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2024シーズン ウズベキスタン1部リーグ参加チーム紹介

はじめに

 私事だが、24年2月18日にTwitterにウズベキスタンサッカー情報アカウントを立ち上げた。幅広いトピックを扱うにあたり、まず発信すべきは国内リーグとそのチーム情報だろうということになった。そこで、2024年シーズンのウズベキスタン1部リーグを戦う各チームを独断と偏見に満ちた所見とともに紹介する。この1ページで今シーズンの14チームについてなんとなく知った気分になれる、はず。

 各チームのスタジアムについては、長らく現地に在住する学生時代の先輩のブログが非常に詳しい。ウズベキスタンでは改修や取り壊し、試合開催禁止処分以外でスタジアムにフォーカスすることは皆無で、筆者も詳しくは知らない。非常に参考になるので、ぜひ一読を。

 移籍期間は2023年12月18日から2024年2月24日まで。2022年ほどではなかったが、今オフも各チーム精力的に補強にいそしんだ。個人的な参考資料ではあるが、ほぼ完全なリストをまとめていたので公開する。何かの参考になれば幸いだ。

 ウズベキスタン1部リーグ(正式名称は「アルテル・ウズベキスタン・スーパーリーグ」)は3月1日に開幕。全14チームのホーム&アウェー総当りの26試合制で、12月まで各地で熱い戦いが繰り広げられる。


パフタコル

原語名:Paxtakor futbol klubi
創設:1956年
本拠地:タシケント
グラウンド:パフタコル・マルカジー(35,000人収容)
獲得タイトル:リーグ優勝16回、カップ戦優勝13回
愛称:Sherlar「ライオン」

ウズベキスタンサッカー界の王者

 首都タシケントに本拠地を置く、実力と伝統を兼ね備えたウズベキスタン屈指の名門チーム。現在リーグ5連覇中の絶対王者。

 第二次世界大戦を機に社会の近代化が急速に進んだウズベク・ソヴィエト社会主義共和国(以下「ウズベクSSR」、現ウズベキスタン)に、ソ連全国大会で戦えるようなトップレベルのサッカーチームを作るという理念の下1956年に設立した。
 ウズベキスタンのチームとして唯一ソ連1部リーグの参加歴があり、1968年には国内カップ戦準優勝の偉業を達成。設立時の理念通り、ウズベクSSRのエリート集団としてロシア、ウクライナ、ジョージアといった強豪国のチームと渡り合ってきた。所属選手がソ連代表に選出されたウズベキスタン唯一のチームでもある。
 また、1979年には航空機事故で所属メンバーの大半を喪うという、現地のオールドファンなら誰もが知る悲劇に遭った。

 1991年のウズベキスタン独立後も国家を代表するチームという立場は変わらず。不況と社会の混乱でサッカーどころではなかった1990年代~2000年代前半のウズベキスタンのサッカー界を支えた。独立直後から1990年代後半まではネフチに競り負けるシーズンが続いていたが、21世紀になり彼らの強さに翳りが見えるや盟主の座を取り戻した。2002~07年にかけてリーグ戦6連覇、2001~09年にかけて9年連続カップ戦決勝進出(うち7連覇を含む8度の優勝)など輝かしい成績を残した。

 2000年代後半はブニョドコル、2010年代前半はロコモティフ、2つの成金チームの後塵を拝したが、彼らの強さが峠を過ぎ、2017年には投資会社「SFIマネジメント・グループ」が経営権を取得すると圧倒的な強さが復活。代表のアリシェル・ウスモノフ氏はロシアで活動する実業家で、大手通信会社「メガフォン」や新聞社「コメルサント」など、ロシアに関わりがある人にとっては馴染み深い会社も保有する。かつてはアーセナルの株主を務めた経験もある。

 2021年にSFIマネジメント・グループ社が経営から離れタシケント市に保有権が移ると潮目が変わる。春先に給与未配が発覚し緊縮財政を余儀なくされた。近年は主力選手の流出が続いており、ここ1~2年はナフバホルやナサフの強烈な突き上げに遭っている。しかし若手の活躍とエースのチェランに極度に依存した戦いで王者の座を守ってきた。今季も優勝候補だが、2024年1月のアジア杯に参加した主力4選手(ハムロベコフサイフィエフトゥルグンボエフエルキノフ)が退団し戦力は大幅ダウン。副代表が「たとえ14〜15歳の選手が出場しようとも、優勝目指して戦う」と話したように、今季はユースあがりの若手路線に舵を切る。
 チームを率いるのはウズベキスタン代表最多得点記録保持者で、長くディナモ(キーウ)で活躍したFWマクシム・シャツキフ氏。

 ウズベキスタンは綿花栽培が非常に盛んで、国の主要産物である。パフタコルは「綿花栽培人」を意味し、ロゴデザインも綿花。ロゴ上部の星は1つで5回のリーグ優勝を現す。ホームスタジアムのパフタコル・マルカジーはナショナルスタジアムとして数々のビッグマッチの会場となった、ウズベキスタンサッカーの聖地。

注目選手

FWドラガン・チェラン(セルビア)
 パフタコルの王かつウズベキスタン1部リーグ最強の選手。190cmの長身と強靭な肉体を持つ左利きのセカンドトップ。高い技術に裏打ちされたシンプルなプレーと相手のスペースを巧みに突くフリーランで得点を量産する。今年37歳のベテランだが替えが効かない絶対的な存在で、現在5シーズン連続リーグ得点王。また、彼が不在の試合の勝率は12.5%。

MFディヨル・ホルマトフ(ウズベキスタン代表)
 俊敏な動きと鋭く正確なパスで攻撃を組み立てる21歳の若き司令塔。昨季シャツキフ監督によりセンターハーフに固定されると才能が開花。今年1月のアジア杯にも参加し、ほぼ初招集ながら良い働きを見せた。主力が大量に抜けた今季はチームを引っ張る立場に。パフタコルの浮沈は彼にかかっている。

ユニフォーム

  • キットサプライヤー:アディダス(Adidas)

  • 胸スポンサー:AKFA Group(建材メーカー)


ナサフ

原語名:Nasaf futbol klubi
創設:1986年
本拠地:カシュカダリヨ州カルシ
グラウンド:カルシ・マルカジー
獲得タイトル:カップ戦優勝4回
愛称:Ajdarlar「ドラゴン」

サッカーどころが誇る若き攻撃集団

 名将率いる魅力的な攻撃サッカーと優れた若手育成が特徴。サッカーどころカシュカダリヨ州の州都カルシに本拠地を置く強豪チーム。新加入選手発表イベントでカシュカダリヨ州知事直々に優勝を期待されたように、今年もパフタコル、ナフバホルと三つ巴のマッチレースに挑む。

 「ナサフ」とは本拠地カルシの、イスラーム帝国時代の古い呼び名。大河カシュカダリヨとアムダリヨが大地を潤すオアシスにあり、ブハラやバルフ(現アフガニスタン)へ至るシルクロード上に位置するため紀元前より交易で栄えた。アレクサンドロス大王のライバルとして知られるソグド人武将スピタメネスの出身地という言い伝えもある。
 多くの歴史的建造物が現存し、中でも有名なのはカルシ橋。16世紀に造られたカシュカダリヨにかかる石橋で、現存する中では中央アジア最古の橋。かつて多くの優れた石工を擁したといわれるこの町を象徴する歴史遺構。また、細長い独特の形状のサムサでも知られる。

 ソ連時代は3〜4部でプレーしており、目立たないチームだった。ウズベキスタン独立後は2部リーグに参加。当時は同じ州を本拠地とする複数チームの同一リーグ参加を禁ずる不文律があり、マシュアルに代わる「カシュカダリヨ州代表」として1997年に1部昇格。リーグ優勝こそないが、2000年以降2桁順位で終えたこともなく、毎年優勝争いに絡んでくる強豪。
 大のサッカー好きで、2002年から10年近く州知事を務めたヌルッディン・ザイニエフ氏の惜しみない支援の下で大規模なインフラ整備が行われた結果、カシュカダリヨ州は国内有数のサッカーどころとなり、少年サッカーに至ってはタシケント市、アンディジャン州と並ぶ最大の拠点となった。

 チームの特徴は2つ。ひとつは徹底的な「地元育成」主義。カシュカダリヨ州内の公立スポーツ学校から集めた有望な青少年をチームの主力にまで育て上げる。その育成能力はウズベキスタン屈指で、パフタコルにも引けを取らない。2010年代以降はフル代表に次々と選手を送り込むようになり、スタメンの大半がユース上がりということもザラ。
 もうひとつは華麗な攻撃サッカー。巧みなフリーランとコンビネーションパスで敵陣を突破するスタイルは、各チームの色が乏しいこの国において異彩を放つ。これは2012年からチームを率いるルズィクル・ベルディエフ監督の手腕によるところが大きい。戦術家として名高いが、上記の若手選手を育てながら強いチームを作る伯楽でもある。

