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事故物件、浄化いたします。(1)

不動産管理会社のエースだった裕司。あるとき、お得意様の持っているマンションの一室で部屋で事故物件を生じたことからオーナーの怒りを買い、その責任を取る形でマンションの管理員に異動を命じられた。新たに配属されたマンションで出会った、ちょっと変わった美少女と、その家族との交流を通して、今まで見えなかったことに気付く裕司。裕司が仕事も、人生も、生きなおす物語。

あらすじ

#創作大賞2023 #お仕事小説部門

☆1☆

「金属部分を光らせておけば、綺麗に見えるから。」
裕司は自分にそう言い聞かせながら、マンションの廊下にある金属製の手すりを磨いていた。

「不動産の管理会社に入って20年。ビルやマンションの管理を一筋にやってきた自負はあったつもりだけど、いざ、毎日の清掃となると、わからないこともあるもんだな。一日の勤務時間内に、どれぐらいの完成度で仕上げるか、その配分にまだ慣れない。やるなら徹底的にっていう性格のせいで、曇りひとつ気になるからかな。掃除をし始めるまでは、気にならなかったんだけどな…。」

一人で黙々と作業する時間、裕司は頭の中でもう一人の自分に話しかけるように会話している。
本来の裕司は、人と会話したり賑やかにしている方が性に合っているタイプだ。なのに今は、一人きりでのの作業。つい、とりとめのない会話のようなものが頭の中で交わされていても、それは、まあ、大目に見てもらいたいところだ。

手すりを磨く手が少し疲れたので、裕司はふぅっとため息をついて、11階の高さから眼下に広がる街並みを眺めた。
「あのじいちゃん、最後の時は苦しかっただろうか…」

裕司は、つい最近まで、不動産管理会社の営業として働いていた。
人当たりも良い方で、営業先でも相手の求めることを理解しながら交渉もできるたちなので、土地持ち、ビル持ちのオーナーからも可愛がられて、社内での成績もよかった。小さな会社だったけれど、このまま行けば部長、その次は次期社長かという、将来を嘱望されたエース、のはずだった。

それが、お得意様のオーナーが所有していた部屋で、事故物件を生じさせてしまった。
裕司が何かしたわけではない。ただ、いくつものマンションを持っているオーナーが預けてくれた部屋の一つに、賃借人をつけただけ。70代の夫婦。近所に子どもとその家族が暮らす家があるからと、遠方の家を手放し、子どもたちの近所で余生を暮らしたいという、ささやかな願いを叶えただけだ。

ただそれだけのはずが、事件が起きてしまった。
賃借人の夫妻のうち、妻と子ども一家が旅行に出かけることになった。夫は、子ども家族のペットであるハムスターの世話をするため、留守番をすることにした。
ハムスターならだれか他の人に頼めたかもしれない。子どもたちとの旅行も魅力的だったはず。それでも夫は、体調に不安があることもあって、ハムスターの世話を理由に留守番を申し出た。
子ども一家の旅行は一週間。その初日に、夫の部屋に強盗が入った。
オートロックのマンションでまさかと思うが、運が悪いと、ドア一枚の向こう側に悪人がいることもある。宅配を普段受け取ることもない、家事に不慣れな男性が「お届け物です」の一言だけで、うっかり扉を開けてしまうこともあり得ない話ではない。
この夫と、悪人。この時の運だけで言えば、悪人の方が強かった。
荷物を玄関に入れるからと、宅配を装った悪人が玄関に入って扉を閉めた後、夫の命は奪われた…。

旅行先から子どもたちは夫に連絡をとるも、なかなかつながらない。心配しつつも、最終的には「お父さん、携帯の使い方よくわかっていないのかな」と軽く考えることにした。そのため、一家がマンションに帰宅してから事件が発覚した。
人が亡くなって一週間…季節は夏だった。特殊清掃が必要になった。
部屋の住人は完全なる被害者。なのに、部屋の持ち主からすれば、資産価値が下がる大事件。オーナーはこの不条理を誰かに当たらずにはいられなかったようで、その矛先は担当だった裕司に向いた。
裕司を快く思わない同僚からの根回しもあったのだろう。会社は、オーナーの機嫌をこれ以上損ねたくはなく、裕司を「勉強し直させる」という名目で人事異動することで手打ちとした。こうして、エース社員改め、新米管理員としての裕司のキャリアが始まった。

