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乗代雄介ブックトーク「書くことのすゝめ」at おかやまZINEスタジアム(前編)

「おかやま文学フェスティバル2024」の一環として2024年2月25日に初開催された「おかやまZINEスタジアム」において、小説家の乗代雄介さんをお招きしてトークイベントを実施しました。主催の岡山市と乗代さんに許可をいただき、トーク内容の書き起こしをここに公開いたします。

後編はこちら↓

おかやまZINEスタジアム
日時:2月25日(日曜日)11:00〜16:00
会場:旧内山下小学校体育館
概要:ZINE・リトルプレス・同人誌・PR誌など、小規模出版物の展示即売会。創作文芸、評論・ノンフィクション、写真・アート作品など、ジャンルを問わず出品可

―きょうは作家の乗代雄介さんをお招きしまして、「書くことのすゝめ」という題でトークイベントを開催いたします。

乗代 よろしくお願いします。乗代雄介と申します。

―進行は吉備人出版の守安がつとめます。このブックトークは前半と後半に分かれまして、前半30分程度、乗代さんの小説のこと、また本日の「おかやまZINEスタジアム」に関連して、乗代さんがかつて出されていた同人誌のことなど、いろいろとお伺いしていきたいとおもいます。また、後半30分では、乗代さんが講師となって実施された全3回のワークショップについて、受講者の方を交えてお話を聞きます。ワークショップは昨日(2/24)第3回目があり、テーマが「文章で風景をスケッチする」というものです。こちらを振り返りたいとおもいます。その後、質疑応答もあります。これから皆さんに質問の紙をお配りします。ブックトークが終わる頃までに回収して、集まった質問の中から乗代さんにお答えいただきます。

乗代 何でも、忌憚なく。はい。

―乗代さんはいろいろと答えてくださるので。

乗代 はい、大丈夫です。

―ぜひ聞きたいというものを記入いただいて。

乗代 (質問用紙が)まわってますね。

―のちほど回収いたしますのでよろしくお願いします。では前半の、乗代さんの小説であったりZINEのこと、お聞きしていきたいと思います。まずは乗代さんの簡単なプロフィールをご紹介いたします。乗代さんは1986年北海道生まれです。2015年に「十七八より」という小説で第58回群像新人文学賞を受賞されてデビューされました。その後、2022年に第37回の坪田譲治文学賞(岡山市が主催)を『旅する練習』で受賞されまして、これが今回、岡山へ来ていただくきっかけになりました。

乗代 縁があって、その受賞以来何度も岡山へ呼んでいただいて、受賞の翌年も、その翌々年(2024年)も来させていただきました。延べでいうと40〜50日ぐらいは岡山に滞在しています。

―もうそんなになるんですね。

乗代 はい、方々歩き回っております。

―今年度ライター・イン・レジデンスで来ていただきましたが、それ以前にも授賞式などで何度か岡山に来られていたと。

(補註)ライター・イン・レジデンス:作家に宿泊場所を提供し、講義を行ってもらうとともに、作家の創作活動を支援するシステム

乗代 そうですね。僕は東京に住んでるんですが、呼ばれたら、とにかく時間を取って、前のりして、帰りも後ろへずらして、10日ぐらいは滞在しています。坪田譲治文学賞の授賞式を含めて2回、そうやって市内をいろいろとまわりました。すると岡山市のほうから「市内でたくさん取材をしてもらえてありがたい。これが何か創作に繋がれば」とライター・イン・レジデンスのお話をいただき、それが今回のワークショップの形になったわけです。

―エッセイに「こんなに早く来岡される方は珍しい」と言われたと書かれてましたね。

乗代 受賞式も、前日か当日に来て1泊するくらいがおそらくはスタンダードなんでしょうけども、僕は1週間前に来て、もう散々歩いて。コンディションがちょっと悪い状態で授賞式に出るっていう(笑)。授賞式はむしろ休憩日って感じです。

―それだけ歩いてまわられるのは、風景スケッチをする目的がメインですか。

乗代 そうですね。もう5、6年ぐらい前から風景スケッチを始めて、これを本格的に小説にも取り入れるようになって作品に結びついたのが、坪田譲治文学賞をいただいた『旅する練習』です。この会場の入り口のほうで買えますので、皆さんぜひ。

―入り口にすぐのところに実行委員会のブースがありまして、そちらに乗代さんの本をひと通りそろえています。

乗代 でも今日は皆さん本当に会場でいろんなものを見て、予想以上にお金も使ってらっしゃると思われるので、だから無理はしないでください。ここで買えるものも貴重ですので、ぜひともね。

―ZINEスタジアムの会場を回られて、どんな印象を受けましたか?

