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そして叔父になる

昨日は体調不良により記事を書くことができなかったので、以前下書きに留めておいたポエムをやむを得ず投稿した。
体調不良といっても、単なる風邪で鼻水がダラダラ&咽頭炎により何かを飲み込むたびに喉が痛んで集中力を欠いていた。

そんな日は寝て治すしかない。
というわけで、昨日は一日ゆっくり身体を休めたので大分回復した。

そんな中、心配して下さり温かな言葉をかけて頂いた奇特な方もいらっしゃいました。
重ねて御礼申し上げます。


さて、僕はもうすぐオジサンになる。
というのも妹が現在、里帰り出産のため長岡に帰省しており今月末が出産予定日となっているからだ。

すでに僕のnoteを読んで頂いている方は何となく察しがつくかもしれないが、僕はちょうど同じタイミングで北海道に引っ越す。
竹内家の人口は一人減って、一人増えるからマクロ的にみれば問題ないが、天使のような姪っ子を直接拝めないことは残念だ。

思えば寅さんほどではないが、僕はどうしょうもない兄だ。

両親が僕を生んだ年齢をとうに過ぎても、わがままで他人のペースに合わせることを嫌うため未婚だし、地元で働き始めたかと思えば会社の経営陣とやり合って退職し一人北海道へ引っ越す。

別段、結婚することで幸せになれるわけではないし、そもそも幸せにしてもらうという発想がいただけない。
誰かと一緒に暮らすということは、ある意味、自己犠牲が必要なので僕の性格を鑑みると悲劇的なシナリオしか想像できない(笑)

少し脱線してしまった。
つまり世間で言うところの社会的に一人前とは到底みなされないけれど、続柄上、僕は叔父さんになる。

日本人でフィールズ賞を受賞した世界的な数学者、広中平祐先生の本にこんなことが書いてあった。

「おまえは、おじさんと呼ばれるに値する人間か」
と、自分に問うてみた。答えは「否」と自分の中の自分が答えていた。本を読み、高度の理論を理解する、人の論文を明晰に批評する、それだけでは「おじさん」の値打ちはないのである。自分の理論を創造しなければならない。論文を書かなければならない、いかに拙くとも……。
広中平祐「生きること 学ぶこと」

今、僕も自分自身に問う。
「おまえは、おじさんと呼ばれるに値する人間か」と。

精神年齢が低すぎるので当然、「否、おじさんではない」と即答するもののオジサンになることを拒絶しない。
むしろ楽しみですらある。

立場が人を変えるようにオジサンになることで見えてくる世界もあるのだろう。姪っ子のために、姪っ子たちの新しい世代に対して、恥ずかしくないように生きるためには何をするべきか、創造的に考え実践する。

オジサンだって人間だ。
間違えたり失敗することもある。
でもそれは大したことじゃなくて、楽しみながら色々なことにトライすることの素晴らしさを伝えていければ良いと思う。

だから僕はどうしょうもない兄貴だけど、叔父さんとしてのそのような務めを果たしていきたい。

今日も皆様にとって、良い一日になりますように。

大人になってまで
言葉飲み込むなんてやめとけよ
悔しく思ったなら 背負い続けてみろよ

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