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ソクラテスのつぶやき:テラハから考えるSNSの“無責任な責任感”とコンテンツの不都合な真実

こんばんは。少しほとぼりも冷めてきたので、重いテーマではありますがテラハ出演者の木村花さんの死を受けてコンテンツやSNSについて感じたことを何点かシェアさせていただければと思います。大きく以下2点です。

・匿名の誹謗中傷は当然間違っている。一方でこのような事件が起きてしまった時だけ人々がここぞとばかりに発言する”無責任な責任感”には個人的には疑問を覚える。
・圧倒的パワーコンテンツであるリアリティショーのコンテンツリスクが高いことは制作側・視聴者側にとって不都合な真実。その一方で同コンテンツのリスク認識と管理に関する議論はもう少しされてもいい印象。

以下少し補足させていただきます。合わせて今回の件に関してはいくつも記事が出てますのでご参考にいくつか考えるきっかけになったものを列挙させていただきます!

SNS社会固有の“無責任な責任感”

言うまでもなくSNSの匿名誹謗中傷は許されるものではなく、既に議論に上がっていますように何かしらの規制の形は必要だと思います。具体的にはコメントの制限や特定用語に対するスクリーニングの強化等が挙げられますが、結局筆者的にはAirbnbやメルカリにあるようなユーザー評価システムの導入が不可欠なのではないかと思います。

ソクラテスが何より違和感を感じているのが今回の件を受けた一般の人々の反応です。同件が明らかになったときに、芸能人を筆頭に様々な人々が意見表明をしてきました。これ自体に関して決して否定的な意見を持っていません。一方で、“SNSの匿名誹謗中傷が許されるべきことではない”というある意味当たり前なことが“人の死”という最悪の結果が露呈してから初めて出てくることに関しては疑問を抱きます。SNSの匿名誹謗中傷というのはこれまでも常日頃目にするものですが、そこに関しては摘発するどころか“言論の自由”の元、自らの意見を述べるという意味で批判的なコメントをしている方も少なくないと思います。

多少の炎上覚悟で表現しますと、こういう時にだけ“SNSの匿名誹謗中傷が許されるべきことではない”と言っている人は、SNSならではの”無責任な責任感”を振りかざしている印象を受けざるを得ないです。本当に心底感じていることなのであれば、なぜ常日頃目の当たりにする時から発言して立ち上がらないのか?それができないのであればこういう時にだけ発言するのもいかがなものかと思いました。

コンテンツ制作の未来

今回の件を受けて、Netflixにおいてテラハの制作は中止となりましたが、こうしたリアリティショーというコンテンツそのものに関する議論は少し大人しい印象です。昔からのテレビ番組もそうですが、生身の人間がコンテンツにおいて演者をしている限り、SNSというツールが存在する現代社会において誹謗中傷は不可避だと思います。

当然制作側としても、こうした演者を巻き込んだリアリティショーを制約すると“視聴者の共感”というコンテンツ優位性で人気を博してきた多くの番組が被害を被るという不都合な真実が存在しているのも事実だと思います。一方で、完全廃止は現実でないにせよ、こうしたリアルコンテンツのリスク認識と管理するための仕組みづくりの重要性とそれを取り巻く議論はもう少しされてもいいのではないかと思います。現代社会ではSNSという飛び道具を使って、よりコンテンツの魅力発信や視聴者を巻き込んだコンテンツ作りをしてきました。一方でそれに伴うリスク管理の甘さが露呈したのが今回の一件だと思います。制作者・視聴者もSNSという飛び道具を使用するからには光ではなく闇の部分にもしっかり今後より一層向き合ってほしいです。

本日も最後までお読みいただいた方ありがとうございました!だいぶコンテンツのリスク管理や評価システムに関する具体的なところの議論は薄くなりましが、とにかく今回のテラハの件を通じていちエンタメファンとして感じたことを率直に書かせていただきました。皆さんご意見・感想はそれぞれだと思いますが、是非とも考えるきっかけになればと思います!!  

※SNS社会における個人の在り方については下記記事もご参考ください!


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