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とるにたらないこと2021/10/16

 自分で考える責任を回避した瞬間、凡庸な悪が生まれるー
小説コーナーの脇に置かれたハンナアレントの文庫本の帯が目に止まった。
多数決での決定やら迎合やら、最近、とるにたりない小さなことで、そうしたことに直面した。
アレントをわき目で見ながら通り過ぎて、俺は雑誌コーナーへと向かった。

 俺はあるランニング好きな作家が好きだった。その男のインタビュー特集を2回に分けて、ある雑談が特集を組んで掲載していた。2回目のインタビュー分が今週発売されていた。売り切れてしまう前に、どうしても買っておきたかった。

 仕事が終わり、白のハイエースへと向かう。後ろから少年が急ぎ足でついてくる。
「悠太ー、はよ乗って。お前はよ18ならんかな〜…免許取ってな?来年ならんとあかんけど」
「はい、そのつもりっす」
「取ってくれたら毎日俺運転せんくて、帰りは助手席に居さしてもらいます笑」

 助手席に乗り込んだ悠太は、深沢付近に差し掛かる頃には目をつぶり、半開きの口で頭を仰け反らして眠りに落ちていた。俺の工務店に見習いにきたのが半年近く前。最初はかなりイキっていて、挨拶すらろくにできない奴だった。挨拶のことから始まり、道具の手入れだとか、それこそ細かい事で毎日毎時間、毎秒、あれこれと俺に叱られたりしながらも、今どき珍しく、根性だけはある奴だった。
そんな悠太も半年近くなると、一人前に腰袋を新調したり、買ったばかりの新品のハイコーキの静音インパクトドライバーに目を輝かせながら、工具のことを色々と話すようになっていた。
それでも、横で眠りこける悠太の寝顔はまだ子どものようにあどけなかった。

「おーい、おまえん家着いた。俺、今日ちょっと藤沢まで行かんといけんからはよ降りて」
「何か食いに行くんすか?」
「いや、あの、ちょっとですね、僕、雑誌を買いたくてですね」
「僕も連れてってくださいよ、見たいのが丁度あって」
「なら行くか」
そんな訳で、悠太とふたりでジュンク堂へと向かう羽目になった。

 7階のフロアは専門書籍や新書、8階のフロアが小説や児童書売り場になっている。
「僕ちょっと建築の本見てきます」と、言いながら悠太は7階でエスカレーターを降りた。俺はランニングマンのインタビュー特集を無事8階で手に入れて、悠太のいる7階へ行った。
 真剣な眼差しで、隈研吾の建築についての本を悠太が立ち読みしていた。俺に気づいた悠太が本から顔を上げた。
「悠太さんめっちゃ意識高いじゃないですか?」
「そんな事ないっす。思ったよりも高いから、今日は買うのやめときます」
そう言って悠太が本を元の棚に戻した。
「サルトルさん買えました?何買ったんすか?」
「ええと、買えました。大したもんじゃないですので、お気になさらず」
「『建築知識』とかです?今月号ここにも置いてありますよ」
「あー、えー、まあ、そんなとこです、ともかくお気になさらず。はよ帰ろ」

 俺は買ったBRUTUSの表紙を何故か悠太に見られないように脇に抱えて隠した。


 日がすっかり落ちた中、悠太を深沢まで再び送り届け、車の窓を全開にして七里ガ浜方面へと裏道を走り抜ける。少し冷たい秋の風が体を通り抜けていく。
 10月ももう中旬だ。明日の休日を俺は大好きな春樹と過ごそうと思う。

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