注目選手

DFシェルゾド・ナスルッラエフ(ウズベキスタン代表)
 地元育ちの攻撃的左サイドバック。スピードとフィジカルを活かし、タッチライン際を上がって高精度のクロスを放つ。この2年ほどで急成長を果たしウズベキスタン代表入り。1月のアジアカップにも招集され手薄なウイングバックを務めたが、GLで負傷し無念の途中離脱。

FWボブル・アブドゥホリコフ(ウズベキスタン代表)
 抜群の得点感覚を持つ小柄なストライカー。エネルヘティク在籍時の2022年には26ゴールでベラルーシ1部リーグ得点王に輝いた。昨季はカザフスタン1部のオルダバスでプレーし、リーグ初優勝に大きく貢献。今オフに得点力アップの切り札として、2020年まで過ごした古巣に復帰。ナサフの優勝は、彼が期待通りに活躍できるかどうかにかかっている。

ユニフォーム

  • キットサプライヤー:ケルメ(Kelme)

  • 胸スポンサー:シュルタンガス化学コンビナート(天然ガス開発)


ナフバホル

原語名:Navbahor Professonal Futbol Klubi
創設:1974年
本拠地:ナマンガン州ナマンガン
グラウンド:ナマンガン・マルカジー(22,000人収容)
獲得タイトル:リーグ優勝1回、カップ戦優勝3回
愛称:Lochinlar「ハヤブサ」

悲願に燃える「新・タレント軍団」

 ここ2年の大補強で大きくチーム力を上げ、パフタコルの王座を狙う新生タレント軍団。
 本拠地のナマンガンは人口ではタシケントに次ぐウズベキスタン第二の都市。花卉栽培が盛んで「花の町」の別名を持つ。サッカーが盛んな土地柄で熱心なファンが多く、主催試合の平均観客数は10,000人を超える。ナマンガン、フェルガナ、アンディジャンの東部3州はウズベキスタンサッカー揺籃の地として知られ、上記の州に本拠地を置くチーム同士の対戦は"vodiy derbisi"「盆地ダービー」と呼ばれ盛り上がる。

 チーム名の「ナフバホル」はイラン系言語に由来し、「新春」といった意味。「ナウルーズ」とほぼ同義である。ナウルーズとは我が国の春分の日に相当し、イランの伝統的な暦法では生命が活動を始めるこの日が一年の始まりとされる。イラン文化の影響を受けたウズベキスタンでもナウルーズは非常にめでたい日で、各地で盛大な祝祭が催される。なお、他チームのファンからGulbahorと揶揄されることが多いが、昨今の時勢に逆行する理由のため説明は割愛する。

 ソ連時代は地域リーグで好成績を収め、1978年に3部リーグに参加。その後は徐々に成績を伸ばしていき、ソ連リーグ最終年である1991年は2部9位。ウズベクSSRのチームとしてはパフタコル(1部14位)、ネフチ(2部7位)に次ぐ好成績。ウズベキスタン独立後は当時の序列そのままに第3の強豪となり、リーグを1度、国内カップ戦を3度制した。リーグ優勝こそ1996年の1度だけだが、独立から2004年までの13シーズンで8度の3位フィニッシュ。また、1992年のリーグ創設から1部皆勤賞のチームはパフタコルとナフバホルのみ。

 2000年代後半から2010年代半ばまでは振るわず中位に甘んじていたが、以降はナマンガン州の資金投入を受け徐々にチームを強化。2017年は久々の3位で古豪復活の予感が漂っていたが、2021年のシーズンオフに突如大量のウズベキスタン代表選手や有力選手を引き抜く驚きの大補強を敢行。元ウズベキスタン代表監督のババヤン氏を招聘し、優勝候補に変貌した。
 2022年は序盤こそ出遅れたもののメンバーが固まった中盤に復調。首位パフタコルとのデッドヒートの末、彼らをリング端まで追い詰めながら勝ち点1差の2位。2023年は前年と異なり開幕から首位を快走するも後半に大失速。優勝のチャンスが残っていた最後の2試合を1分1敗で終え、パフタコル、ナサフに次ぐ3位。カップ戦でも2022年は準優勝、2023年は準決勝敗退ともう一歩。
 優勝候補と目されながらなかなかタイトルに手が届かないシーズンが続いている。今オフは余剰戦力の削減を行いつつも、年初のアジア杯を戦った代表メンバーのサイフィエフとハムロベコフを補強。今季もパフタコル、ナサフとのタイトルレースが熱い。

 近年はチームカラーがよく変わる。長らく黄色だったが2018年に赤に変更。2021年に今度は青に変更され現在に至る。近年は育成環境も整備しており、2017年のアカデミー設立を機に年代別代表にも選手を送り込むようになった。2021年にはミルズィヨエフ大統領が「(チームが本部を置く)ダヴラトボド地区をサッカーの町に変えてしまうのはどうだろう?」と発言しており、今後の動向に注目が集まる。
 ナマンガン出身のレジェンド、オディル・アフメドフが子供の頃応援していたチーム。ナフバホルの入団テストに落ち、代わりに合格したタシケントのスポーツ学校に進んだため縁はなかったが、彼の夢は実弟のアズィムが叶え、チームの顔として長年プレーしている。

注目選手

MFオディル・ハムロベコフ(ウズベキスタン代表)
 中盤を縦横無尽に走り回り、ハードファイトでピンチの芽を摘む守備的MF。地味な存在だが、ウズベキスタンで唯一まともに守りが計算できる中盤の選手。長らくパフタコルでプレーしていたがm今季ナフバホルに電撃加入。リーグの勢力図を変えるベストディールとなった。今年のアジア杯でも全試合にスタメン出場。ベスト8入りに貢献した。

MFジャムシド・イスカンダロフ(ウズベキスタン代表)
 左足から魔法を放つファンタジスタ。10代から期待されながら伸び悩み、流転のキャリアを送っていたがナフバホルで復活。スター揃いの攻撃陣を長短のパスで自在に操り、自らも積極的に得点を狙う攻撃のキーマン。直接フリーキックの名手でもあり、驚くようなゴールをいとも簡単に決める。

ユニフォーム

キットサプライヤー:7Saber
胸スポンサー:E-AUKSION(通販プラットフォーム)


OKMK

チーム名:OKMK futbol klubi
創設:2004年
本拠地:タシケント州オルマリク
グラウンド:AGMK(12,000人収容)
獲得タイトル:カップ戦優勝1回
愛称:Konchilar「鉱夫」

小粒でもピリリと辛い。レジェンド率いる実力派

 豊富な資金力と優れた指揮官を擁し、派手さはないが堅実な戦いで上位入りの常連となった強豪チーム。

 国営の非鉄金属メーカー「オルマリク鉱業・冶金コンビナート(Olmaliq kon-metallurgiya kombinati。略称OKMK)」社がチームの母体かつメインスポンサーを務める。チーム名は2022年までロシア語表記に由来するAGMK(«Алмалыкский горно-металлургический комбинат»)だったが、2023年にウズベク語準拠の名称に変更された。

 本拠地オルマリクは首都タシケント南方に位置する人口13万の町で「ウズベキスタンの非鉄金属の中心地」と呼ばれる。OKMK社は近郊の鉱床で採掘した銅や鉛の鉱石や国内各地から仕入れたモリブデンや銀の鉱石を精錬。その生産キャパシティは中央アジア屈指。国家収入に占める割合でいうとナヴォイのNGMK社に次いでウズベキスタンで2番目の大企業で、国内最大の銅のメーカーでもある。金を含む鉱石も大量に採れるため、その効率的な精錬技術の確立が待たれる。
 町の産業やの大半をOKMK社が担う企業城下町。この手の都市には避けられないことだが、2000年代に大規模な環境汚染が報告されている。政府は改善策を講じているようだが、どれほどの成果が出たのかは不明。