乗代 こんなに盛り上がってすごいなあ、と。とにかく歩きまわって取材をするので、興味深いものばかりです。特に地域のもの、自分がまだ行ってない場所とか、もしくは行った場所のものとか。地域の方しか見ていないもの、書けないものがたくさんあって、それが文字や写真になり、ZINEという形になっている。自分はやっぱり旅行者でしかないし、よそ者でしかないので、とても興味深く見させていただいております。

―私も個人でブースを出してるんですけど、先ほど…

乗代 お買い上げ。

―お買い上げいただきありがとうございます(笑)。

乗代 いえいえ。興味深いものです。

―先ほど出ましたライター・イン・レジデンスについて。岡山市では初めての試みで、それが乗代さんということなんですが、まず、具体的にいつ頃から岡山に入られて、どういったことをされてきたかお伺いしてもよろしいですか。

乗代 3期に分けて、 10月、12月、2月と、それぞれ10日ずつぐらいで、合計1ヶ月。案内してもらったり、自分で自由にまわったり、いろんな体験ができました。「絶対に小説を書いてね」といった約束はなく、「この体験を執筆活動に活かしていただけたら」という形ではあるのですが、やっぱり岡山を歩いてまわっているとたくさん取材ができて、興味深くて、思わず書いてる、といった状況です。

―すでにウェブ連載のエッセイなどにも書かれています。日経新聞のプロムナードなど、とても印象的でした。

乗代 ありがとうございます。そうですね。あれはあれで、前に岡山に行った時のことを書いています。

―岡山に到着して、まず牛窓に行かれたという。

乗代 そうですね。岡山市ではないんですが(笑)。訪ねてみて、瀬戸内の一帯はほんとうにいいところだなあと思って、楽しく過ごさせていただいております。

―岡山市内では、建部のほうを巡られたということで。

乗代 ちょうど建部祭りがありまして。郷内7社のお神輿が七社八幡宮に集まってくるのを、お祭りの前日に行って準備の様子から見てまわりました。7つの社をぜんぶ巡って、子どもたちが境内で練習しているのを見たりして。翌日、お祭り本番に行ったら、その子たちが頑張ってるので、すっかり感動して、自分ももうおじさんだなと思ったりしながら(笑)、楽しい思い出をつくりました。本当に「また今年も行きたいな」という感じになるところばかりなんです、岡山は。

―とてもうれしいです。私も、地元の足守のまちをご紹介しました。

乗代 足守に行きました。

―わざわざ足を運んでいただきまして、ありがとうございます。

乗代 庭瀬から歩いて行ってます。

―庭瀬から… すごい距離ですね。何kmぐらいあるんでしょう。

乗代 帰りをあわせたら50何kmぐらいですか。

―50km… 1日でそれだけ歩かれるのは珍しくないんでしょうか?

乗代 そうですね、僕としてはあまり珍しくはない。さすがに50km歩くと次の日は休みたいという感じではあります。

―50kmっていうと相当ですね… フルマラソンより多い。

乗代 フルマラソンはそれを走るわけですから、そう考えると気楽なものです。途中で座ったり、それこそ、この後もお話する風景スケッチをしたりといった休憩時間は取りつつなので。無理なくやっております。

―1日じっくりかけて。

乗代 そうですね。楽しいです。半分観光みたいなものですけど。

―では、デビュー前のお話を伺いたいと思います。ZINE、同人誌のこともあるんですが、それに先駆けて、インターネットのほうで、ずっとブログを書かれています。こちらは今も更新されていますか。

乗代 いちおうブログはまだあって、ただ今はそんなに更新していません。そとに出すものが増えたのもあって。

―タイトルは「ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ」です。

乗代 読みづらいというか、覚えづらい。

―いまは、はてなブログですね。

乗代 さいしょはライブドアブログでした。そのまえはYahoo! ジオシティーズとかでホームページをやってたんですけど。かつて日記サイトが流行った時期があって、そういう日記サイトがZINEなどに繋がってるのかな?っていう印象を、僕はすごくもっていて。

―そうですね。日記などのインターネットの文化が文学フリマなどの出品作品につながっているケースは結構ありそうです。

乗代 今は特にそのルートがちゃんとできていて。例えば、それこそ今からお話する僕の同人誌の仲間というか、仲間というほど僕は関わってないので話せることが少ないんですけども、一緒に同人誌をつくってた人たちも、同人誌の掲載作品がきっかけで声をかけられて商業出版をした人が多いので。

