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経営管理Ⅰレポート課題2

1.  建築家の立場の場合、自分の意見を主張し続けることが困難なのはなぜか。その原因となる状況やフレーズを述べよ。

2. 映画「十二人の怒れる男」において、「建築家」か「建築家以外の人」と同様の立場に立った体験について記述せよ。
① どのような点が似ているのか?
② 今振り返ると、どのようにすれば良かったのか?

3. その他感想

1.
集団意思決定において、一貫した主張を続けるのが困難な要因は3点あると思う。

一点目は同調とその社会的影響である。陪審員たちの大多数は、検事の説明に納得し、当初「有罪」を指示した。これは、「正しくありたいという動機に基づく情報的影響」を受けている、と見える。特に株式仲介人や運送業者は検事が提供した情報を「客観的証拠」とみなし、判断基準にしていた。自分より法律の知識を有し、客観的な判断ができる人間に追従したとも受け取れるだろう。

また一方で、同調には「他人から好かれたいという動機に基づく規範的影響」がある。劇中ではセールスマンは有罪から一転して、「無罪だとしか思えないから無罪だ」という論理的ではない発言をしていた。この背景には過半数が「無罪」を主張するようになり、集団から孤立したくないため同調したように見える。

二点目は社会的手抜きである。陪審員制は、個人がいくら声を上げて主張したところで、全員の合意が得られなければ意思決定が実現しないので、個人の貢献が結果に比例するとは思われない。例えば、ガレージ主人やセールスマンは「議論は無駄だから、さっさと審議を終わらせたい」という発言をしている。怠慢を個人の気質に帰着することもできるが、上記の先行状況では努力しても報われるわけではないので、ますます議論に嫌気がさすだろう。

三点目は集団浅慮である。陪審員たちの中には黒人の少年は自分たちよりも劣っている、という偏見を持つ者もいた。すなわち被告よりも優れている自分たちは、被告の嘘を見破り、的確な判断を下せるという自負がある。また建築家はトイレ休憩の時、「有罪」を主張する他の陪審員から「間違った判断は、君の汚点になる」のような脅しをかけられていた。この他にも「多数意見の圧力」が見受けられた。これらは集団浅慮が発生する兆候を表している。

さらに集団浅慮を増幅させるものとして集団凝集性がある。これは、集団メンバー同士の魅力や一体性によって、集団のもつ価値観への引力、安定感などが集合した力である。ポジティブな効果としては、目標にコミットし、それに協働することでモラールを促進させる。しかし、凝集性によって集団内部の相互作用を促進するものの、閉鎖的な関係に陥りやすくなり、集団からの圧力も高まる。すなわち、各メンバーに対して集団に同調させようとする働きかけが強まる。もし、集団から逸脱した行動をとれば、そのメンバーに対して敵意を生じさせやすくなる。

以上の3点のために、個人は一貫した主張を続けることが困難になる。

【集団凝集性】
フォーサイスはこれまでの集団凝集性の定義を検討して、3つの特質にまとめた。
① 集団メンバー同士の魅力
② 一体性、メンバーを結び付ける相互作用を通して感じる集団のもつ価値観への引力、安定感などが集合した力とみなす。
③ チームワーク、目標にコミットし、それに向かって協働することで、モラールを促進させ、集団への誘因につながる。

凝集性によって集団内部の相互作用を促進するものの、閉鎖的な関係に陥りやすい。またメンバー間の結束が強まると、集団からの圧力が高まり、各メンバーに対して集団に同調させようとする働きかけが強まる。もし、集団から逸脱した場合、そのメンバーに対して強い圧力が生じ、敵意を生じさせやすくなる。

2.
高校の学園祭で何を出店するのか、ホームルームで議論をしていたときのこと。高校2年生当時、学級委員長を務めていた僕と学際出店リーダーのR君が中心に議論をすすめていた。1人1人に意見を聞くのは時間がかかるので、あらかじめアンケートをとり、その中で希望の多かったものについて議論をしようと計画していた。

ところが、その目論見は見事に裏切られたのである。たこ焼き・もちピザ・アイスクリーム屋・・・・など主に食品関係の出店を僕は黒板に板書した。

「では、この中から多数決で出店を決めたいと思います」
 R君が決をとろうとした時、

「アイスクリームはどうやって作るの?スコーンは用意するの?」
 とAさんが指摘した。

「具体的な話は、とりあえず出店が決まってからにしませんか?」
 と僕が諭すと

「(平日)準備をする際、皆予定があるのだから、実現できそうにない出店計画をしても意味がないのでは?」

 ともっともらしい反論をAさんはした。

「でも、みんながやりたいという希望が多かったから、あげてみたわけで…。そうだよねN君?」

と僕は友人のN君に助け船を求めた。ところが、N君は肯定もせず、否定もせず、ただ僕と目を合わせないようにしている。
クラス内に嫌な沈黙が流れた。

「と、とにかく決を採ってみてから細かいことは話し合いましょう」
とR君が提案したものの、すかさず

「アイスクリームもそうだけど、たこ焼きを作る器械って誰か持っているの?」
とAさんがまたもや突っ込みを入れてきた。

結局、まともな議決をとることができず、R君に全権を任せるということになった。準備に手間があまりかからないという条件の下で、その年の学祭の出店は「ピタゴラスイッチ」の展示になった。実際、集客率はあまり芳しくなかった、と思う。

この状況を映画と比較すると、僕とR君は陪審員長の立場でAさんは建築家というような役回りであろうか。

今、振りかえれば、Aさんの言っていることも的を射ていたので、アンケートをもとに出店を決め、そこから詳細を検討するのではなく、実現可能な選択肢をしぼった上で議論の俎上に載せるべきだったと思う。あるいはAさんの手厳しいコメントを会議の前に判断材料として活用することも考えられる。誤解を恐れずに言うならば、Aさんに嫌われたくないから、そうするのではなく、「運営に関りたいAさんの積極性」をくみ取りたいから事前のミーティングに召集するのである。

3.
授業後日、たまたま衛星放送で中原俊監督「12人の優しい日本人」(三谷幸喜脚本)が放映されていたので視聴した。内容は「12人の怒れる男」のパロディであり、正当防衛か計画殺人か否かを12人の陪審員(女性も含まれる)が議論する群衆劇である。

論理的に議論をリードしていた人間が私情に固執し、可能性を柔軟に検討できないという点が本作(12人の怒れる男)をシニカルに表していた。

詳細な内容を書くとネタばれになるので、あまり触れないが、本作以上に凝集性や同調性が強調されていたと思う。合理的ではないポイントにこだわり続ける日本人を「優しい国民性」だから、の一言で片づけるのは安直だ。国民性以上に集団心理学の観点からこの作品を見ると本作同様、意志決定における問題点が浮き彫りになるであろう。

また裁判員制度が日本国内において確立していない時代の作品にもかかわらず、陪審員たちの審議の取り方にはリアリティーが感じられた。
個人的には当時新人だった豊川悦司の演技が好きだった。

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