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霧の宴   ミラのⅣ              うたげ La Bohème

大衆にも人気の高い<ラ ボエーム>の事とて、述べ十八公演が決まっていたが、Mo.C. クライバーの指揮は初日から五公演だけであった。当然のことながら、その五公演にはトップクラスの歌手達が揃えられている。  マリアムは、その五公演をスカラ座に通ったが、二日目の夜に隣のパルコに、可愛いスミレのブケを手に正装した十五、六歳の少年が、第二幕でムゼッタが登場する場面になると、身を乗り出しそうにして舞台に見入っているのに気づいた。 休憩時間に話かけると、彼は熱心なL.ポップのファンで

    • 霧の宴    ミラノⅣ         うたげ               La Boheme

      その夜、思いがけず山のサナトリウムのジョルジョやエミリァに会えたので、マリアムはたいそう幸せであった。 「どうだい、今シーズンは久しぶりにスカラ座の<ラ ボエーム>が、マエストロC.クライバーの棒に決まっているが、大丈夫かい?また山に来ることになるかもしれないぞ」と笑いながらジョルジョが言う。 「<ラ ボエーム>だったら、何も起こらないでしょうよ、たとえMo.C.クライバーでも、、、、、」とマリアム。 「まあ、今から心の準備をしておくことだなあ、振り回されないように」 「胸

      • 霧の宴    ミラノⅣ  宴

         深い霧がミラノをすっぽり覆ってしまう十二月の第二土曜日の夕方に、 アンドレアとエリアが主催するコンサートのオープニングセレモニーは開かれた。  既にその年のスカラ座のオペラシーズンは、ミラノ市の守護聖人アムブロージョの記念日十二月七日にオープンしていた。  その年のアンドレアとエリアのコンサートシーズンの初日を飾ったのは、度々スカラ座で重要な脇役を歌うバリトン歌手とソプラノ歌手ミシェルの、十九世紀のイタリア&フランス歌曲でプログラムが組まれていた。  以前マリアムは、リヨ

        • 霧の宴   ミラノ Ⅲ         クレリア夫人      副題( Stabat Mater )

          「確かに、テーマがドラマティックであることから<スタバト マーテル>は、現代人が聴いても作品として形が美しく整っていて、分かりやすいかもしれません。<サルヴェ レジーナ >はコンサートで演奏するのには、ちょっと中途半端な感じだし、、、<サルモ 126>は、わたしのテクニックでは、無理でしょう、、、ということで、一番無理のないのは、やはり <スタバト マーテル>に落ち着くと思うのですが、、、」  友人の作曲家は、何時になくしおらしいマリアムを、質問に答えられなくてまごついてい

        霧の宴   ミラのⅣ              うたげ La Bohème

        • 霧の宴    ミラノⅣ         うたげ               La Boheme

        • 霧の宴    ミラノⅣ  宴

        • 霧の宴   ミラノ Ⅲ         クレリア夫人      副題( Stabat Mater )

          霧の宴   ミラノ Ⅲ         クレリア夫人

           マリアムのテクニックでは、M.ラヴェルの複雑なピアノのパートを初見で弾けるわけもないのだが、それでも未知の楽譜を前にすると何時も胸が必ず高鳴る。 その時もピアノの前で、彼女は自分の息遣いが乱れているのに気が付いた。 やがて、ごまかしだらけなピアノの音の間からおぼろげに浮かび上がってくるM.ラヴェルが描くJ.ルナールの小宇宙に、マリアムの心臓は益々高鳴っていった。  マリアムのJ.ルナールが、あの遠い気怠い夏の日の午後のようにM.ラヴェルの音の世界に生命を受けて躍動しているで

