブの解散コンサートは、昼も夜も両方ともアリーナで見られた。アリーナと言う席区分では無かったけどね。
夜コンサート終わってから、2人で行きつけの新宿三丁目の飲み屋に行った。そこにアイドルファンの客もいたので、彼にパンフレットとか見せたら、興奮していたなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?