―2014年の文学フリマで乗代さんたちが販売されたのが『なし水(すい)』という名前の同人誌です。

乗代 聞き慣れないかもしれませんが、コンビニとかで売ってる、すごい軽薄な、1リットルの紙パックの、果汁なんてほとんど入ってない、そういう飲み物の名前がタイトルだったんですけど。

―組んだサークルの名前が「A4しんちゃん」。

乗代 これもひどいです(笑)。もう、パロディーというか、しかも、できた本もA4サイズじゃないし。めちゃくちゃなんですよ。

ークレヨンしんちゃんから、A4しんちゃん…

乗代 ただ単にそれだけで、ふざけてて。まあ、そういうのはどうでもいいという人たちだったんで。とりあえず適当に決めてもう出して、やるだけやる、書くだけ書くぞ、みたいな集まりでした。

(補註:「A4しんちゃん」のメンバーは、こだま、爪切男、たか〈たかたけし〉、のりしろ〈乗代雄介〉の4人)

―元々はこだまさんがネット上で声をかけて、という感じですか。

乗代 いえ、こだまさんよりも、いまビッグコミックスペリオールで『住みにごり』っていう漫画を連載している、たかたけしさんのほうが、どっちかというと声掛けをがんばっていたのかな、という感じ。僕は、友達はその人しかいないので。その人に年1回だけ会うというのが友人関係のすべてなので。

―インタビューで「人間関係がないので」と言い切っていたのが印象的でした。

乗代 たかさんもそのときはぜんぜん漫画家でもなんでもなかったんです。変な言い方ですが、全員素人みたいな状態で「同人誌つくろう!」っていって、面白い人を集めて、という感じですね。

―こだまさんにしても爪切男さんにしても、その後本を出されて。こだまさんなんかベストセラーですからね。

乗代 そうですね、タイトルが、すみません、言いにくいですけど(笑)。

―こうして文フリなどから火がついて人気になったケースはその後も出てきていると思うんですけども。

乗代 全国的にそういう流れがあって。きょうも広島とかぶっているみたいな話も聞いています。

―広島ではきょう文学フリマを開催しているということです。

乗代 各地に創作活動をされる方がいて、埋もれているという言い方は失礼ですけども、もはや、商業出版であるとかそうじゃないとか、趣味でやっているとか、そういう問題ではないような時代ですので。こういう場で実際に見て、自分が楽しいものをちゃんと探せる環境が全国的に整ってきているのは、すごくいいことだなと思いますね。

―この時『なし水』に掲載していた作品は今どこかで読めるんでしょうか?

乗代 デビュー作「十七八より」の、あるひとつの章がそれに該当します。

―「西を東のイーストウッド」というタイトルですが、そちらがデビュー作に繋がっているんですね。

乗代 『なし水』に出したものが、その部分はほとんど変えずに載っています。なので、同人誌のときも、作家としてデビューしたあとも、自分としては何も区別するところがないし、どちらで出しても自分が書いたものとして変わらないということを実感する出来事ではありましたね。

―その後2016年にも同じA4しんちゃんが、『森のヤマンバ姉』を出されています。これも同じような流れですか。

乗代 そうですね。1回やってみて多少話題になったというか、それぞれに読者の方がついたので。まあ僕とたかさんはそんなに増えもしなくて、何も話題にはなってなかったんですけど。こだまさんと爪切男さんにすごいファンの方がついて、「次出さないですか?」みたいな要望の声がけっこうあって、「じゃあやるか」って言って、またA4しんちゃんで集まって。あ、でも「A4しんちゃんで」とか自分たちで言ったこと1回もないんですよ(笑)。で、たかさんと「じゃあ書くか」って。我々は添え物だけど、「出すか」みたいな。「わかりました」と。

―このときはもうデビューされていましたね。2016年です。

乗代 あ、そうですね。確かに。

―だから、乗代雄介の名前はもう世に出ている。

乗代 そうですね。そうなんですね。

―でもこのときも「のりしろ」っていう、ひらがなの「のりしろ」名義で出されています。

乗代 僕は、もう中学生から「のりしろ」。ハンドルネームは「のりしろ」なので。作家デビューするときもそれを漢字に当てただけなので、ずっーと自分が「のりしろ」だと思ってやっている。友達もいるから本名よりもこっちの方が実感するし、呼ばれた回数も多いし。

―ずっとハンドルとして「のりしろ」を使ってこられてたんですね。

乗代 ひらがな 4 文字のハンドルネームが流行ってたんです。

―考えられたのはブログをつくる時ですか?

