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修羅の街

 北九州小倉に住んで30年になる。ホームセンターの福岡の店で働いていたのだが、小倉へ異動の発表があった時は、小倉は怖いと思っていた。小倉は犯罪も多かったし、工藤会という指定暴力団もまだ威勢の良かった頃だったので、福岡県人の中では、危険な土地として認識されていた。北九州ナンバーの車を見たら気を付けろ、といわれていたものだ。だからなるだけ安全な文教地区に居を定めた。
 当時小倉の主要道路は大阪の道路のように一歩通行道路になっていて、車で走るのに非常に不便であった。チンチン電車もまだあったが、それは八幡の方だけで、小倉はとうになくなっていた。モノレールがその代わりできていた。だからこんな広くて変な一歩通行道路にしたのであろう。不評のせいでやがて、それはなくなっていったが。第一小倉の交通量は八幡や福岡市と比べると大したことはなかった。
 店に勤務すると、意外に変な客は少ないことに気づいた。福岡の店の方が物騒じゃないかとさえ思ったが、それは認識不足であった。だんだん慣れてくると変な客が増えてくるのがわかる。
 工藤会のチンピラに、いかにも万引きにきましたーみたいなヤンキーに、サギまがいのことで、カネをとろうとする輩、びっくりしたのは、シャブ中の女。突然店にやってきて、「人に追われているから助けてくれ」というので警察に連絡したら、警察官は女性を見て冷静な態度で「ああシャブ中やね」といかにも慣れた口調でそういった。僕はアッケにとられた。やはり小倉は危ない街であった。
 そうはいいながら慣れてくると、これが当たり前になってくる。どこからか手りゅう弾が発見されても、店に刑事がやってきて、頻繁に捜査の協力を求められても。玄界灘にセメントづけにされた死体が発見されても。
 それでも30年の間に随分小倉は治安が良くなったとは思う。修羅の街と揶揄されても、住みよい街になってきたと思う。工藤会も壊滅状態になってきたし、犯罪率も下っているようだ。
 福岡に比べ、渋滞もないし、人でゴミゴミもしていない。政令指定都市の中で、一番高齢化が進んでいるらしいが、いろんなイベントを行って若い人を呼び込もうとしている。待機児童数は11年連続0である。
 土地も安いので一軒家やマンションも安い。都心にアクセス便利な場所が安いお値段で買えちゃうのである。移住にはピッタリである。災害にも強い。地震は滅多にこない。
 これから小倉は住みやすいいい街になるだろうと確信している。
 
 

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