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「緑の革命」の父、ノーマン・ボーローグの栄光と苦難の軌跡



農業の発展は人類の歴史そのものと言っても過言ではない。しかし、20世紀半ばまで世界の多くの地域で飢餓に苦しむ人々が大勢いた。そんな時代に「緑の革命」を起こし、何億人もの命を救った伝説的な農学者がいる。ノーマン・ボーローグ博士だ。レオン・ヘッサー氏による伝記『緑の革命"を起こした不屈の農学者 ノーマン・ボーローグ』は、博士の波瀾万丈の人生を克明に描き出している。

ボーローグ博士は1914年、米国アイオワ州の小さな農場に生まれた。厳しい自然と向き合う両親の姿を見て育った彼は、農業の重要性を幼いころから肌で感じていた。大学では林学と植物病理学を学び、卓越した研究者への道を歩み始める。

メキシコでの試行錯誤と「奇跡の小麦」の誕生

1944年、ボーローグ博士はロックフェラー財団の招きでメキシコに渡る。当時、同国の小麦生産量は伸び悩み、多くの国民が飢えに苦しんでいた。若き日の博士は現地の過酷な環境に試行錯誤しながら、「奇跡の小麦」の品種改良に没頭する。その革新的な研究手法が、後の「緑の革命」の基盤となった。

「ここには何百万もの小麦の苗がある。一つひとつの穂が二〇数個の穀粒を生み出すが、私たちがメキシコで求めるものとして手を上げて受け入れられるのは、一〇億にひとつもないだろう。完璧とは、学者が求めつつも決して手に入れることのできない蝶なのだ」

理想を追い求める博士の真摯な姿勢が、研究チームを鼓舞し、画期的な成果を次々と生み出していく。「シャトル育種」や「矮性遺伝子」の導入など、博士の開発した技術は小麦の収量を飛躍的に高めていった。

インド、パキスタンでの「緑の革命」と世界的評価

メキシコでの経験を活かし、ボーローグ博士は1960年代にインドやパキスタンでも品種改良に取り組む。飢餓に喘ぐ人々を前に、博士は現地の政府に積極的に働きかけ、農業改革を促した。その献身的な努力が実を結び、両国は「緑の革命」によって自給自足を達成したのだ。

1970年、ボーローグ博士はノーベル平和賞を受賞する。飢餓問題の解決に大きく貢献したその功績が、ようやく世界的に認められた瞬間だった。授賞式のスピーチで博士は、食糧増産と人口抑制の両輪が必要だと訴えている。

「食糧増産をめざす機関と人口抑制をめざす機関が一体となって努力しない限り、食糧難との戦いに前進はない。(中略)そうすれば、国家間および国民たちのあいだに友愛を育もうとしたアルフレッド・ノーベルの努力は実を結ぶのだ」

途上国支援の第一人者として奮闘

ノーベル賞受賞後もボーローグ博士の挑戦は続く。1980年代以降は、ジミー・カーター元大統領らと「笹川グローバル2000」を立ち上げ、アフリカを中心とした途上国の農業支援に尽力した。厳しい自然環境や不安定な社会情勢の中で、博士は現地に何度も足を運び、粘り強く活動を続けている。

不屈の闘志を未来へとつなぐ

90歳を越えた今も第一線で活躍し続けるボーローグ博士。その類まれな闘志と行動力の源泉はどこにあるのだろうか。著者のヘッサー氏は、博士の謙虚で真摯な人柄と、家族を大切にする姿勢を紹介している。妻マーガレットの支えがあってこそ、博士は世界中を飛び回ることができたのだ。

本書には、博士の波乱に満ちた半生が詳細に記されている。飢餓に苦しむ人々を救いたいという強い信念。研究への真摯な姿勢。周囲の人々を巻き込む卓越したリーダーシップ。そして何より、決して諦めない不屈の精神。私たち一人ひとりが、ボーローグ博士から学ぶべきことは多い。

「緑の革命」は、単に品種改良という農業技術の進歩だけを指すのではない。飢餓という人類の課題に真正面から向き合い、一歩ずつ前に進んでいく。ボーローグ博士の歩みそのものが、「緑の革命」の心髄なのだ。この偉大な農学者の遺志を、私たちは未来へと引き継いでいかねばならない。


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