乗代 もっとまえの、サイトをつくるときですね。

―じゃあジオシティーズくらいのときから。

乗代 どこ行っちゃったんだろうな、みんな、あそこでつくってたひとたち。

ーテキストサイトで盛り上がってた人たちは、やはり、はてなダイアリーとかが出てきてブログに移っていって。

乗代 そうですね。

―特にはてなには面白い方が多かった印象です。

乗代 「ちゃんと書く人ははてな」みたいな。よくわからない、アメーバブログをのちのちバカにする、みたいな嫌な文化がありました。

ーはてな界隈が盛り上がっていて、いろんな書き手が出てきました。乗代さんも「ブログを更新するために生きてきた」ぐらいのことをおっしゃっています。

乗代 そうですね。僕は大学選びはブログを書くために、一人暮らしをできる大学を選びました。

―家から遠いところを?

乗代 そうです。受かりそうな大学、ちょっと頭のいい大学をセーブして、入試の日をサボったりして、親にばれないように「行ってきます。頑張ってくるよ」と。早稲田なんですけど、「早稲田、頑張って入試やってくるよ」って言って、ずっーと山手線に乗って本読んで。帰ってから「あんまり手応えがなかったかもしれない」みたいな感じで、仕方なく別の大学のほうに行く流れをつくって。「受かった中ではそこがいちばん上だから」って言って一人暮らしを始めて、もうあとはブログを書くだけの大学生活に入りました。

―早稲田だと家から通えちゃう。

乗代 通えちゃうんです。一人暮らしする意味がない。親と喧嘩したくなかったので、そういうストーリーをつくって、綿密に準備をして。事前の模試とかも、国語で成績を調整したりして。そうすると「そのぐらいの大学が妥当だよね」っていう感じになるように… というのをやってました。 30歳こえてからやっと外で言えるようになった。

―それぐらいブログを更新することが大事だったというのは、どういうモチベーションからでしょう。

乗代 いや、今振り返るとよくわからないというか。それこそ作家デビューに繋がるようなものは書いてないんですよ。せいぜい原稿用紙5枚ぐらいの、 ちょっと短いコントみたいなものをいっぱい書いてて、ふざけてて。で、それからずっーとふざけてたという感じです。ほぼ毎日更新して。 2000〜3000字ぐらいはほぼ毎日あったので、とんでもない量を書いていたなと。

―その一部が本にもなりました。

乗代 そうですね、これも会場で販売していますのでぜひ。

―そのブログに掲載してたコント的なものと、デビュー作以降の小説とのギャップがすごいですよね。ぜひ読み比べてほしいと思うのですが…

乗代 そうですね。でも、あんまり読んでもらいたくはない… いちばん古いものだと15歳の、これこそ中学生の時に書いたものが、ほぼ何も変えずに活字になっているので。

ーいちばん最初に載っている作品(「クニヒコの初日」)ですよね。

乗代 はい。なんだこれって思います。中学生の作文が本になってるんです。それだけはなんとか載せられるかなっていうものがやっと1個あったぐらい。でも、頑張ってたんだなと思います。ダメなりにちゃんと努力してというか、成果になってなくても書き続けてたんだなというのは、その掲載作品の選別作業をする時に思いました。

―編集がとても大変だったと思うんですけど。

乗代 そうですね。僕が持っているブログのデータをすべて編集者に渡せたんですけど、芸能人の悪口とか、とにかくダメな文章が多いから… そういうのは出版はダメなんです、本当に。

―ダメですね。でも、あの石坂浩二さんにドラゴンをもらう話がありました。

乗代 そう、あれは大丈夫でした。石坂浩二さんにドラゴンをもらって、あんまり上手に飼えなくて…(笑)。わけのわかんない話です。すいません。けど、なんか、ドラゴンとかくれそうだなと思って、石坂浩二さん。 珍しい北欧のほうのやつとかに精通してそうだと思って。っていうような話を、オチも何もないんですけど。

