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10. 師弟関係編

ヤングダービーの優勝戦。
上條暢嵩さんが、凄まじい捲りでラストイヤーを見事に飾った。
太郎は、上條さんの想いの強さに感動するとともに上條さんの師匠についても頭をよぎった。
「流石、野添さんの最後の弟子やなあ。1マークのあの体系で最高の判断やったな。ええ師匠からボートレースの向き合い方とか色々教えてもろたんやろなあ。上條さんおめでとうございます!」

思えば、ボートレース界は昔は師弟関係が基本だった。持ちペラ制がなくなって今は特定の師匠をもたない若手も増えた。レーススキルは見ることはできるが、ペラや整備はなかなか見えない。見えないスキルを学ぶ為には、やはり師匠が必要なんだろうなと思った。

昼の仕事も見える所と見えない所がある。
思いかえすと、太郎は若い頃はあまり会社の人間と飲みに行かなかった。一人で飲みに行くか、会社と関係ない知り合いと呑んでいた。会社終わってまで会社の人間と飲む価値を感じていなかったのが正直な気持ちだ。
変わったのは、東京での長期プロジェクトに入ってからだ。
晩飯ついでに先輩や客とよく飲みに行くようになった。当然仕事の話にもなる。確かに普段の仕事中からは見えない色々な話がきけた。
特に営業の今江さんと客の加藤さんとはよく行った。師匠というわけではないが、そこで会社の代表として振る舞い、客からの期待、見え方といった所を学んだ。
誤った先輩や客に間違いを教えられると間違いのまま気づかないケースもあるだろう。太郎は運が良かったと思った。
その時言われた言葉で太郎は今でも残っている言葉が3つある。
「2度言って相手ができないのは相手が馬鹿。3度言って相手ができないのはお前が馬鹿だ」
「正しいかどうかで判断するとまちがえる。適してるかどうかで判断しろ」
「客が間違っているなら、どんなに罵倒してもいい。手だけは出すな。物理的にやるとお前を守れなくなる」
今ならコンプラ違反的な表現もあるし、人それぞれ感じ方はある。これらが昭和の働き方として継承されるべきと感じるのであれば、良い師だったという事だ。いまや令和となり働き方が変わったというのであれば単なる強要かもしれない。師となる人は、不変の何か、継承すべき事を伝えられる人間という事を改めて感じた。

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