 かつて存在した「メタルルグ」「キミヨガル」というチームの後継として2004年に設立された。2007年は2部リーグ14位という結果だったが、豊富な資金力を持つことから特例措置で1部リーグに昇格した。
 某フリー百科事典には昇格理由について「1、2位のクラブが財政上の問題により昇格を辞退したため」とあるが、イマイチ説明不足の感がある。ウズベキスタンは下部リーグを中心に財政基盤やインフラが脆弱なチームが多く、実力に加えて資金力も昇降格の判断基準になることが多い。リーグ機構の判断で、国営企業がバックアップする財政的「強豪チーム」のOKMKが成績に関わらず昇格を認められ、1位のソグディアナと2位のウズドンジュには1部リーグのライセンスが与えられなかったというのが真相だ。自発的なニュアンスを持つ「辞退」ではない。
 1部リーグ昇格以降は中堅チームの座を確保。カップ戦にのみ異常に強いチーム(昇格1年目の2008年にいきなりベスト4、2018年はパフタコルを破って優勝。2019年も準優勝)という異質な存在だったが、2019年以降はリーグ戦でも好成績を収めるように。2020年から3位、3位、4位、4位と安定して好成績を残し、第二集団のチームに定着した。チームを率いるのはかつての名選手ミルジャロル・コシモフ監督。ハードワークと素早いサイド攻撃というオーソドックスな戦い方ながら、堅実で接戦を落とさない強さが評価される名将。ベテラン選手を好んで起用する傾向がある。

注目選手

FWフルシド・ギヨソフ(ウズベキスタン)
 隠れた実力派ウイング。サイドに流れては正確なクロスを、内に切り込んでは強烈なミドルシュートを放つキックの達人で、PKの上手さも随一。得点でもアシストでも攻撃に貢献するOKMKの攻撃の中心選手。彼をフルに活かせるチームが作れれば、優勝も見えてくる。

DFアヴァズ・ウルマサリエフ(ウズベキスタン)
 今季ブニョドコルから加入した若手大型センターバック。上背も強さもあり、スケールの大きさを感じさせる未完の大器。昨季はブニョドコルでレギュラーを獲得し、ポテンシャルの高さからCSKAも興味を示すなど着実な成長を遂げた。もう一皮剥ければ代表入りも。

ユニフォーム

  • キットサプライヤー:7Saber

  • 胸スポンサー:オルマリク鉱業・冶金コンビナート(採掘、金属加工メーカー)


ネフチ

原語名:Neftchi futbol klubi
創設:1962年
本拠地:フェルガナ州フェルガナ
グラウンド:イスティクロル(20,000人収容)
獲得タイトル:リーグ戦優勝5回、国内カップ戦優勝2回
愛称:Yo'lbarslar「トラ」

復活を目指すフェルガナの古豪

 ウズベキスタン東部の中心都市フェルガナに本拠地を置く古豪。2010年代から長い低迷を続けていたが、昨年見事な復活を果たした。今季も上位を争う有力チーム。

 「ネフチ」はウズベク語で石油業者を意味する。現在もメインスポンサーを務める「フェルガナ石油精製プラント(FNQIZ)」社のチームとして1962年に発足。ソ連時代からウズベクSSR第二のチームとして知られていたが、ウズベキスタン独立後初のリーグ戦でパフタコルと同時優勝(勝ち点以外の要素は考慮されず)。そこから1995年までリーグ4連覇。パフタコルに代わり、新生ウズベキスタンのサッカー界に覇を唱えた。
 黄金時代を語る上で欠かせないのは元監督のユーリー・サルキシャン氏。ソ連時代の1987年から2013年まで実に27年間もの長期政権を築き、その間に5度のリーグ優勝と2度のカップ戦優勝と圧倒的な実績を残した。1994年にはCISカップ準優勝、1995年にはACL(当時は「アジアクラブ選手権」)3位と国内に留まらない活躍も見せた。その経歴から「ウズベキスタンのファーガソン」と呼ばれる。
 この頃のネフチからは1990~2000年代のウズベキスタンを代表する名選手を何人も輩出した。中でもDFアンドレイ・フョードロフが名高い。ネフチからロシアに渡り、アラニヤやルビンなど1部リーグで長くプレー。ウズベキスタン代表としても60試合以上に出場。引退後は指導者に転身し、現在はルビンのセカンドチーム監督を務める。

 21世紀になるとFNQIZ社の設備陳腐化による生産量低下が始まり、パフタコルに覇権を明け渡した。財政難に陥り弱体化が進んだ結果、ついに2018年シーズンに1部リーグを最下位で終え2部降格。2020年シーズンは自動昇格圏を争っていたが、最終節でトゥロンに敗れ昇格を逃した。この時、敗戦に納得いかない観客と選手が審判団を襲撃するという前代未聞の事件が起きた。かつての強豪が2部に沈むさまに危機感を覚えたのか、フェルガナ州政府の資金投入で強化した2021年に2部を制し復帰。2023年はノーマークながら鉄壁の守備陣とビハインドでも諦めない粘り強い戦いで開幕20試合無敗。パフタコルにシーズンダブルを決め、一時は首位に立つなど大躍進を遂げた。オフはエースのタバタゼ、FWのアドハムゾダなど主力が多数抜けたが、それを補って余りある補強を敢行。長い低迷を経て、強いネフチが帰ってきた。

 なお、フェルガナはコーカンドと並ぶウズベキスタンサッカー発祥の地といわれ、ネフチにも熱心なファンが多い。フェルガナ、ナマンガン、アンディジャンの東部3州にに本拠地を置くチーム同士の試合は「盆地ダービー(vodiy derbisi)」と呼ばれ、現在でも盛り上がりを見せる。
 ホームのイスティクロルは2015年開場。20,000人収容の洗練されたスタジアム。建設を請け負った会社は同名のチームも持ち、このスタジアムでプレーする計画だったようだが竣工後ほどなくして活動休止。現在は実質ネフチの専用スタジアムである。パフタコル、ブニョドコルと同じくロゴの上部の星は5回のリーグ優勝を表す。

注目選手

FWフサイン・ノルチャエフ(ウズベキスタン代表)
 パワーとスピードを兼ね備えた、2002年生まれの若きゴールハンター。ナサフの育成組織出身で、2021年に19歳でエースを務め13得点。2023年にロシア2部のアラニヤに移籍し、さらなるステップアップが期待されるもメンバー入りさえままならず、今オフに母国復帰。将来のウズベキスタンを担う逸材で、復活が待たれる。

DFゾイル・ジュラボエフ(タジキスタン代表)
 屈強なセンターバック。2022年にスルホンに加入してウズベキスタンに上陸すると弱小チームで一人気を吐き、2023年にネフチに移籍。堅守を構成し、躍進に大きく貢献した。今年1月のアジア杯でもハノノフとCBコンビを組み、タジキスタン旋風の一翼を担った。充実した中で迎える今季はさらなる活躍が期待される。

ユニフォーム

  • キットサプライヤー:アディダス(Adidas)

  • 胸スポンサー:フェルガナ石油精製プラント(石油精製メーカー)


スルホン

原語名:Surxon Termiz futbol klubi
創設:1968年
本拠地:スルホンダリヨ州テルメズ
グラウンド:スルホン・スポーツコンプレックス
獲得タイトル:なし
愛称:Uchar tulporlar「ペガサス」

油断ならない「ミニ・オリンピク」

 本拠地のテルメズはウズベキスタン最南端、アフガニスタンとの国境沿いに位置する人口14万の町。紀元前に遡る長い歴史を持ち、周辺からは古代の遺跡が多数発掘されている。現在の町はアレクサンドロス大王が建てたとの言い伝えが残る。また、ウズベキスタンで最も暑い町と言われる。
 チーム名のスルホンとは市内を流れるアムダリヨの支川スルホンダリヨのこと。

 波乱の歴史を歩んできたチーム。ソ連時代の主戦場は3部リーグで、ウズベキスタン独立を機に1部に参加。代表選手を擁しカップ戦の決勝にも進むような有力チームだったが、2000年第に財政難に。リーグの会費未納のペナルティが原因で2004年に2部に降格すると、あれよあれよという間に転落。
 2010年代には3部リーグに降格。国内サッカーの表舞台から完全に姿を消し、このまま消滅すると思われた2016年、テルメズのサッカー協会会長を務めるトゥルディモフ州知事の主導で復活。予算が増額し財政難を脱却し、リーグ優勝するも設備面から昇格が認められなかったネフチ(ジャルクルゴン)に代わり2部リーグに昇格。2018年も同様に設備面で昇格を認められなかった3位のイスティクロル(フェルガナ)に代わり1部リーグ昇格。16年ぶりにトップディビジョンに返り咲いた。昇格1年目の2019年はエースのユスポフとベテランFWサロモフが活躍し、いきなり過去最高の6位でシーズンを終え周囲を驚かせた。

