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昭和の成績表

産まれてから、小学校2年生までを岐阜県で過ごした。
両親とも全く違う故郷があり、縁もゆかりもない岐阜県で幼少期を過ごした。

幼い頃の記憶を辿ると、今とは全く違う風景が浮かんでくる。長良川で浮き輪を付けて遊んだり、冬になるとかまくらを作ったりそりで遊んだり、ロバのパン屋さんも懐かしい思い出だ。

当時住んでいた家は古い一軒家で、大きな柿の木があった。秋になると大きな柿が取れていた。近所には同じ歳の子達がいっぱい住んでいて、仲良く遊んでいたが、今は名前すら思い出せない。

小学校2年生まで、近所の学校に通っていた。
今とは違い小さい頃は、引っ込み思案で人前で喋ったり出来ないおとなしい子だったと記憶している。学校は嫌いで、頭の中で作り話を作って創造の世界で楽しんでいるような子だったと思っていた。

この間姉が、実家の整理をしていたら、当時の成績表が出て来たと言ってLINEで送って来た。
小1の時が、グズのくせに、無駄口が多い。
小2の時が、ついに根暗になったのか。。発言したと思ったら、聞く態度が悪いって。。

小学1年
小学2年

先生が厳しくて、字が汚くて教室を追い出されたり、給食を食べるのが遅いと、みんなの前で牛乳を飲まされたりしていた記憶がある。学校が嫌いだったんだのか、早退して迎えに来た母と歩道橋の真ん中で会ってホッとした記憶もある。

姉からも、「⭕️ちゃんの担任は、厳しい先生ばっかだったもんね。」とフォローしてくれた。
「それにしても、子供がこんなにディスられて、ばあば担任になんも言わんかってんかね」確かに、自分の子が、こんな事を書かれていたら心配になると思う。

この間、昭和にタイムスリップする「不適切にもほどがある」というドラマがあった。昭和の高校教師の話だった。体罰も暴言もありきな先生だったけれどどこか愛情があるそんな話だった。

この先生達に愛情があったかはわからない。でも、昭和ではストレートな表現が当たり前の表現だったんだろう。

岐阜には、それ以来行っていない。
父親が蒸発して、その後再婚して最後亡くなったのも岐阜だったと聞いた。いつか、行ってみたいと思っている。

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