「苦しくない、わけがないよな。」
裕司は、賃貸の契約を交わすときにこの夫と会っていたこともあり、ふとした瞬間に、夫の最後の時はどんな思いだったかと思いを馳せてしまう。そんなことを今さらしても、仕方のないこととわかってはいる。しかし、どうにも、やるせない。
自分の会社員人生が狂ったこともショックだったが、人ひとりの命が予期せず奪われたことの重さにも、打ちひしがれていた。

☆2☆

うっかり5分ほどは景色を見るともなく眺めていただろうか。
「いかん、しっかりしろ、俺!」
裕司は自分に喝を入れた。

次は、エレベーターの扉を拭くか。そう思ってエレベーター前に行くと、一人の女性が這いつくばっていた。頭の方の下には、吐しゃ物が広がっている…。
「だ、大丈夫ですか?!」
思わず声をかける裕司。
「はぁ…はぁ…、す、すみません…ちょっと、苦しくて…。」
息も絶え絶えな様子で答える女性。
白い長袖のシャツに、ジーンズを履いて、長い髪をおろしている。
「ここを、汚してしまって、ごめんなさい…。」
女性は肩で息をしながら謝罪している。
「それはいいから!どしたの?救急車呼ぶ?」
「いえ、少し、横になれば、良くなると、思いますから…。」
「じゃあ、家まで肩を貸すよ。この階だよね?何号室?」
声の感じからすると、まだ若そうな女性。裕司は肩を貸すのはどうかと言ってから一瞬ためらったが、一人で歩けるか怪しそうなようす。声をかけた手前、後には引けず、女性に向かって手を差し伸べた。
「ありがとう、ございます…。」
そう言って、裕司の手を取る女性。
裕司が起き上がらせると、女性は蒼白の顔色をして、吐しゃ物が少しついた口元にまとわりついた髪をそっと払いのけた。

裕司は思わず目を見開いた。まさか、床に這いつくばっていた女性が、顔色はすぐれないものの、その考慮を忘れるほど眉目秀麗だとは思わなかったからだ。
嘔吐するときに涙もでたのか、長いまつげが光っている。伏し目がちながらもきらめく瞳は、これは正面から見なくてよかったと思うほど力を秘めているようだ。人の鼻筋ってこんなになめらかだったっけ?とその横顔を見つめそうになって、我に返る裕司。
いかん!この人をまず部屋に送ることに集中しよう!
「部屋まで歩けますか?」
「はい…歩きます…突き当りの部屋です…。」
1109号室。
「ここは…。」
「昨日、引っ越ししてきたばかりで、様子がわからず、ご迷惑を、おかけしました…。あとで、汚したところ、片付けますので…うぅっ。」
また込み上げるものがありそうな女性。
「いいから!自分、管理員です、清掃しておきますから!」
「いえ、でも…。」
「廊下は共用部です!管理員が清掃していいんです!それより、本当に大丈夫?だれか一緒にいてくれますか?」
「父が…インターホン、押したら、来てくれるかと…」
「じゃあ、押すね!」
裕司はインターホン越しに事情を説明し、家にいた父親が女性を介抱してくれることを見届けて玄関を閉めた。

エレベーター前には、仕事が残っている。今まで持ち運んでいた清掃道具のバケツにアルコールスプレーがあったな、ほかの住人が見つける前にペーパータオル乗せてアルコールスプレーかけておくか…。あとでマニュアル見てちゃんと清掃しないとな、と独り言を言いながら、裕司は不慣れな仕事ではあっても一所懸命に励んだ。

(続く)

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