 しかし以降は下位が定位置となり、2022年までは終始降格圏内で過ごしながら、終盤の猛チャージで残留という綱渡り的なシーズンが続いていた。資金面も脆弱で、2021年シーズンは元所属選手が金銭トラブルからチーム関係者に暴行されるというショッキングな事件も起きている。
 2022年にエネルギー企業の「エリエル・グループ」をメインスポンサーに迎え、現在は財政安定化の途上。2023年はパリ五輪世代の若手とFWニメリーの活躍で、昇格1年目以来の6位とジャンプアップ。「ミニ・オリンピク」と呼ばれた。今オフも同じ手法で安上がりに戦力の充実を図ったが、事実上の共同監督となっていたアルスロノフ監督とヘッドコーチのトーコフ氏が開幕直前に揃って辞任。ダヴレトフ新監督の手腕に注目が集まる。

 ホームグラウンドは市内北東部にある収容人数10,000人のスルホン・アリーナ。1部に復帰した2019年に当時のリーグ基準に合わせて改装されたが、AFCに準拠した現在の基準には合致せず。現在はエリエル・グループの協力のもと再び改修中。そのため今季は8月までタシケントのパフタコル・マルカジーで試合を行う。なお、すぐにご近所のナサフとの試合は"voha derbisi「オアシスダービー」"と称されることがあるらしいが、聞いたことがない。

注目選手

FWシルヴェイナス・ニメリー(リベリア代表)
 珍しいリベリア人の選手。裏抜けの技術とスピードに優れ、プレーに安定感のあるフォワード。昨季加入するとすぐにエースの座を手に入れ、12試合6アシストの大活躍。6位入りの原動力となった。オフにはパフタコルが食指を伸ばすなど残留が危ぶまれるも無事2025年まで契約延長。今季もチームを引っ張る。

FWアシル・ジュマエフ(ウズベキスタン)
 2005年生まれの逸材ウイング。細かいステップで相手を交わす軽快なドリブルが武器。スルホンダリヨ州のスポーツ学校から2022年に加入すると、昨季は開幕直後に大抜擢され印象的なプレーで定位置を確保。第5節からシーズン終了まで主力を務め23試合2得点。18歳のデビューシーズンとしては申し分ない成績を残した。今季はさらなる飛躍を目指す。

ユニフォーム

  • キットサプライヤー:ケルメ(Kelme)

  • 胸スポンサー:エリエル・グループ(エネルギー系のコングロマリット)


アンディジャン

原語名:Andijon professional futbol klubi
創設:1964年
本拠地:アンディジャン州アンディジャン
グラウンド:バーブル・アリーナ(18,600人収容)
獲得タイトル:なし
愛称:Burgular「ワシ」、Avtomobilsoz「自動車工」

「いつも弱いチーム」卒業のカギは大エースの代役

 独立以来国内サッカーのメインストリームになったことがないにも関わらず、熱心なファンがいる不思議なチーム。本拠地アンディジャンはキルギス国境に近いウズベキスタン最東端の都市。人口46万は国内第4位で、アンディジャン州の州都かつ立地するフェルガナ盆地最大の都市である。ムガル帝国の建国者バーブルの出身地としても知られる。一帯で栽培されるコメの品種「デヴズィラ」は国内最高品質と名高く、これで作るプロフは絶品だとか。

 ソ連時代は3部リーグでプレーした。独立後最初に行われた1992年のリーグ戦から参加。当時は「ナウルーズ」というチーム名だった。上位進出は稀で、最高順位は2008年の5位、昇降格はこれまでに4度経験する典型的な下位チーム。
 言っちゃなんだが、ウズベキスタンサッカーでは貴重な「安定して弱い」チーム。この国では負けが込むチームというのはたいてい財政難で崩壊しかけており、その後2〜3年で活動休止するか消滅してしまうからだ。その点、長年チームをサポートするアンディジャン州政府とメインスポンサーの自動車メーカー「ウズオートモーターズ」社の貢献は計り知れない。
 もっともここ数年は迷走中。「場当たり的な補強を行うも結果が出ず→給与未配を起こす→リーグからの処罰寸前でオフに返済→場当たり的な強化を行うも結果が出ず」という流れを毎年繰り返している。2018〜2020年頃には1部リーグ在籍が危ぶまれた深刻な時期もあった。一方で2021年に大規模なリブランディングを行ったり、「公式サポーターズクラブ」を作ったりとピッチ外での活動は積極的。熱心なファンの期待に応えたい、サッカーどころフェルガナ盆地の代表としてナフバホルやネフチらに遅れを取りたくないという意欲は感じられるが、その方法には首をかしげざるを得ない。州知事が「14位のチームに金を出せるか?」と発言したこともある。

 2023年は新加入のアルバニア人FWヘバイが大当たり。チーム総得点の6割以上に関与し、シーズンMVPを受賞する異次元の大活躍でチームを一人で牽引。久々の1桁順位である7位でシーズンを終えた。そのヘバイがオフに抜けた今季は、いつものように残留争いか。代役FWの両肩にチーム不浮沈がかかっている。
 チームカラーの赤と青は、スポンサーの製薬会社「マクロファームアンディジャン」社のカンパニーカラーに合わせたもの。メインスポンサーのウズオートモーターズ社はウズベキスタン最大の自動車メーカー。韓国の大宇と政府の合弁企業が前身で、紆余曲折を経て現在は国営ウズアフトサノアト社の完全子会社。米国GMの技術供与を受けており、シボレーブランドの乗用車をアンディジャン州アサカ、ホラズム州ピトナク、タシケントの工場で生産している。

注目選手

FWシャフロム・サミエフ(タジキスタン代表)
 移籍市場最終盤で獲得したFW。スピードには欠けるが、強靭なフィジカルを持ち、公称185cm以上に大きく見える。今年1月のアジア杯ではパワフルかつ労を惜しまぬプレーでタジキスタンの大躍進に大きく貢献。ヘバイが抜けた大きな穴を埋められるか。

MFシェルゾド・エソノフ(ウズベキスタン)
 21歳の若き大型センターハーフ。ダイナミックな動きでゴールに迫るプレーが持ち味。昨季はシーズン前半はアンディジャン、後半はオリンピクでプレーし。部リーグデビューシーズンながら後者では主力を務めた。9月のアジア大会に参加するU-23代表に選ばれウズベキスタンの3位入賞に貢献した。

ユニフォーム

  • キットサプライヤー:ヒュンメル(Hummel)

  • 胸スポンサー:ウズオート・モーターズ(自動車メーカー)


ブニョドコル

原語名:Bunyodkor futbol klubi
創設:2005年
本拠地:タシケント
グラウンド:ブニョドコル(34,000人収容)
獲得タイトル:リーグ優勝5回、カップ戦優勝4回
愛称:Qaldirg'ochlar「ツバメ」

華麗な転身を遂げたゼロ年代の象徴

 2000年代後半に圧倒的な強さでウズベキスタンサッカー界を席巻したチーム。現在は中堅チームになったが、代わりに国内屈指の育成チームに変貌。今季は外国人枠いっぱいまで補強したバルカン半島出身選手(クロアチア3人、モンテネグロ1人、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ1人)が上位躍進の鍵を握る。

 2005年に国営エネルギー企業傘下の建設会社「ネフトガズモンタジ」社を母体とする「ネフトガズモンタジ・クルフチ」として創設。翌年「クルフチ」に改名すると、メインスポンサーを務めるコングロマリットのゼロマックス社による豊富な資金力をバックに大物選手を次々に補強。一気に国内最強チームになった。
 なお、ゼロマックス社は当時のカリモフ大統領の娘グルノラ・カリモワ氏がバックについていた。大統領は彼女に権力世襲する意向を持っており、ブニョドコルは彼女の人気・実績作りの場と位置付けられていた。

 1部リーグ初挑戦となった2007年は従来の所属選手を全員放出し、文字通りチームの総入れ替えを行い2位。FCバルセロナと提携を結び当時のサブグラウンド、ミニ・エスタディで練習を行う、バルセロナと親善試合を行う、プジョル、イニエスタ、メッシらスター選手を100万ユーロのギャラでウズベキスタンに呼ぶ、全盛期のサミュエル・エトーに年俸2,500万ドルのオファーを出するなど、これでもかと言わんばかりの金満ぶりを見せつけた。ついたあだ名は安直な「ウズベク・バルサ」。
 翌2008年にはチーム名をブニョドコル(「創造者」を意味する)に、ロゴをバルセロナと似たデザインに変更し、創設3年目で1部リーグ初優勝。オフには優勝を争うパフタコルからウズベキスタン代表選手を大量に補強、そして監督にジーコ氏を招聘、さらに元ブラジル代表のリヴァウドをシーズン中に獲得し、中央アジアから世界に驚きを与える。ジーコ監督は1年で退任したが、後任にはスコラーリ氏が就いた。2012年までのリーグ4連覇中に喫した敗戦はわずか5。特に2009年は28勝2分の無敗優勝。ACLでもアジアの強豪相手に善戦するなど、ウズベキスタンサッカーの王者となった。