          霧の宴   ミラノ Ⅲ         クレリア夫人

          霧の宴  ミラノ Ⅲ                 クレリア夫人

            どんよりと湿った空気がミラノを重苦しく覆っていた数日後、烈しい風を伴った豪雨の夜になり、一夜明けたその十月の朝、久方ぶりの太陽の光がヴェネツィアーを通して寝室に差し込んでいた。  広いテラスの鉢植えの低樹木の葉や花たちが、夜間の風と雨にレンガの床に叩きつけられ見るも無残に飛び散っている光景を、マリアムはただ茫然とパジャマのままで眺めていた。  表門のベルが鳴る。 「市役所のものだが、、、」 ?、、、こんな早朝に市役所から何の用事か、と不審に思いながら、急いで部屋着を羽織っ

          霧の宴  ミラノ Ⅲ                 クレリア夫人

          霧の宴    ミラノ Ⅲ        クレリア夫人

           本格的な秋の気配を感じさせる九月半ばになってから、マリアムはミラノに帰ってきた。長い間留守にすると、騒々しく車の往来する薄汚れたこの町も、何やら懐かしく感じられるのが不思議である。  スカラ座では既にコンサートのシーズンが始まっていたが、プログラムに目を通すと、未だこれと云って特別に興味をそそられる出し物は見当たらなかった。しかし、夏の間地方都市の観光客相手のオペラやバレエ、コンサートなどの催し物に比べれば、やはり質も内容もかなり充実してはいる。  いつになく華やいで弾ん

          霧の宴    ミラノ Ⅲ        クレリア夫人

          霧の宴  ミラノⅢ                     クレリア夫人           (副題 ジョットの叫び)

           ファノの公爵家に別れを告げて、マリアムはアッシジに足を延ばした。 以前からジョットに魅かれ、ぜひ一度はアッシジの大聖堂に描かれている壁画を観たいと思っていたのである。 北に上がってパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂を観るべきかとも思ったが、先ずは初期の作品と言われるアッシジの大聖堂から観るのが妥当であろうし、地理的にも近い。更に時間が許せばフィレンッエに寄り、サンタ クローチェにあるバルディ家の礼拝堂のジョットを観ることができる。  その日は残暑か厳しい八月の、最後の日曜日で

          霧の宴  ミラノⅢ                     クレリア夫人           (副題 ジョットの叫び)

          霧の宴  ミラノ Ⅲ          クレリア夫人

          その年のファノの滞在も終わりに近づいたある日の午後、陽ざしが微かに秋の気配を感じさせる広い庭を散策しながら、クレリア夫人はマリアムに云った。 「ミラノに戻りましたら、貴女のご友人のドクトル モンティにご紹介頂けないかしら? 貴女のお話を伺ってから私、すっかり古くからのお知り合いのような気がしてなりませんの、ご迷惑かしら?」 「いいえ、少しも迷惑ではありません、喜んでご紹介いたします。でも、わたしの友人達は皆、何処か浮世離れしているところがありますから、驚かれると思いますが

          霧の宴  ミラノ Ⅲ          クレリア夫人

          霧の宴   ミラノ Ⅲ         クレリア夫人     

           七月に入ってミラノ人達が例年どおりヴァカンスに出かけ始め、町が次第に落ち着いた雰囲気を取り戻し始めたころ、約束通り、アンドレアの研究所にマリアムは足を運んだ。  その夏は、五月半ばからかなり気温が高くなり、粗い石畳の照り返しに、日中の外出は余程勇気がいった。しかし、古い石造りの建物に入ると、アンドレアの研究室は乾いた空気がひんやりとしていて、外の暑さは嘘のようで心地よかった。  アンドレアは催眠術の実験を試みながら、C.G ユングのシンクロニシティをマリアムに説明した。人

          霧の宴   ミラノ Ⅲ         クレリア夫人     

          霧の宴   ミラノ Ⅲ                  クレリア夫人

          フィレンツェに滞在する機会があると、マリアムは時間が許す限りウッフィツィ ギャラリーに足を運ぶのが習慣になっていた。その日の気分によって集中して観る部屋が決まるのであったが、それでも必ず時間をかけて観るのは、何時もS.ボッティチェッリの部屋であった。 そこには、十五世紀に遡るプラトンアカデミアのヒューマニスト達の、古代ギリシャ思想を踏まえた生命の躍動に満ちた新鮮な息吹が渦巻いているのである。マリアムはそれを肌に直接感ずるのであった。 だが、デ メディチの加護の下に結成され