―あれがギリギリ載せられる…

乗代 あれがギリギリですね。堺正章さんがオープンカーに乗って… あの、言えないです、これ(笑)。

―そのあたりの本に載せられないものは、ぜひブログのほうを当たっていただいて。

乗代 はい、すいません。

―サイトを始められたのは、やはりテキストサイトが流行った頃に、インターネットの文章の面白さに魅力を感じたからでしょうか。

乗代 そうですね。当時から「何をやってもいいんだ」と思って。いま言った話じゃないですけど、やっぱり今、プロの作家というものになって、表現の規制とかも思い知ったうえで、ああ、やっぱりネットでしかできないことがあるんだな、と実感してるんです。あの頃は熱気があって、しかもまだちょっと隠れてやっているという雰囲気があったかなと思うので。それも相まって楽しめていたという風でしたね。

―私はデビュー作(「十七八より」)から読み始めたので、ああいうところにルーツがあるっていうのが意外でした。

乗代 「そんなの書いてたんだ」みたいなことを言われることは多いですね。そこが基盤にあるぶん、気楽にやれているというか。

―デビュー以降の作品については、難解でとっつきにくいと思われる方も多いのではと思うんですけども。

乗代 そうですね。確かに、いわゆる純文学というか、芥川賞と直木賞っていう括りがあるとしたら、芥川賞側のほうを書く。デビューしたのも、そういう系列の文芸誌のほうです。デビュー作は「もろ純文学」という感じで書いたので。なんなら逆に「久々にそういう人が出てきた」みたいな感じで言われているけど、その前に書いていたのはブログにあるようなふざけたもので(笑)。自分では分裂しつつ、そのふたつに分かれてる自分を自覚するために、小説の主人公だったりが作中で書いている設定にしています。「この小説も主人公が書いたものだよ」っていう形式の中で、自分が書くことについて考えていることを表現できれば、学生時代からやってきたものと、そんなに矛盾しないんじゃないかな、っていう流れですかね。多分。

―その難解にみえる文章・作風も、だんだんこなれてきたというか、『旅する練習』にしても、その後の『パパイヤ・ママイヤ』『それは誠』などは、デビュー直後の作品に比べてずっと読みやすいものになってきていると思うんですけど、そのあたりの変化については。

乗代 そうですね。もともと両方書けていたのが、デビューがそういうものだったから、「なんか読みやすくなってきたな、あいつ」みたいに言ってもらえます。これは変化なのか、成長なのか。またこれも純文学の世界のややこしいところで、「あいつ売れ線のほうに行ったな」みたいな(笑)。そういう声もある。業界の嫌な話とかしてすいませんね… そういう風に、「生活を大事にし始めたんじゃないの?」みたいな感じがあるんですけど、でも自分は昔からいろんなことをやってきていて、児童文学のマネとか、書き写しとか、研究もたくさんしましたし。ですから、自分としてはあまり矛盾するものではないので、「言ってくださってありがたいな」ぐらいで落ち着いて受け止められています。だからこそ公的に「坪田譲治文学賞」という、大人にも子どもにも味わえる作品を対象にした文学賞に選んでいただけたことは、「ちゃんと見ている方がおられたんだな」と感慨深く、また、それが岡山市だったことを、私はとてもうれしく思っております。

―ありがとうございます。乗代さんは本当に触れ幅があって、理想としてる作品も、たとえばサリンジャーを挙げていたり、一方で、おジャ魔女どれみが挙がっていたり。

乗代 好きなんですよ。

―あの運動会の話がすごくいいって書かれていましたね。

乗代 すごい、そこまで…

―私もおジャ魔女どれみは大好きで、今のプリキュアシリーズに繋がる東アニの…

乗代 はい。ね、そうですよね。

―キャラクターも可愛くって、ストーリーもすごく感動的だし…

乗代 そうなんですよ。おジャ魔女どれみって、クラス全員、 一人ひとりの登場人物が完全固定で30人ぐらい、全員に説明というか、ちゃんと個人の名前があって、ずっーとそれで数年間、卒業まで続くんですよね。学校のアニメって、ドラえもんとかでもそうですけど、登場人物はぜいぜい10人もいない中で動いていく。そこを30人で、アニメの中で本当の学校生活と人間関係を表現するのはすごいなと思って。余白を作らないというか。その点では自身の小説にもすごく影響していますね。

―なるほど、そういうところに感化されたのですね。ありがとうございます… まさかおジャ魔女どれみの話がそこまで広がるとは思わなかったので…

乗代 まだいけるんですけど…

―乗代さんといえば、いろんな引用を駆使されるイメージがあります。膨大な読書量があって、しかもずっと書き写しをつづけておられるとか。これはどうして始められたのでしょうか。