 「驕れる者も久しからず」ではないが、栄華は長くは続かなかった。2010年にメインスポンサーのゼロマックス社が政府から業務停止命令を受け、総額5億ドルともいわれる負債を抱え倒産。よからぬ噂の多いグルノラ氏が次期大統領候補であることにいくつかの友好国が難色を示したことでカリモフ大統領が急きょ彼女を後継者から外し、国政から遠ざけたことが理由だとされる。強力な後ろ盾を失ったチームは急速に弱体化。一転して崩壊の危機に瀕するも、国営のエネルギー関連企業(エネルギー供給の「ウズトランスガス」社と石油製品製造の「ウズベクネフテガス」社)がスポンサーにつき、何とか命脈を保つことに成功した。
 2016年にカリモフ大統領が在任中に死去しミルズィヨエフ現体制が成立。「カリモフ閥」の解体が進む中、チームを取り巻く環境も変わった。グルノラ氏は資金洗浄、脱税、横領、恐喝のかどで逮捕。FCバルセロナとの提携関係も2010年に解消。両者を仲介した代理人も不法に利益を得たとして訴追された。今では「国家をバックに持つ怪しいチーム」というイメージはない。
 2024年2月には先に述べたリヴァウドらへの未払い給与問題で、合計約1,000万ユーロを支払うようFIFAから命じられた。2~3年分のチーム予算に相当する巨額の賠償で、数年先までチーム運営に影を落とす可能性がある。

 タシケントに本拠地を置く中堅チームになってしまったが、特筆すべきは優秀な育成組織。"AFC Elite Youth Scheme"の2つ星認証を持つ中央アジア唯一のチームで、設備やスタッフは国内随一。児童向けサッカースクールからU-21チームまで幅広い年齢の選手を育て、ここ数年でトップチームや年代別代表に多くの選手を送り込むようになった。金満時代に整備したものだが、当時から目先の結果だけにこだわらず、継続的なチーム強化を志向していた点は称賛に値する。

 ホームグラウンドのブニョドコル・スタジアムは、かつて陸軍中央スポーツクラブのグラウンドがあった場所に1億5,000万ドルを投じ2012年に作られた、34,000人収容のスタジアム。設備の陳腐化が進むパフタコル・マルカジーに代わり近年はウズベキスタン代表の試合が行われることが多い。
 なお、パフタコルと同じくロゴ上部の星は5度のリーグ優勝を現している。

注目選手

FWテムルフジャ・アブドゥホリコフ(元ウズベキスタン代表)
 リーグ得点王経験のある、技術力に優れた多才なベテランFW。クロアチア、カタール、UAEでプレー経験もある。30代を超えてから周りを活かすプレーが向上、21年はロコモティフで、22年はキジルクムで、23年はナフバホルでいずれも印象的な活躍を収めた。前評判通りのプレーができれば、昨季のような中位に甘んじることはないだろう。

DFマフムド・マハマドジョノフ(ウズベキスタン)
 育成組織出身、2003年生まれの若手左SB。昨季はファイズッラエフとともにU-20代表とU-23代表の二足の草鞋を履き、貴重な経験を積み大きく成長中。元から俊足とクロスが武器の攻撃的選手だったが、攻守にたくましさが増した。デビューした22年から昨年までの2年間と同じ速度で成長できれば、意外と早くフル代表が見えてくるかも。

ユニフォーム

  • キットサプライヤー:ヤコ(Jako)

  • 胸スポンサー:ウズベクネフテガス(総合エネルギー開発)


オリンピク

チーム名:Olimpik futbol klubi
創設:2021年
本拠地:タシケント
グラウンド:JAR(8,500人収容)
獲得タイトル:なし
愛称:Olimpiyachilar「オリンピック選手」

上位進出とパリを目指す若き特命チーム

 「オリンピク」という名の通り、五輪サッカー競技の有資格選手のみで構成されるチーム、つまりU-23選抜である。2024年のパリ五輪出場を目標に、ウズベキスタンの五輪委員会とサッカー連盟により作られたため、全所属選手が2001年以降の生まれである。シンガポールのヤング・ライオンズ、かつてのJリーグ・アンダー22選抜など「年代別代表を国内リーグに参加させる」例はアジアの国でしばしば見られる。もちろん、非オリンピク所属の選手も招集されるため「オリンピク=U-23代表」ではない。

 2021年に設立され、2部リーグに参加。チームを率いるカパゼ監督の攻撃サッカーで3位で終了。一発勝負の入れ替え戦でマシュアルに勝ち1部昇格を達成。2022年は苦戦が予想されたが、若さあふれるアグレッシブな戦いで次々と年上の相手を喰らい、周囲の予想を覆す6位フィニッシュ。また6月に自国で開催したU-23アジア杯にもほぼ全員がウズベキスタン代表に選出され、準優勝に貢献。オフにはFWジヤノフとDFミルサイドフが参加選手として初めてフル代表に選ばれ、勝利と育成を両立した充実の1年となった。
 昨年はシーズン中に頻繁に選手が入れ替わったことで苦戦を強いられる1年となった。しかし開幕戦でパフタコルに勝利したり、最終盤の25節ではナフバホルの優勝を事実上打ち砕く金星を挙げたりと曲者ぶりを見せた。所属チームで出番に恵まれないだけで、パフタコルやブニョドコルで育った能力の高い選手が多く、ハマったときの強さは本物。スルホンのようにオリンピクから選手を引き抜くことで強化を図るチームも現れた。今年はいよいよ最終予選を兼ねた2024 U-23アジア杯が行われる。4年間共に戦ってきたメンバーによる集大成のシーズンとなる。

 ホームスタジアムのJARはタシケント市北西部にある複合スポーツ施設のスタジアムで、ウズベキスタン代表の練習場としておなじみの場所。メインスポンサーは民間銀行の「トラストバンク」社。今季から2005~2006年生まれ以降の選手で構成されるセカンドチーム「オリンピク・モビウズ」が2部リーグに参加。情報によるとオディル・アフメドフの育成組織のトップチーム「オリンピヤ」所属選手で構成されるという。目標は2028年のロサンゼルス五輪出場。
 なお、選手は所属チームからの期限付き移籍の形で参加する。サッカー連盟と五輪委員会がバックにいることから、所属元の以降を無視した強引な選手選考が行われているのではという懸念がある。

注目選手

FWアリシェル・オディロフ(ウズベキスタン代表)
 チーム発足時から在籍する22歳の快足右ウイング。1部デビューの22年は技のジヤノフ、スピードのオディロフ、パワーのジュラクズィエフとタイプの違う魅力的な3トップを形成。昨季も変わらぬ活躍で、現在最もフル代表に近い選手。オフにナフバホルに練習参加したが、パリ五輪予選を控えオリンピクに残留。

MFアブドゥラウフ・ブリエフ(ウズベキスタン)
 豊富な運動量で中盤の守備を一手に担うMF。22年のU-23アジア杯では鬼神のごとき活躍でウズベキスタンの初優勝に大きく貢献。オリンピクでも地味ながら順調に成長。今オフに一度はパフタコル移籍が決定したが、オディロフ同様「大人の事情」で急転直下オリンピクに残留した。

ユニフォーム

  • キットサプライヤー:ナイキ(Nike)

  • 胸スポンサー:トラストバンク(銀行)


メタルルグ

原語名:Metallurg Bekobod professiobal futbol klubi
創設:1945年
本拠地:タシケント州ベコボド
グラウンド:メタルルグ(15,000人収容)
獲得タイトル:なし
愛称:Ma'danchilar「金属工」

地味な中堅脱却へ。増設中の「若手生産ライン」

 本拠地のベコボドはシルダリヨ右岸、タジキスタンとの国境沿いの工業都市。主要産業は国内屈指の生産量を誇る鉄鋼業。
 また、郊外には巨大なファルホド水力発電所があり、大河シルダリヨの豊富な水を活かした大規模発電で国内電力供給に大きな役割を担う。しかし国境を兼ねるシルダリヨにまたがるように建っているため、両岸のウズベキスタンとタジキスタンが所有権を主張し紛争になるなど悩みの種でもある。ソ連時代の1948年に作られ、しばらくはウズベクSSRがタジクSSRから借り受ける形で操業していたが、契約満了後もウズベクSSRが実効支配。ソ連崩壊に両国が独立すると問題が深刻化し流血の事態に。2002年の武力衝突でタジキスタンが奪還するも、2018年に両国の協議で「維持管理はタジキスタン、操業はウズベキスタン」と決まり現在に至る。

