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超能力者だった僕は、人生を奪われた。生きるとは何か?

超能力…古くはシッディ、神通力と呼ばれ、現代ではESPと呼ばれるもの。

超能力者…一定数がなり得る、超能力を持つもの。

自分
超能力者はなぜ迫害されるのか?

chatGPT
超能力者が迫害される理由は、文化や社会の偏見によるものです。以下はそのいくつかの理由です。

  1. 異質さへの不信感: 超能力者は一般的な人々とは異なる能力を持っているため、周囲の人々から不信感を抱かれることがあります。これは、人々が未知のものに対して恐れや疑念を抱く傾向があるためです。

  2. ジェラシーと嫉妬: 超能力者が特別な能力を持っていることは、他の人々に嫉妬やジェラシーを引き起こす可能性があります。これは、超能力者が普通の人々よりも特権的な立場にあると感じられることが原因です。

  3. 宗教的・文化的信念: 一部の宗教や文化では、超能力や超自然的な力は邪悪なものと見なされることがあります。そのため、超能力者は迫害されることがあります。

  4. 政治的な理由: 超能力者が政治的な力を持っている場合、政府や他の勢力から迫害される可能性があります。彼らの能力を利用しようとする者や、彼らの存在を脅威と見なす者がいるかもしれません。

超能力者は、自分の能力を隠すか、理解ある社会で受け入れられることを望むことが多いです。理解と寛容さが必要ですね。🌟


自分
超能力者に降りかかる危険はどんなものですか?

chatGPT
超能力者が直面する危険はさまざまです。以下にいくつかのポイントを紹介します。

  1. 社会的な迫害:
    超能力者は、一般的な人々から異質視されることがあります。彼らの能力が他と異なるため、差別や偏見にさらされる可能性があります。

  2. 政府や組織からの圧力:
    超能力者が特定の能力を持っている場合、政府や組織は彼らを利用しようとするか、逆に抑圧しようとすることがあります。

  3. 個人的なリスク:
    超能力者は、自分の能力を制御することが難しい場合があります。例えば、テレキネシス(物体を意志で動かす能力)を持つ人が、誤って物を壊してしまう可能性があります。

  4. メンタルヘルスの問題:
    超能力者は、自分の能力に対するストレスや不安を抱えることがあります。これは、普通の人々には理解しがたい状況であるためです。

  5. 個人情報の漏洩:
    超能力者が匿名で活動することは難しいため、彼らの個人情報が漏洩する可能性があります。

  6. 科学的な研究と実験:
    超能力者は、科学的な研究や実験の対象となることがあります。これにより、彼らのプライバシーが侵害される可能性があります。

総じて、超能力者は特別な能力を持つ一方で、それに伴うリスクも背負っています。社会的な受容とサポートが重要ですね。¹²³


…AIに聞いただけで、こんなことがわかっています。
 
僕も全部がわかる訳ではありませんから、わかる範囲の仮説で語ることが多いのです。
 
何故、このような話をするしかなくなったのかは構造的というには、いささか問題もあります。
 
責任の発生しない子供に追求しても意味はありませんが、問題としては残るのです。

ですが日本でこれらのケースの国公認の制度やアドバイザーはいません。
神社やお寺を頼る方法もありますが、理解が得られるかは確信的ではありません。

多数の誰かのつまらない意地のために、僕は人生を台無しにもされます🤔
それらに一般的な人のなかの一介の超能力者の鑑みる点に於いて、解決すべき問題はいったいどこにあるでしょうか?

例えばただの資格のない超能力者は他者に診断を下そうと思っても診断はできませんし、お金も取ることはできません。それは診断ではないからです。

自身の占有できるものは物質的に権利と価値が定まっているものに限ります。

一つ、議論をしたとき複合的な地続きの問題と、全く別の近しい議題が上がるケースもあります。

それらは証拠が必要にもなりますが、一々つっかかるのも、つっかかられるのも煩わしい問題です。

超能力者の能力は、それがコントロールできない場合、占有できるものではありません。

しかし能力は超能力者に起因し、それらは未知なる部分と心身と環境の原因に分かれます。

心身を制御するのも難しいこと、未知と環境にいたっては根本的に変えることは不可能ですし、推奨されません。

僕にも意地は多少ありますが、言っても理解してもらえないかもしれません。

日本では“長いものには巻かれろ“という言葉もありますが、国語辞典に載っているものと、常用的に使われてきた意味合いで、差もあります。しかしながら、それらはニュアンスの差のレベルで、日本語の利点であり難点でもあります。

日本は極めて統制された縦横に伸びるヒエラルキー構造の社会なので、みな権限、“長いもの“になりたくて必死になる人が多くいます。満たされていればそんなことは起こり得ませんが、そういう方たちは一様に野心による渇きを自身に植え込んでいる場合があります。

社会構造として必要なことではありますが、それらは他者には理解しかねる場合がほとんどではあります。

僕たち超能力者に於いてはどんな構造でも、一方的に利用され後にも先にも不遇です。

世間一般の同世代と比べても、それはよくわかりますが、そもそもが異質にも見られるので、悲しいことが多いです。

八つ当たりは日常的に起こり得ます。それは超能力者でなくてもです。しかし、それらの問題の責任を濡れ衣とともに被せられやすいのが、弱い立場の人です。

弱い立場は自由が少なく、思考はできても思想の余地はなく、能力があっても伸ばせません。

権利と保証は性質が違います。
権利は誰しもが持つもの。特別なものは特権です。保証は誰しもが受けられる一定のサポート基準です。

意見を聞くと特権の話と権利の話と保証な話とそれを持つ境遇の人の話をごっちゃにしている人が多い。それでは渇きの伝染を広げるようなものです。

間違いを認められず、反省をできない大人とは、自身に正しさという信仰の枷を強いている。懐疑主義になるべきだとは言いませんが、多くは柔軟に、ケースバイケースで対応を変えることが最適化。そして全員がそうはなれない。

生きることは、常に目標があってこそてす。
そして異質だからといって虐げられることの不遇さは全員が知ることはありえません。

補足
鬼滅の刃の冨岡義勇さんのセリフに「生殺与奪の権利を他人に預けるな」というものがありますが、生きることに権利自体はありませんし、殺す権利は誰にもありません。


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