乗代 書き写しは高校生の時ぐらいから始めて。最初は、自分にとっての名言コレクションみたいなものを作ろう、と。そういう時期ってあるじゃないですか。

―箴言集みたいなもの。

乗代 そういうのを始めてたら、だんだん一つひとつが長くなってきて。もうノートに2、3ページ分とか小説を書き写すようになってしまって。それを高2ぐらいからほぼ毎朝です。本当にやばい事情がない時以外は続けているので。

―朝練みたいな感じですね。

乗代 100ページぐらいのキャンパスノートのいちばん厚いのがあるんですけど、それがいま14冊目かな。最近14冊目になりました。

―いまだに毎日。

乗代 いまだに。

―書き写すものは、日々読んでいるものの中から選ぶのでしょうか。

乗代 そうですね。でも全然追いつかないので。書き写さなきゃいけないものと、実際に書き写しが進行してるものがもう… 気が遠くなるぐらいな感じです。

―積まれてるわけですね。待機してる。

乗代 はい。

―書き写すことで深く読み、深く考えるというような。

乗代 そうですね。結局、読んでも忘れちゃうなというのが実感です。でも一度書くことで、結構面白い瞬間がときどきあって。作家が書いた文章を書き写していると、書きながら「このあと10文字ぐらい先まではこう続くぞ」っていうのが分かる瞬間があるんです。1回読んでるんだからそれはそうだろうという気もするんですけど。この言葉の連なりを思ったときの作家の感覚と、書き写してる時の自分の感覚は、もしかしたら一緒かもしれない、みたいな。ちょっと乗り移ったかのように思える瞬間があって、その時だけは楽しいです。あとは大体しんどいです。

―最後に、いがらしみきおさんのお話をお聞きしたいと思います。乗代さんの愛読書のひとつに、『ぼのぼの』で知られる漫画家のいがらしみきおさんが書いた『IMONを創る』という書籍があり、これが最近復刊されました。本書の解説を乗代さんがお書きになっています。

乗代 漫画の『ぼのぼの』や『忍ペンまん丸』でご存知の方もいると思うんですけども、漫画家のいがらしみきおさんは活字の本もいくつか書いていらして、その中でもいちばん変な本が『IMONを創る』っていう、パソコン雑誌の連載をまとめた本なんですけれども。これが、要は、誰も読んでいないような本でして… 当然絶版になっていて手に入らないし、誰も言及していない。でも僕はこの本を古本で見つけて、いがらしみきおさんだと思って買って以来すごい好きでずっと読んできて、ブログにもそれを書いて。みんなは読めないからと思って、あんまり良くないことなんですけど、そんな長い引用はダメなんですけど、バーっと書き写したものをブログに載せたりして。で、その後作家デビューしたときに、ある出版社からそのブログの本を出しませんかという話になって、ブログの題名と同じ『ミックエイヴォリーのアンダーパンツ』という本が出ました。いがらしみきおさんのことを書いている内容もあったので、この本をいがらしみきおさんに献本したんです。そしたらお返事が来まして、「ありがとうございます」と。『IMONを創る』のことを書いてたので、「あの本をこんなに読んでくれる人がいるとは、夢にも思いませんでした」っていう。そのメールは冷蔵庫に貼ってあるんですけど。

―感動的なメールですもんね。

乗代 その後、その本を出したことがきっかけで、同じ編集者さんによって『IMONを創る』を復刊させようという動きになりまして。だから、自分しか読んでなかった本が、自分がブログに書いたことで、復刊にまで繋がったという話でして。そういう流れがあって今回本が出たので、解説も自分が書くしかないということで、すごい長い、限界いっぱいまでの解説を書いたりしました。いがらしさんから「本を出してくれてありがとう」と仙台へ呼んでいただいて、打ち上げみたいなものをして、お会いすることができたりして。

―すごい出会いです。

乗代 すいません。長い話になってしまいましたが、そういう流れがありますので。でも、この本はきょうは多分置いてないと思うんですけど……

―ないかもしれない(笑)、いがらしみきおさんの『IMONを創る』です。

乗代 はい、よろしくお願いします。変な本です。

―気になった方はぜひ当たってみてください。…では、時間になりましたので、前半はここまでにいたします。休憩を挟んで、後半は風景スケッチのワークショップについて、受講者の方々を交えて感想などお聞きしていきたいと思います。ひきつづきよろしくお願いします。

乗代 ありがとうございました。

後編へつづく)

乗代雄介さん(右)と進行役のHuddle店主

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