 「メタルルグ」とはロシア語で「金属工学者」を意味し、鉄鋼製品を手掛ける国有企業「ウズベキスタン製鉄コンビナート(ウズメトコンビナート)」社がメインスポンサーを務める。国内で回収した鉄スクラップ、ロシアやカザフスタンから輸入した粗鋼を電気炉で溶解して、鋼板、鋼鉄線材、ホットコイル、帯鋼など様々な種類の製品を作っている。近年の経済成長により国内の鋼材需要が伸びていること、国を挙げて鉄鋼製品の脱輸入品政策を進めていることが追い風となり急速に成長、現在は中央アジア最大級の製鉄会社である。さらに利益を元手に大規模な投資を行い増産中。

 チームは1945年の創立。ソ連時代はかなり低いディビジョンで活動していたと思われる。確認できる限りは1968年と1969年に3部リーグ中央アジア地区でプレーしているのみで、これ以上の実績はない。地元企業の従業員による同好会のような存在だったのかもしれない。
 ウズベキスタン独立後は2部リーグに参加。1997年に1部に昇格すると、中位~下位が定位置ながらも定着。気づけば20シーズン以上在籍を続ける古参チームとなった。最高順位は2018年と2019年の5位。シピーロフ監督の下、OKMKやかつてのソグディアナのようなハードワークと粘り強い戦いで結果を残した。リーグ第二集団の仲間入りかと思われたが、後が続かず。翌2021年は一時降格圏内に沈むなど低調な戦いに終始し、結局11位で下位チームに逆戻り。特に見どころのないチームになってしまった。

 しかしチームは着実に改革を行なっている。ウズベキスタン製鉄コンビナート社が2021年にベコボド市内に「エル・ゴラソ・アカデミー」を設立。なんとレアル・マドリードのサッカー普及財団の支援を受けており、全国から集まった11〜17歳の選手が充実した設備で勉学とトレーニングに励んでいる。2023年に早速その成果が出ており、アカデミー1期生が主力を務めるU-19チームがリーグ戦を制覇。U-17, U-18ウズベキスタン代表にも選手を送り込むようになり、パッとしない中堅チームから優秀な育成チームに変貌しつつある。

注目選手

FWザビフッロ・ウリンボエフ(元ウズベキスタン代表)
 スピード、パワー、技術を兼ね備えたFW。10代の頃は同い年のショムロドフと並び将来を嘱望されたが、それ以降は全くパッとせず。22年にナフバホルに流れ着くと、昨季は大器の片鱗を感じるプレーを見せプチ復活。7得点を挙げ深刻な得点力不足のチームを引っ張った。2019年にJ2の徳島ヴォルティスでプレー経験あり。

MFケレム・パリッチ(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)
 豊富な運動量とハードな守備で中盤の守備を引き締めるMF。ガサツなタイプかと思いきや、バルカン半島出身の選手らしく基礎技術も高い。22年からプレーし、昨季は苦しみながらもほぼ全試合フル出場。ミリチコヴィッチ、ジョルジェヴィッチとご近所さんが増えた今季は、多少気持ちよくプレーできるかも。

ユニフォーム

  • キットサプライヤー:アディダス(Adidas)

  • 胸スポンサー:ウズベキスタン製鉄コンビナート(鉄鋼メーカー)


ソグディアナ

原語名:Soʻgʻdiyona Jizzax futbol klubi
創設:1970年
本拠地:ジザフ州ジザフ
グラウンド:ソグディアナ(11,650人収容)
獲得タイトル:なし
愛称:Bo'rilar「オオカミ」

世代交代に苦しむ中堅チーム

 チーム名の「ソグディアナ」とは中央アジアの2大河川、アムダリヨとシルダリヨの間の地域の古い呼び名。現在のウズベキスタン東部~南部のザラフション川流域を指す。古代から東西の中継点として様々な人や物が行き交った地で、「トランスオクシアナ」「トゥーラーン」「マー・ワラー・アンナフル」など様々に呼ばれてきた。
 本拠地のジザフは歴史都市サマルカンドのすぐ北東に位置する人口17万人ほどの町。古くからサマルカンドとフェルガナ盆地を結ぶ交易の中継点として知られた。また大都市サマルカンドを守る軍事上の要衝としての役割も持ち、19世紀に中央アジアを侵略し植民地支配を敷いたロシア帝国もこの町の攻略に手を焼いたという。
 かつて共産党第一書記としてウズベクSSRを長く支配し、強権的な独裁政治と引き換えに飛躍的な経済発展を実現した政治家シャロフ・ラシドフの出身地。また、一般的な三角形ではなく、扁平で丸い独特の形状のサムサでも知られる。町の西のはずれには巨大な岩山を2つに割って道を敷いたような場所があり、その特異な景観から「ヘビが通った谷(Ilono'tti darasi)」、ティムールの軍勢が行き来したという伝説から「ティムールの門(Amir Temur darvozasi / Sohibqiron darvozasi)」と呼ばれる。近郊のゾミンには緑豊かな国立自然保護区があり、保養地として知られる。

 1970年に創設。陸軍所管のチームだったという。ウズベクSSR内では比較的実績のあるチームで、1980年代初頭にソ連2部リーグを数シーズン戦った。ソ連2部より上のカテゴリーを経験したウズベキスタンのチームは5つ(パフタコル、ナフバホル、ネフチ、ディナモ、ソグディアナ)しかないため、結構な偉業である。
 ソ連崩壊後はウズベキスタン1部リーグに参加。初年度こそ3位になったが、21世紀になると1部と2部を行き来する「ヨーヨー・クラブ」に。2002年から2012年の11シーズンで4度の昇降格を経験した。2013年から1部リーグに在籍し続けるが、やはり二桁順位が定位置だった。

 しかし2019年に元代表FWウルグベク・バコエフ氏が監督に就任すると状況が一変。知名度はなくとも実力者を揃えチーム力を上げると、2021年にはGKミトロヴィッチ、CBコラコヴィッチを中心とした組織立った堅い守りとFWノルホノフ、MFカフラモノフ、ハサノフらの素早いサイド攻撃で奪った虎の子の1点を守り抜き躍進。粘り強く勝ち点を積み上げ、最終節にAGMKとナサフをかわし30年ぶりの過去最高成績の2位に入る驚きのシーズンとなった。
 さらなる躍進が期待された2022年はAFC主催大会との過密日程に苦しみ7位に終わり、バコエフ監督が退任。強かった頃の選手の多くが入れ替わった2023年は開幕から低調な戦いで降格も危惧されたが、途中就任のボシュコヴィッチ監督が呼び寄せたブニョドコル時代の教え子の働きもあり復調。11位で終えた。今季の目標も1部残留か。

注目選手

MFリュプチョ・ドリエフ(北マケドニア代表)
 昨シーズン途中に加入した俊足ウインガー。186cmの長身だがしなやかな動きで縦方向に突破する。ドリブルやクロスはもちろん、得点能力もある。右利きだが両サイドでプレー可能。あまり注目されていないが、国内最高のサイドアタッカーのひとり。

MFショフルフ・アブドゥラフモノフ(ウズベキスタン)
 運動量、フィジカル、正確なキックが武器のセンターハーフ。2部のディナモで頭角を現し、ベラルーシを経て国内復帰した変わった経歴の持ち主。昨季はブニョドコルの主力として活躍し、今オフに加入。攻守にもう一皮むければ代表入りもあり得る好選手。

ユニフォーム

  • キットサプライヤー:ホマ(Joma)

  • 胸スポンサー:不明(誰か教えてください!)


