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障害児発達センター

長男が、3歳の時障害児のための幼稚園的な所に通い出した。

そこには、すでに何かしら療育を受けている子、全く療育を受けず、保育園や、プレ幼稚園で集団行動が取れない子がいた。

親子で集団療育に通ったり、個人療育に通ったので、指導者の言う事や、規則正しい生活を送る事については、優れていた。逆に言葉でのやり取りの部分では、他の子よりも劣っていた。
集団生活において、指示が通らない多動の子に比べると先生にとっては楽な子だったと思う。

ただ、多動の子は、療育をするにつれてだんだん落ち着いてきて、ある程度指示が通るようになると、言葉の発達がそれほど遅れていないので、メキメキと伸びてくる。発達支援センターを卒園する頃には、みんな普通小学校の支援級クラスには入れるレベルには達していた。

長男は、どう頑張ってもコミニュケーションが苦手で、言葉のやり取りができなかった。自分の伝えたいことが言えない、もしくは言えたとしても自分の欲求のみで相手の気持ちを考えられない感じだったので、いつも1人で過ごしていた。

他の子と比較する事で自分の子供の障害の程度を目の当たりにする。残酷な世界といえば残酷な世界。
健常児がいない事で楽と言えば楽な世界だった。

ここでの3年間は、保護者が自分の子供は障害児で一生健常児にはなれないことを認識する場所でもあったと思う。それ故に、子供の将来の道筋を立てるための重要な場所だった。

保護者のみんなが同じ悩みを持っていたので、団結力があった。ランチでみんなで悩みを共有したりすることで励みになっていた。

とてもいい関係だったが、年長になり、進路を決める時、なんとなく、お互いの進路について牽制しあっているように思えた。前に味わった格差社会の時と同じ空気がまた流れた。
仕方ないことなのかなと思いつつ、少し寂しい気持ちではあった。


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