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父の蒸発

父親は、自分で起業しては失敗を繰り返して、上手く行ってる時は、ほとんどを愛人と過ごし、たまにお土産を抱えて帰ってくる。
母は、看護師をしていたので、父親の借金の保証人になっていた。

中2のある日、母が夜勤の時、父親がふらっと帰ってきた。姉も友達の家に遊びに行っていて、家には私1人だった。
父親が、またしばらく留守にするから準備しに帰ってきたという為、父の荷造りを手伝った。
珍しく、箪笥の中の背広(昔風な言い回し笑)まで持っていくなと思いながら、父親と2人きりで気まずいなって思いながら準備を終えた。

父親が、迎えにきたというので、玄関の外まで父親を見送った。迎えにきていたのは、女だった。
それから、しばらくして父親が夜逃げしたとわかった。父の愛人も、家庭があったらしく、相手のご主人から母親に文句の連絡があったり、修羅場が続いた。
母親には、借金が残り、借金取りが家にまで来るようになった。
気丈に振る舞っていた母親が時々泣いていた。

中2ながら、あの最後の2人の時間、照れくさいけど父親との会話した内容を思い出し、あの時の父親の心境って、ただ、女との将来のことしか考えてなかなとか、案外娘と離れるのなんて、父親にとっては何ともない出来事なのかなとか考えたりもした。でも、中2にとって父親はいても居なくても、そうたいした存在でもないのかとも思った。

問題なのは、借金が残ったこと。夢を描いても大学受験など出来るはずもなく、高校の入学金は、消費者金融に駆け込み調達し、お小遣いはバイトして稼いだ。母の勧めもあり、卒後は、働きながら看護学校に行くという選択肢しか残されてなかった。その後の人生でも波瀾万丈な出来事は、起こるけれど、いつも乗り越えられるのは、この時培った根性なのかもしれない。

10年以上かかって、母親は借金を返した。
その頃、父親の愛人から連絡が入り、「胃がんで苦しみながら死んだ。形見分けしなくていいか」という連絡が入った。わざわざ、連絡し、「苦しみながら」という文言を加えたのには、愛人ながら、「バチが当たったでしょ」っていう意味だったのか真意はわからないが、形見は貰わなかった。

私たち姉妹も共に資格を取り、お金には不自由しない生活を送れるようになった。
しかし、遺伝なのか、お金の問題で結婚生活を破綻させることとなる。
その話はまた今度書きたいと思う。

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