キジルクム

原語名:Qizilqum Zarafshon futbol klubi
創設:1967年
本拠地:ナヴォイ州ナヴォイ
グラウンド:ヨシュラル(12,500人収容)
獲得タイトル:なし
愛称:Oltin qazuvchilar「金鉱夫」

「残留」を掘り当てるゴールドマイナーズ

 ウズベキスタン屈指の大企業のバックアップを受けながら、過去20年間で12度の二桁順位を経験するある意味稀有なチーム。

 本拠地は中部ナヴォイ州の州都ナヴォイ。1958年に建設されたウズベキスタンで最も若い町。州の名はウズベキスタンの国民的詩人アリシェル・ナヴォイに由来する。
 「キジルクム」とはウズベキスタン、カザフスタン、トルクメニスタンにまたがるキジルクム砂漠を指す。一帯は不毛の荒野だが地下に豊富な天然資源を埋蔵する。特に金とウランが有名で、推定2,000mtもの埋蔵量を持つ世界最大規模の金鉱床であるムルントフ鉱床や、国内最大のウラン埋蔵量を占めるウチクドゥク鉱床が知られる。「ザラフション」とは、ウズベキスタン南部を流れるアムダリヨの支流ザラフション川を指す。流域にはサマルカンドやブハラがあり、それらの豊かな歴史と文化を育んだ。

 チームのメインスポンサーは国営の非鉄金属企業「ナヴォイ鉱業・冶金コンビナート(NGMK)」社。ウズベキスタン最大の企業のひとつで、鉱石採掘から金属精錬まで行うメーカー。金は世界最大規模、ウランは国内最大規模。国家の
 チームは設立当初はNGMK社が立地するザラフションの町に本拠地を置いていた。ザラフションはオルマリクと同じくNGMK社のモノゴロドで、町が作られたわずか2年後にワークスチームとして創設。ソ連時代は全国リーグ(1-3部)に到達できず、すべての期間をウズベク・ソヴィエト社会主義共和国内のリーグ戦で過ごした。独立後もウズベキスタン2部リーグでプレーしていたが、2000年シーズンに1部に昇格すると、中堅チームとしての地位を確保した。

 かつてはナヴォイ州ザラフションが本拠地だった。非常にややこしいのだが、1997年~2002年には1部リーグにナヴォイ州ナヴォイが本拠地の「ザラフション」というチームも在籍していた。ザラフションはキジルクムより早く1997年に1部リーグに昇格するも2002年の2部降格以降表舞台から姿を消し(2013年に消滅したとされる)、反対にキジルクムは1部リーグに定着。いつの間にかキジルクムがナヴォイのチームということになっていたが、この辺りの詳しい事情は全く分からない。各チーム保有者が異なっていた可能性もあるが、その辺がわかる資料も見当たらない(関係する情報かわからないが、1992年の国内リーグ発足時に、ザラフションが1部参加を拒否し2部所属になったとの情報もある。キジルクムは当初から2部リーグに参加)。さらに国内メディアでも、ザラフションとキジルクムを同一チームと認識しているような記事があり、謎が多い。

 何があったかは知らないが、2000年に1部リーグに初参加すると、奇しくもザラフションが降格した2002年シーズンに過去最高順位の3位に入る。それ以降は中位に留まっていたが2010年頃から順位を下げていき、近年はすっかり弱小チームに。
 スルホン同様、毎年綱渡りのような残留劇を演じてきたが、2020年に元代表のレジェンドGKネステロフを獲得したのを皮切りに、2021年は現役ウズベキスタン代表のトゥフタフジャエフとケンジャボエフ、ジョージア人の実力者グリガラシュヴィリとヴァツァゼを獲得。
 2022年には1月にチームの所属先が代わり、これまでのナヴォイ州が設立した非営利団体から、NGMK社が設立した合同会社に変更。1部リーグ得点王経験者のT.アブドゥホリコフ、B.ユルドシェフ、ムハンマディエフ、ショアフメドフ、イルヨソフと代表経験者を5人も獲得。新加入のセルビア人FWスタニサヴリェヴィッチの大活躍で5位と大躍進。しかし所詮は一過性だったようで、2023年は14チーム中12位。入れ替え戦でかろうじて1部残留を決めた。今オフも大した上積みがなく、いつものように残留争いか。

注目選手

GKロベルツ・オゾルス(ラトビア代表)
 どういう経緯でキジルクムにやって来たのか……。ラトビア代表の正GK。プレーを見たことはなくどういうタイプかはわからないが、CL、EL、UECLといった欧州大会の予選を戦った経験もある。ネームバリューだけ見れば、今オフ最大の補強。

MFムハンマダリ・ギヨソフ(ウズベキスタン)
 ケレン味のないドリブル突破とパンチ力あるシュートが武器のFW。昨季途中でオリンピクから加入すると4得点1アシスト。深刻な得点力不足にあえぐチームの救世主になり、残留に大きく貢献。今季もチームを牽引できるか。

ユニフォーム

  • キットサプライヤー:プーマ(Puma)

  • 胸スポンサー:ナヴォイ鉱業・冶金コンビナート(非鉄金属メーカー)


ロコモティフ

原語名:Lokomotiv Toshkent professional futbol klubi
創設:2002年
本拠地:タシケント
グラウンド:ロコモティフ(12,000人収容)
獲得タイトル:リーグ優勝3回、カップ戦優勝3回
愛称:Temiryo'lchilar「鉄道員」、Loko「ロコ」

帰ってきた「旧・タレント集団」

 2010年代後半にウズベキスタンサッカーの覇者となったものの、それ以降はイマイチしょっぱいチーム。

 創設は比較的2002年と比較的新しい。ロシア語で「機関車」を意味するチーム名の通り、ウズベキスタン国営鉄道によって設立された。創設3年で1部リーグに昇格するも、しばらくは特に特徴のない中堅チームだった。転機は2部リーグに降格した2010年。翌2011年に国家のサッカー強化方針を背景にスポンサーの大手銀行「オリエントフィナンスバンク」社とウズベキスタン国営鉄道が大規模に資金投入すると大補強を敢行。1年で1部復帰を果たし、強豪チームに大変身。ブニョドコルが弱体化した2016年からはリーグ3連覇を果たし、ウズベキスタンサッカーの王者に君臨した。一時はパフタコルをも凌ぐ強さを手に入れたその手法は、かつてのブニョドコルと同じ「パフタコルから選手を引き抜く」ことだった。

 ブニョドコル同様栄華は続かず、黄金時代を彩った戦手の多くがチームを去った2020年以降は優勝争いから脱落。第二集団のチームとなった。毎年それなりのに補強し、外国人監督を招聘し、育成組織を整備するなど精力的にチーム強化を行うものの結果が出ずジリ貧に。そして2022年には代表最多キャップ記録者のジェパロフ氏を監督に迎えるも開幕から全く結果が出ず深刻な不調に。主将マハラゼの八百長発覚という不祥事もありチームはバラバラに。必死の立て直し策も実らず、12位でまさかの2部降格。
 しかしながら主力の多くが残留したことでチーム力を維持。2部では盤石の戦いぶりで1年での1部復帰を果たした。しかしせっかく降格時に残留させた有力選手を今オフにほぼ全員手放し、大きく戦力ダウンしてしまった。黄金期以降頻発する編成の手際の悪さが再び出た今年は、残留争いに巻き込まれるだろう。格安で獲ってきた元代表のベテランにかかる期待は大きい。

 スタジアムは市の北東部にのTTZと呼ばれる小地区にある。トラクトルというチームが2007年に財政破綻した際に引き取り、それまでのタシケント鉄道輸送技術者学校のグラウンドから移転、ウズベキスタンサッカー100周年記念事業として2012年に再建されたもの。この国には珍しく、陸上トラックのないサッカー専用スタジアムである。一帯にはトラクトルの母体となったタシケント・トラクター工場と関連施設があり、TTZもこの工場の略称(Toshkent traktor zavodi)である。
 赤と緑のチームカラーは、ロシアのロコモチフ(モスクワ)に倣ったものと思われる。驚くほど集客力が悪く、ホームゲームでも平均観客数は2,000人台。

注目選手

MFサンジャル・トゥルスノフ(元ウズベキスタン代表)
 ロシア、ウクライナ、カタール、韓国でプレー経験のある37歳のMF。かつては運動量とクロスが武器のサイドプレーヤーだったが、2020年のAGMK(現OKMK)加入以降はセンターハーフにコンバート。正確な長短のパスで攻撃を組み立てる。直接FK、PKの名手でもある。
(※開幕後の追記:今季は実質チームの指揮をとるコーチのストイミロヴィッチ氏のアシスタントを務めるとの情報あり。選手兼任なのか引退なのかは不明)

DFアンズル・イスモイロフ(元ウズベキスタン代表)
 長く代表レギュラーを務めた大ベテランのCB。相手ごとボールを刈り取る筋骨隆々の巨漢クラッシャー。昨季はトゥルスノフともどもOKMKの主力を務め、オフに5年ぶりに古巣復帰を果たした。38歳になってもフィジカルは全く衰えず、良くも悪くも若々しいプレーを見せる。

ユニフォーム

  • キットサプライヤー:7Saber

  • 胸スポンサー:シトロニック(白物家電ブランド)、ジャホンインヴェストプラスト(石油化学品メーカー)


