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東浩紀『ウクライナと新しい戦時下』読んだ

昨日に続いてウクライナシリーズ。

短いので一瞬で読み終わった。

というかゲンロン16に収められた東浩紀氏の論考だけ先に販売したって感じだな。

要はシングルカットみたいな感じである。

つまりゲンロン16を買うつもりの私は、そのシングルを買う必要がなかったのである、、、

さらに言うならゲンロンカフェで語られた内容とほぼ同じである。

まあ動画と文字は違うからそこは別にいいのだが。

見ての通り、ゲンロン創業者の東浩紀氏と社長の上田洋子氏が昨年11月にウクライナに取材旅行に行った際の感想を述べたものである。

私は、彼らが帰国後に配信した動画を非常に面白く拝聴したのであるが、実際のところ反響はそれほどでもなかったらしい。

ウクライナ戦争が始まって約2年、食傷気味なのもあるだろうし、またパレスチナで別の戦争が始まったのもウクライナ疲れの大きな要因だろう。

それはともかく私は東浩紀という「観光客」のレポートをとても興味深く読んだのである。

彼らはリヴィウとキエフを訪れたのだけど、驚くほど普通に日常生活が営まれているらしい。われわれ日本人は戦争といえば、太平洋戦争の総力戦体制を思い起こすので意外に感じる、とのこと。
まあ太平洋戦争中も案外ふつうに日常生活を皆さん送ってたんではないかと私は想像するのだが。戦時中の隣組もコロナ騒動における自粛警察も似たようなもんだろう。

その普通さは西部の街リヴィウでより顕著であったらしい。なおリヴィウはポーランドやオーストラリアに文化的な影響を受けており、非常に観光都市として映えるというか、日本人好みではないかとのこと。平和になったら行ってみたいね。

ただしキエフはやはり戦争の爪痕がはっきりあって、上掲動画や本noteのサムネ画像にみられるように、独立広場には戦死者ひとりひとりの名前が手書きされた青と黄の旗が立てられている。

ぼくと上田が現地を訪れたとき、その片隅で泣き崩れている赤い髪の女性が いた。旗を手にしたまま、ひとり俯いて嗚咽を漏らしている。顔が窺えない ので定かではないが、髪型と服装から判断して二〇代だと思われた。大切な ひとが亡くなり、追悼の旗を捧げに来たものの手放すことができないようだ。ぼくたちが広場に到着したのはもう夕方で、半時間ほどあたりを見て歩いた。そのあいだに陽は傾き気温もぐんぐんと下がっていったのだが、ぼくたちが立ち去るときになっても、彼女はずっと同じ場所で肩を震わせ続けていた。

やはり戦争はよくない。

またウクライナ国内ではしばしば空襲警報が鳴るし、実際にミサイルが飛んできたこともある。モスクワにミサイルは降ってこないのだから、これは明らかに非対称的な戦争である。

またウクライナには兵器などをモチーフにしたTシャツ、マグカップ、ポストカード、文房具がたくさん売られている。国産品販売を促進し、また戦費を稼ごうという意図はよくわかる。

しかしハイマースのバンドTシャツはちょっとわからない。激戦地を転戦したハイマースを、ロックバンドの全国ツアーに見立てているのである。

あるいはジャベリンを聖人に見立てたイコンとか、日本なら不謹慎と言われそうなものも。。。

いや我が国にも艦これがあるからよそのことは言えないか。

それはともかくリアルに戦争がおこっている国で、戦争がポップでクールなものとして表象されているのは、いささか想像しにくいのであった。

他にもバイラクタルの縫いぐるみなど、色々なグッズが紹介されているので気になった人はぜひ読んでみてほしい。

こうした民間主導での戦争プロパガンダは違和感とか危うさを感じさせるが、戦争とはそういうものかもしれないな。ボトムアップの戦争への意志がなければ、戦い続けることなどできないからだ。『この世界の片隅で』に見られた庶民の戦争意志は本当だったのだろう。

このボトムアップの楽しい戦争プロパガンダは、SNSであるとか、勃興しつつあるウクライナナショナリズムと絡んで、新たな文学を生み出している、らしい。

そういうのはとても興味がある。近い将来きっとウクライナ語を勉強するんだ。


こうしたボトムアップのプロパガンダもあれば、もちろん上からのプロパガンダもある。
それは主に歴史に関するものである。

ソ連時代は、ナチス・ドイツと戦い勝利したことは栄光であったが、ソ連解体後のウクライナにとってはそんな単純なものではなくなってしまった。

ナチスもソ連も自分たちを抑圧したという意味では同じではないかと。だからロシアとナチズムをくっつけたラシズムとか、プーチンとヒトラーを重ね合わせたプトラーとかいう造語がしばしば使われているらしい。

まあホロコーストやポグロムに加担したウクライナ民族主義者もいるので、全く同じではないし、突っ込みだすと話はややこしくなるのだが、その辺りはきれいに捨象して宣伝しているのである。


このような情況では停戦を語るのは難しいと著者は述べている。戦争は平和について話すことを難しくするのだ。

ロシアの回し者とかじゃなくて、停戦も現実的な選択としてありうる。でもいま停戦することは、実効支配地に基づいて国境線が引き直されることを意味する。ウクライナの人々にとっては受け入れがたいだろう。

なので著者だって面と向かって停戦したほうがいいですよなどとは言えなかったのである。


という感じで、短い論考だが重要な論点が満載であった。


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