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世は「作用」と「反作用」なのか?

地球が熱帯化していることで

クーラーを設置する人が殖える。


コロナワクチンの有害性が明らかになるにつれ、接種しない人が殖える。


いずれも「作用」「反作用」である。


愛しい人から裏切られたことで人全体を信じられなくなった

もそうかな。



私は半分、親への義理で大学へ進んだ。

しかしその翌年

弟は高卒で国鉄へ就職することを表明し

父親に通学カバンを庭に投げ入れられた。

これも作用反作用だが

親にしてみればふるい学歴信仰が元になってのことだと思う。


TVをつけると、先日はテレ朝のワイドショー観てたら

〝速報〟ということで注目すると

「大谷が転んだ」だって。

そんなもの庶民の暮らしと関係ねーじゃん。

TVの情報を真に受けると、アタマの中お花畑状態になること間違いなしだ。


夕方のニュースでも「新しい商業施設がオープンしました!」って中身を視ると

「こんなに美味しいものが」とかやっている

食レポの局の人間が、ほっぺたが落ちそうになるのを両手で食い止めるような仕草。



まだ2月なのにバカ陽気が続き

かき氷屋にカメラが入る。

一杯千円以上のかき氷。

誰が食うってんだ


最近の若い人はTVをあまり観ず

SNSやゲームに没頭しているという。

そして束の間の安息に沈むのだ。


私はSNSはツイッター(X)とLINEをやっているが

考現学をきわめたければ書籍が一番だと思う。

書かれたものには著者の「魂」が込められているから。

繰り返し使われるコトバは、著者の心の叫びだ。


それに対し、インスタとかTikTokなんかは画像あるいは映像のオンパレードだろう。

Youtubeもおもに映像だが

「こんなのがあったのか」という驚きと「あー面白かった」などといった

カタルシス効果があると思う。

最近は『逮捕系ユーチューバー』なるものも存在しているし。

そこで「映え」を狙った投稿者たちが街中をうろつくのである。


面白ければそれでいいのか?

前にも言ったかもしれないが

面白さと感動は別個だ。


筆者は20年以上前に沖縄の八重山地方を旅したことが二度あるが

その一度目に竹富島で小家屋のテラスのところで休んでいたら

「これどうぞ」

と差し出されたのは〝島バナナ〟だった。

その小振りのバナナを食したが、普通のバナナより酸っぱくて、頬が落ちるほどではなかったが

感動しました。

そこの女主人の小粋な計らいによって。

タイミングさえ合えば、どんな些細な事にだって感動できるのだ。


私事ですみませんが、その沖縄行きは、来月のは諸般の事情によりキャンセルすることにしました。


紀行文が投稿できず、残念。



現実と仮想現実の境界が曖昧になってる。

人は考える葦だから、いろいろと考えをめぐらし、いろいろなものを作ってきた。

AIもその帰結点のひとつだ。


カチャカチャ

ゲームなんてのは仮想現実の極みだ。

その中でどれだけ傷つこうが殺されようが、プレイヤーにはあまり影響がない。


しかし、現実ってヤツは時にキバを剥く。

地震、風水害、火災、事故などだ。


マスコミはそれらを克明に描こうと努めるが

本当の悲しみに暮れている人たちを取材などできないし

伝わってくるのは、今回の能登地震にしたってごく一断片。


たとえば志賀原発の被害の全容なんて伝わってこない。


災害・事故といった作用がはたらくと

マスコミは一時的にわっとそちらの方を向くが

「喉元過ぎれば何とやら」で、次第に熱を帯びなくなってくるもの。

「ここをこうすべきではないか」といった意見なんて必要最小限。


マスコミはストレスを受けても、その反作用が小さいのだ。

この国の政官財界が現在どうなっているかなんて国民には伝えないし

海外で大規模なコロナデモが起きても知らんぷり。

暴政に対するリアクションを徹底的に伝えない。


そしてグルメとかくだらないお笑いに庶民を誘導しているのである。

「何も考えるな。行動するな」と言っている。



立春を過ぎ、冬もピークは過ぎました。


5月並みの陽気に包まれる地域もあって、早咲きの桜も綻んでいます。


今年の夏はどれだけ暑くなることやら……。



久し振りの投稿でした。



かしこ


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