ディナモ

原語名:Dinamo Samarqand futbol klubi
創設:1960年
本拠地:サマルカンド州サマルカンド
グラウンド:ディナモ(16,000人収容)
獲得タイトル:なし
愛称:Arslonlar「ライオン」

強力FWを擁するダークホース候補

 世界遺産の歴史都市サマルカンドに本拠地を置くチーム。中央アジアにさほど親しみのない日本でも、この町の名前は聞いたことがあるという人も多い。レギスタン広場、シャーヒ・ズィンダ、グーリ・アミール廟、ビービー・ハーヌムモスク、ウルグベクの天文台など文化財の宝庫。その美しさから、古今東西の詩人や哲学者はこの町を「心の庭」「東の宝石」「世界の鏡」「地上の輝き」など、思い思いに形容してきた。
 シルダリヨとアムダリヨに挟まれた肥沃な土地で、古代からシルクロードの中心地としてマケドニア王国、サーマーン朝、カラハン朝、イスラーム帝国など様々な王朝の下で栄えた。14世紀にティムールがこの地を都に定めると、チンギス・ハーンの軍勢により破壊された町を復興。ティムールの孫で4代目君主のウルグ・ベクの代に学問、芸術、文化が花開き、今に残る多くの建物が築かれた。その後もシャイバーニー朝、ジャーン朝、ブハラ・アミール国、ロシア帝国、ソ連と様々な国の統治を経験して今に至る。
 歴史的建造物だけでなく、紙やハサミなどの伝統工芸も盛ん。また、この町のナンとハルヴァは絶品とされる。観光面ばかり取り沙汰されるが、50万の人口を擁する国内第二の都市で、イスロム・カリモフ前大統領の出身地でもある。なお、タジク人が多く住む町としても知られる。

 町に関する話題の豊富さとは裏腹に、取り上げるようなトピックは少ない。ソ連時代は下部リーグ所属の目立たないチームだった。唯一のハイライトは、3部リーグに在籍していた1984-85シーズンに、2部のファーケルと1部のジャルギリスに勝ち国内カップ戦ベスト8に進んだことくらい。
 ウズベキスタン独立後は1部リーグに参加。2000年にカップ戦準優勝、リーグ最高順位は1992年の4位。真のヨーヨー・クラブで、これまで6度の昇降格を経験。2023年はコジョ、ナー、メンサーのガーナ出身トリオと日本人の小池がチームを牽引し、2部リーグ最終節まで無敗。コーカンドとのデッドヒートを制し2位に入り1部昇格を果たした。チームの中心は24年のアジア杯にも出場したキルギス代表のFWコジョ。率いるのは元代表監督のベテラン指揮官アブラモフ氏。掴みどころのない戦いぶりで何となく結果を出す奇妙な采配は老いてなお健在。
 今季はライバルのコーカンドから2部リーグ得点王のホジミルザエフを獲得するなど精力的な選手補強を行った。セルビア人CBミイッチ率いるDFラインが成熟すれば上位進出もあり得る。

 チームOBで最も有名なのはイグナチー・ネステロフ。17歳でプロデビューすると主力を務め、翌年パフタコルに引き抜かれた。その後は長く代表守護神を務めた。あまりサッカーに熱心な土地柄ではないのか、サマルカンド出身の有名選手はほとんどいない。ウズベキスタン人ですら勘違いしている節があるのだが、ネステロフはタシケント出身。
 ホームグラウンドは市中心部にありアクセス抜群。昔ながらの雰囲気を残すスタジアムだが、リーグが定める基準には遠く及ばず。2024年のホームゲーム開催権は与えられず。代わりにジザフ・マルカジーで行うことになった。

 ロゴマークはサマルカンド市章とほぼ同じデザイン。中央に描かれている動物はヒョウで「はるか昔にサマルカンドが建設されたとき、近くのザラフション山脈から1頭のヒョウがやってきて、町の建設を認め去っていった」という古の伝説に基づく。

注目選手

FWジョエル・コジョ(キルギス代表)
 身体能力、個人技、得点感覚すべてがハイレベルなガーナ出身FW。昨季は2部リーグで格の違いを見せ、17試合で11得点。昇格に大きく貢献。1月のアジア杯でも不振のキルギス代表で唯一の得点を挙げた。「彼とホジミルザエフが期待通り活躍すれば」の条件付きだが、今季のディナモはダークホース。

FWアンヴァル・ホジミルザエフ(ウズベキスタン)
 最後まで自動昇格を争ったコーカンドから加入。元々は2列目の選手だったが、昨季FWにコンバートされると29歳で得点力が開花、20試合で16ゴール6アシストで得点王に。周りと連動して巧みに抜け出すタイプで、多少独りよがりでも独力で局面打開するコジョとは正反対。どちらかを控えにするのはもったいない。

ユニフォーム

  • キットサプライヤー:プーマ(Puma)

  • 胸スポンサー:アグロミル(建設会社、マンション開発)


注釈

 ①チームの呼称のこと。洋の東西を問わず「スパルタク・モスクワ」のように「チーム名+本拠地名」の書式を採る情報源が多く見られるが、旧ソ連圏のチームは本拠地名を呼称に含めない(地名を明示する場合は「モスクワのスパルターク(Московское «Спартак»)」や「タシケントのロコモティフ(Toshkentning "Lokomitiv" klubi)」など)のが一般的。そのため、本稿も現地で一般的に用いられる呼称に合わせた。

 ②ウズベク語の日本語表記のこと。
 1. 日本には「ウズベク語の"o"をア段で転写する」奇妙な趨勢がある。理由を邪推してみると、まず元のウズベク語の「oをаにして」ロシア語に転写する慣習がある。これはウズベク語のoがしばしば「円唇後舌広母音[ɒ]」をとるからだと勝手に思っているのだが、そのロシア語表記をそのまま日本語に転写しているために起きている。つまりこれは、「oをаとみなしたロシア語表記の情報源を引用し、ア段で表記する」、ウズベク語→ロシア語→日本語の「孫転写」とでもいうべき現象である。

【よくあるウズベク語の転写例】
・ウズベク語:Surxondaryo
・ロシア語:Сурхандарья=Surkhandarya
・日本語:スルハンダリヤ(河川名)

 筆者はこのoこそがウズベク語をウズベク語たらしめているものと思っており非常に愛着があるので、本稿ではそれなりに定着している用語を除き、断りなく全てのウズベク語のoを「ロシア語の仲介」なしにオ段で表記する。もちろん、ロシア語由来の語はその限りではない。
 2. ウズベク語はアクセント位置や母音の長短で意味を区別することがないため、長音符(伸ばし棒)は原則入れない。例外として、アラビア語由来で直後に「'」が置かれた母音は長母音になるので、その場合のみ入れる(Ne'matov「ネーマトフ」)。また、ロシア語は母音の長短こそないが、アクセント位置に意味の弁別機能がある(ロシア語学習者なら、писа́тьとпи́сатьの違いを耳にしたことがあるだろう)ため、分かる範囲内で長音符を用いてアクセント位置を便宜的に表す。
 もっとも、外国語の表記をあれこれ論ずること自体無意味な試みである。「ムバッペ」でも「エムバペ」でも「スールシャール」でも「ソルスキア」でも聞いた人が同じサッカー選手をイメージできればどうだっていいのだ。筆者の趣味程度にご理解いただければと思う。

 最後に、これまで、当noteの題名「河中蹋録」について語る機会がなく、今後もなさそうなのでここにねじ込ませていただきたい(誰もこんなところまで読み込まないだろうし……)。「かちゅうとうろく」と読む。「河中」は「川の中」つまり中央アジアのシルダリヨとアムダリヨの間に広がる地域のこと。「蹋」は蹴鞠を意味する「蹋鞠」に使用される字で、サッカーのこと。こじつけが過ぎるが、つまり「中央アジアサッカー記録」程度の意味である。
 イスラーム世界で編まれた歴史書「ジャーミー・アッ・タワーリフ(جامع التواريخ‎)」は日本では「集史」と呼ばれる。このような「別言語の題名を漢訳すること」にかっこよさを感じたので、じゃあ自分でもやってみようというしょうもない動機である。想定した「別言語」は、現在のウズベキスタンにおいて長きにわたり上層言語(文章語)だったイラン系言語、つまり現在のペルシャ語またはタジク語。「Футболномаи Варазрӯд(فوتبالنوما ورازرود)」を漢訳したのが「河中蹋録」というわけである。自分でも由来を忘れてしまわないうちに書き残す。

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