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見つめる鍋は、煮えない -スマホで100日連続noteに挑戦day59-

コルクラボ文化祭で習ったこの言葉。外山滋比古先生の著書で繰り返し出てくるらしいこの言葉。見つめる鍋は煮えない。

放っておくこと、寝かせておくこと、発酵させることの大切さを説いた言葉らしいです。

タイトル画像は、もうシーズン終了と思っていた我が家のプチトマト。台風15号も19号もバルコニーで乗り越えたつわものプランター。しばらく世話してなかったらたくましく花が咲き実がなり続けてました^_^ シーズン最後かな。熟すの楽しみ^_^ ほったらかしていたら、実がなった^_^

標記、深い言葉だなあと改めて感じています。

というのも、日頃バスケコーチとして小学生低学年にバスケを教えていて
・見つめすぎると煮えない
(ベキ論を押し付けたり、手をかけすぎると、バスケ嫌いになったり)

とは確かに感じつつも、逆に

・ある程度は見つめないと(手をかけないとor誘導しないと)鍋の加熱が始まらなかったり、鍋を忘れてコンビニでサンドイッチ買って食べ始めたりするんですよねー。。。

鍋を美味しく煮たい=持っている素質の滋味を存分に引き出したい、発酵のようなプロセスによる料理の変化や進化を味わいたい

とすると、
・見つめる程よさ
・ほったらかしておく間の別の目が大切
=小学生低学年のバスケの場合、保護者の目、かな。

→ほったらかし方、みたいな話?
・頭で理解する、視覚で理解する、体感で理解する、のお膳立ての程よさと実践のバランス
=ゲーム性があって楽しい練習じゃないとその場からいなくなっちゃう
=鍋の具材としても鍋の中に収まってくれない

みたいな日常なのですよ、ええ。はい。

小学生低学年にバスケを教える楽しさは、その「こちらの想定を超えてくる」感じが楽しくてやってるわけですが、根本は見つめすぎると煮えない、というのは大切な教えだなあ、と。

組織も、家族も、子育ても、似てるのかも煮てるのかも、しれませんね^_^

そして探求はつづく。

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かわいい〜^_^見つめすぎないようにしよう^_^

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