          霧の宴   ミラノ Ⅲ                  クレリア夫人

          霧の宴   ミラノ Ⅲ         クレリア夫人

          八月のコンサートをアンドレアに約束していたので、マリアムはジュリア―の公爵家の夏の館で過ごすヴァカンスの日程を変更しなければならなかった。毎夏、もはや恒例となっているマリアムのファノ滞在を、クレリア夫人が心待ちしているのを知っているので、少し申し訳ない気がしていた。  公爵夫人との出会いは、数年前ポルディ ペッツオーリ美術館でS.ボッティチェッリ作の<嘆き>の前で言葉を交わしたのが最初であった。 <嘆き>の人物群像の見事なコンポディションに魅せられて、釘付けされたように立

          霧の宴   ミラノ Ⅲ         クレリア夫人

          霧の宴  ミラノ Ⅱ          アンドレア

          <ペッレアス と メリザンド>がスカラ座の公演目録に載っていた。 メリザンドを演ずるのはF.von シュターデであることが、マリアムの興味を大いにそそった。美しい姿や涼やかな声の彼女ならば、マリアムの望むメリザンドを演じてくれるに違いない、と期待が膨らんだ。  常日頃からこの美しい<詩劇>の上演が至極稀であることに、マリアムはたいそう不満であった。オパールのような不思議な煌めきを放つサムボリズムのポエムの美しさに、現代人たちは鈍感になってしまったのだろうか?  アンドレアか

          霧の宴  ミラノ Ⅱ          アンドレア

          霧の宴 ミラノ Ⅱ             アンドレア

           友人のバス歌手から、カスティリオーネ オローナでG.パイジェッロを歌うから来ないか、という誘いの電話があった。ニューヨークのメトロポリタンでG.ヴェルディの<ドン カルロ>の異端裁判長を歌い、帰国したばかりである。 聴衆をうっとりさせる、あの漆黒のヴェルヴェットの深いバッソ プロフォンドの声を暫く聴いていなかったので、マリアムは喜んで出かけることにした。それにしても、重厚で厳格な異端裁判長の後で、軽妙なG.パイジエッロのオペラ ブッファを演ずるとは、なんという表現の幅の広

          霧の宴 ミラノ Ⅱ             アンドレア

          霧の宴 ミラノ Ⅱ          アンドレア

           古代ローマ時代、優雅なトーがを纏ったローマ人達からBarbari=野蛮人と呼ばれていた粗末な毛皮で身を包み動物の脂で頭髪を固めた粗野なゲルマン人を先祖にもつL.van ベートーヴェンの血の中に、一片の花びらの気まぐれな変容のような単音の透明な美しさに魅せられるという感性があっただろうか?勿論、この巨匠にその感性がない筈はないが、彼の伎(ARTE)が和声や作曲法の技を駆使した音の壮大な建築に至ってゆくのを見る時、もはや、 <生(き)の純粋な美>の人的表現としての音楽というより

          霧の宴 ミラノ Ⅱ          アンドレア

          霧の宴  ミラノ Ⅱ          アンドレア

          「今月いっぱいは山で過ごしなさい」 山を発つ前に、アンドレアは大層真面目な顔つきで云った。 「それから、時々自己催眠を試してごらん。コントロールしながら神経をポジティーヴな状態に導いて行くように」  短い山の滞在中、アンドレアはマリアムに自己催眠の方法を長い時間をかけ説明し実験したのだった。  暫く忘れかけていた都会へのノスタルジアが湧き上がり、アンドレアと一緒にミラノに帰りたいとマリアムは思ったが、それは冷淡なほど厳しいアンドレアの医者としての命令で思い止まらなければなら

          霧の宴  ミラノ Ⅱ          アンドレア