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精神と時の部屋と恩師

「夏休みにたくさんnoteを更新して、フランス語の勉強もがんばるぞ!と意気込んでいたのですが、夏休みの誘惑に負け、両方全くできませんでした。いよいよこのままではダメだと思い始めたので2学期は心を入れ替えます。


 この夏休み期間中、自分の中で考えが変わった転機がありました。
というのは、夏休みの前半に自分が通っていた大学の研究室にお邪魔してきました。そこで自分の方向性が定まったと感じたので記しておきます。




 通っていた大学には、大学生の僕にとっての「精神と時の部屋」のような場所がありました。学期に数回、何かしら理由をつけて教授と話をさせてもらうだけで、何日も何時間も考えていた自分の悩みや葛藤が数十分でスッと引いていく感じがあり、部屋を出ていく頃には今までの自分とは違った感覚になれる場所でした。




「精神と時の部屋」なんて書いていますが、その中で修行をしていたわけではなく、今思うとあれは、ほぼカウンセリングだったなと思います。(笑)

「精神と時の部屋」はありがたいことに2部屋ありました。僕のゼミの先生の研究室と、僕と年が近い教授の研究室でした。お二方とも臨床心理系の先生方です。

1部屋目

 僕のゼミの先生は、自分の両親よりも年上なのですが、「この人は何歳だっけ?」としょっちゅう思うくらい、様々なことに興味をもたれていて、さらに独特な優しいエネルギーをもたれている素敵な方です。さらに、その辺の占い師より未来を当てることができるんじゃないかと思うほど、不思議な方でもあります。実際、僕の大学の同期に変わったキャリアを進んだ奴がいるのですが、大学卒業時にはもう未来を予言されて、それに近い形になっていたので驚きです。今回お聞きすると、僕が協力隊に行くのも4年前の卒業時には何となく見えていたそうです。

というわけで、今回も図々しく「研究室に挨拶に伺う」と言いつつ、将来への「お告げ」をもらいにいこうと考えました。



研究室では様々なお話をさせていただき、そこで正直に今一番モヤモヤしていることである「自分で自分の将来が分からない。」ということを相談させていただきました。何か将来が明るくなる「お告げ」を期待したのですが、そこで言われたことは、




「私が見えていたのは協力隊に行くまでのことで、その先は分からんなぁ~。」



正直肩を落としてしましました。自分のことながらこの人に分からなかったら、誰に分かるんだと。
(ここまで書いていて自分の将来を人に任せようとしている自分に引きました…。その時はそれくらい悩んでいたのだと思います。)


しかし続けて、


「ただ、あなたが青年海外協力隊に自分から向かっていったのは、そこ(協力隊)に``何かある‘‘と感じているからではないの?」


色んなことを聴いてもらいましたが、この言葉が一番腑に落ちました。


「そうだった。自分にはきちんとした志望動機もあるけど、言葉にはし難い『良い』と感じたものがあったから協力隊に行くんだ」と。



今回もそうですが、この方にはいつも大事な場面で救ってもらったなぁと感じます。ここには書き切れないですが、大学生時代にたくさん話を聞いてもらったからこそ、今の自分があると思います。いつかきちんと恩返ししなくては…。


2部屋目

この先生の研究室にも大学生時代よく、研究室に伺って、いろんなお話を聞いていただきました。
今回もお忙しい中ではあったと思いますが、温かく私の来室を受け入れてくださいました。近況報告などを様々な話をする中で1人目のゼミの先生と同じく、この先生にも
「自分で自分の将来が分からない。」
ということをそれとなく相談してみました。



すると、自分が過去に(また今も)悩んでいたことを交えながらお話してくださいました。この方も心理学の大学院を博士号まで進み、その後「大学教授」という選択をするときにはかなり悩んだそうです。学費がかかる割に給料もあまり高くない職業みたいですし。
(「この方も」って書き方をすると自分と同じみたいな感じがしておこがましいですが…。)
話していただいた箇条書きするとこんな感じでした。

・「今の選択(大学教授)をするときに悩み、誰に対してかはっきりしないが、うしろめたさをすごく感じた。」
・「自分は世の中の大部分の人が乗っていく大きな流れに乗れないことが分かった。(人生やキャリアを流れに例えて)」
・「世の中的に自分たちみたいなタイプは少数派なので、うまく大きな流れに乗っている人を見ると、どうしても不安を感じる。」
・「多分、同じところにずっととどまっていられない。一旦、ある程度慣れてきたら、別の仕事や物事が気になりだして、その場から離れようとしてしまう。(所属・職業的な部分で)」
・「この話を誰かに相談しても世の中が``多数派‘‘なので分かってもらえない感覚があって辛い。」

ということでした。自分に文才があればもっと分かりやすく、面白く書けるのですが…。
悩みを抱えている人にとっては
「共感してもらえる。」ことが何より嬉しく、味方ができたみたいで心強く思えますよね。
「少数派」の人たちはなおさら…。


今回、この人に相談できて本当に良かったと心底思いました。
それまで僕は周りの人に自分のモヤモヤを相談してもあまり分かってもらえなかったので…。


多分、同じような特性を抱え、悩んでいる人が読むと自分以外にもこんな人がいるんだと、ほっとした気持ちになってくれると思います。



また、お話していただいて最後の方に

「僕もだけど君はそこ(協力隊)に何かが見つけられそうで、面白そうなことがある予感がしたから目指したんじゃないの?そこまでのことは君は見えているんだよ。先のことは多分、行ってから分かるんじゃないかな?」



と1人目の先生とほとんど同じことを言われてかなり驚きました。
続けて、



「どうせ最後は人間死ぬんだし。おもしろくないことはしたくないし、
おもしろくない大人にもなりたくないよね。」
と。



これらの言葉から自分のこれからの方向性が定まったような気がしました。それからきちんとお礼を言って研究室を後にしたと思うのですが、
「相談してよかった。」という安心感が強すぎてそれからのことはあまり覚えていません。






最近友だちと話していても、自分の悩みやモヤモヤを
「誰にも分ってもらえない」
と感じ始めていたので、帰りの車の中で、
「理解してくれる人がいる。」
という嬉しさと安心で泣きそうになりました。
振り返ってみると、自分が大学生の時からこの先生方は
ずっと僕のことを肯定し続けてくれていました。


教育現場で働いていて改めて感じるのですが、
「自分のことをずっと温かく肯定し、背中を押し続けてくれる存在」
は本当に稀で、ありがたく、その人が生きていくうえでこの上なく強い支えになりますね。
いつか自分も誰かを肯定し続けられるような器の大きな人間になりたいなと心の底から強く思います。 

また「精神と時の部屋」から戻ってきた気分になった
自分にとって大きな転機となった一日でした。

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