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○(まる)ハラについて

この前、朝食を食べながらラジオを聞いていたら最近、「マルハラ」という新たなハラスメントが発生しているとの話題が流れてきた。

「マルハラ」は初耳だったので、何やそれ?と想像もつかなかった。

もしかしたら先日の僕と同様、初耳の方もいらっしゃるかもしれないので簡単に説明すると

マルハラとはメールやLINE等で文末に句点「。」をつけると威圧感を感じることらしい。

以上。

のように冷たい印象を与えるので若い世代は「怖っ」と感じるらしい。
よくわからんが。

たしかに最近、句点。をつけない文章を書く人を見受ける。

僕もnoteのコメントで句点を使わない人に対しては絵文字や顔文字などで誤魔化して極力、句点を使わないで返信したこともあった。
でもオジサン構文で我ながらキモいなと薄々感じていた(T_T)

これこそ、「ハラスメント・ハラスメント」の一例ではないか。

僕が違和感を覚えるのは、何でも言ったもん勝ち的なハラスメント認定はいかがなものだろうか、ということ。

確かに文末が句点。だと侘しいから顔文字(^^)や絵文字☺が普及してきたのは否定しない。しかし無理に文中において句点を使用しないと読みづらい上、僕は逆に美しくないと感じる。

「句点。使わないハラスメント」をマルハラ提唱者に投げかけたい。

冗談はさておき、ある程度長い文章を書こうとする場合、句読点がないと読みにくいし無駄に改行を重ねるので美しくない。また英文解釈ではないものの、パラグラフリーディングを意識しながら文章を作成したいという人もいるだろう。noteに書くようなライトな文章なら句点なし、かつ無駄に多い改行でも事足りるかもしれないが、ビジネスメールや課題レポートなどフォーマルな書式だとそうも言ってられない。

以前、ある人から文章は人格を反映するというコメント頂いた。

人に応じて句点を使わない文章を作成する優しさも大切だが、それによって文意を歪め自分の本当に伝えたいことをぼかしてしまい、真意が伝わらなければ本末転倒である。

すなわち嫌われない文章を作成したところで全ての人に好かれることは不可能である。僕のこの記事の内容に共感できる人もいれば、反対に受け容れられないと感じる人もいることを想定している。それでも伝えたい。

人に配慮することは大切かもしれないが、行き過ぎた配慮は改悪となる恐れもあるということをご理解いただければ幸いである。

今日も皆様にとって、良い一日になりますように。

👆原曲のPVも素敵なので、よかったら原曲も是非ともご視聴下さい。

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