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白状!~過去の罪状

吉田直記(よしだなおき・仮名)は、22歳の大学生である。
賄いつきの下宿を出てから少ししてパチンコ・アレンジボールにはまるようになり、足繁くホールに通いはじめる。

その時は郷里に彼女がおり、直記はよく帰郷したし、彼女が東京に出てくる度にデートしていた。
部屋に泊っていったことも。
直記は、ギャンブル資金のために彼女から8万円拝借した。
それはすぐになくなった。
一日2万3万遣うことも珍しくなかったからだ。収入は親からの仕送りのみだったので当たり前といえば当たり前である。

3度目の彼女の来訪の時、直記は対面で追加の融資を持ちかけた。
彼女は絶句し、帰りの飛行機に乗るために向かった羽田に行くまでの間、ひとことも口を開くことがなかった。
直記は彼女が社会人であることをいいことに、「都合のよい金ヅル」ぐらいにしか当時思っていなくなっていた。

そこから直記の本格的な転落がはじまった。
学生ローンからサラ金詣でが切って落とされたのである。
彼女とも別れる。
アパートの家賃も滞納するようになり、借金取りから目をつけられる。
生活費も底をついてきて、二日に一度ぐらいしか食べない日々が続いた。
朝起きてまずするのは、近所の図書館に逃げ込むことだった。
夕方近くにアパートに戻り、夜は部屋の明かりもつけず、真っ暗闇の中で呼吸していた。
ある日、いつものように図書館から戻ると、「借金返せ!」などと大きな赤い字で書いてある貼り紙がアパートのドアについていたことも。

就職を間近に控えた大切な時期だってのに、借金まみれ。
ギャンブルへの依存体質は決定的だった。
お金に対してもルーズ極まりなかった。
大学にも顔を出さなくなり、一年留年する羽目に。

それでも直記は中小の食品会社に就職を果たす。
だがそれも持ち前の放浪癖も重なり、一か月足らずで幕引き。

直記はふた月とちょいで地元の国際交流団体に再就職するが
本給も往復の交通費も満足に出ない嘱託職員だ。
周囲からは就職半年足らずで
「あらゆるつてを使って、どこかに正職員として採用された方がいい」とクギを刺されもした。
そこも外勤中にパチンコをするなど、不まじめな勤務態度だった。

4年と少しでそこを辞め転職するが
行った先は最悪だった。
「広告営業していた」との理由で、とある新聞社の子会社の広告部に配属されたが、その部門にいられたのは3か月足らずだった。
営業成績がパッとしないことを理由に別部門に配置転換。

そこからが第二の地獄。
自らの意にそぐわぬ部署で定時退勤しては、夜の部としてパチスロ屋に。
結果、借金はゆうに100万を超え
一部を親に肩代わりしてもらい返済したが、その過程で身体的健康も害する。毎晩のような不摂生で疲労が蓄積して血尿とタンパクが一緒に出た。
肝臓の数値も悪くなった。

入院の話も持ち上がったが、通院でやり過ごす。点滴治療。食事制限もした。
その間、仕事は休職した。
それで信用を失った直紀は職を追われることに。
その後バイトしたけど
ひょんなことから職を投げうって「東北地方巡礼の旅」に。
第二の恋人にも家にも無断で岩手と山形を訪ねる。
ギャンブルにもかまけていたことは言うまでもない。

恋人ともひとまず別れた直記は、地元の精神保健福祉センターに親からの強い勧めで通わされ、その後、ギャンブラーズ・アノニマス(GA)にもつながることに。
失踪型スリップをその間にも繰り返し、菓子工場をやめて塾講へと。
その私塾でも生徒らからの月謝をギャンブル資金や飲み代に流用したのがバレて、給料から差っ引かれるなどしていた。

大がかりなギャンブル再没入は40代前半を最後にしていないが
時どき無性に機械の感触が恋しくなる。

大谷翔平の元通訳・水原一平が大谷の口座から巨額をギャンブルに投じていたことがわかり、社会問題の様相も呈したが
日本国内では街中至る所にパチンコ屋がある。
出た玉なりメダルは現金化する際、景品を質入れするスタイルを取っていることから、業者の大半は「ギャンブルではない」と言い張っているようだが
これだけ身近なところに胴元が開帳しているクニもまた稀である。

また、大阪万博の跡地は賭場になるらしい。
強い憤りを禁じ得ない。私は全国のパチ屋を廃業に追い込みたいと思っているし、IRなんてのは尚更なのだ。
どうせインチキ商売だ。

一連の行動は、愚行だったとしか思えない。
綿密な計画を立て、確実に儲けるために遊ぶならまだしも
ただやるためにやったに終始したからだ。

五、六回に一度ぐらいは勝つことはあったが
それはたまたまであって、その勝つ快感が忘れられず、ズルズルとのめり込んでいったのだった。
ギャンブルをすること、またはした後で周囲に嘘もついてきたし
人生そのものを賭けていた感がある。

学生時代に親しい友人から「サラ金に行ったろ?」と問われても否定し続けた。ギャンブルに負け、それに没入していた自分を認めたくなかったからだ。

この負の体験を今後活かすために
私はギャンブル依存の悩みに応えられるカウンセラーになり
自分の経験や対応をクライエントに伝えることで、依存から一人でも多く抜けさせることを目標にしたい。

現在、パチもスロも4年数か月間絶ってはいる。
しかし、根っこはまだ健在だと認識できる。
対象にのめり込むことで経済的損失を抱えるし、社会的信用を失わせるギャンブルは生活破綻の元凶でもある。
「時たま勝つ快感」を忘れさせる。
私がつながった精神保健センターの元所長は、患者第一号が私であり
現役を退いた今でも、その道の権威である。
「禍転じて福となす」ことを体現したいものだ。

大当たり

少し長いおまけ

スマホ依存症

それを仮に依存者から取り上げたとしよう。
1~2時間もしないうちにソワソワ・ムズムズしはじめるだろう。

行動の原動力もヤル気もスマホ次第だからだ。
一日6~7時間も。それにしても没入してる人らの気持ちがよくわからない。
そこまでしてハマる理由を訊きたいものだ。

できることなら街角で百人アンケートをして😮
「今スマホで何してましたか」と問いたい。
アプリ操作や検索、ゲームなどが上位に来るだろう。
あの小さな画面で映画鑑賞やスポーツ観戦⁈

時代は変わった。

5Gはオーバーテクノロジー。
10分近くかかっていた2時間映画のダウンロードを数十秒にして何が満足だ❓

「人智はテクノロジーを超える」と常々思っている私である。

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