運命の彼方へ ──ミラン・クンデラとカール・ヤスパースに寄せて
はじめに
ヤスパース──懐かしくも親しみ深い名前が飛び込んできた。須藤輝彦さんの『たまたま、この世界に生まれて』というミラン・クンデラ論を読んでいたときだ。
僕が哲学書を読んだのは、ヤスパースの『哲学の小さな学校』がはじめてだった。十代、事情により色々とあったとき、祖父が心配し、僕にキルケゴール、ヤスパース、サルトルのいくつかの本を送ってよこした。すがる思いで僕は読んだ。だからとても思い入れが深く、また、今となっては、少しずつ当時を過去として受け入れはじめてもいることに、気がついた。
また、昨今の時事問題や社会問題から、僕は〈対立と調和〉という観点で、〈人間存在の複雑性〉について考察せざるを得ないときがある。
そのような中で、やはり、今となっては、古いと言われるかもしれぬ実存哲学は、僕の心の支えでもある。
さて、ヤスパースは、哲学が成功するためには、論理的抽象性と現実的な現在とが同一的になるような思惟が必要であり、哲学の最も重要な課題は、実存的思性の可能性の開明にあると考えた。つまり、実存と理性の対立を超えて、両者の相互関連性を重視する立場を取る。
これはバタイユの「至高の感性」やバトラーの「相互依存性の中の自己」と通じるものがある。
ヤスパースの哲学は、実存と理性の統合を目指し、バタイユとバトラーの理論も、個人の経験と社会的相互依存性を探求した。これらの思想は、偶然性や抗い難い社会のうねりが個人と集団の歴史にどう影響するかを理解するための枠組みをモデリングしたとも言えよう。偶発的事象は非連続で稠密なものであり、それらを限られた状況の中で個々人が主体性を持って選択することは、言い換えると、〈生きた証〉となるかもしれない。
作家ミラン・クンデラは〈運命〉と云う多義性を持つ言葉とそれに翻弄される社会と個人を、さまざまな角度から、照射した。僕は、運命ではなく、個に侵食していく社会の抗いがたい風潮や不条理を描いた作家だと感じている。
〈運命〉と名付けるかどうかは人それぞれであろう。〈生きた証〉が人それぞれであるように。
一度きりの生の尊さが現代社会においていかに軽んじられていることか。
クンデラ論『たまたま、この世界に生まれて』の内容概説
話を『たまたま、この世界に生まれて』に戻そう。
他の批評と異なるのは政治的イデオロギー観点からの所謂一義的な〈運命〉論ではなく、いくつかの様相として〈運命〉を捉えている点であるようだ。
また、序論が非常に素晴らしい。優れた論文は、序論に本論の背景が綿密に描き込まれている。まさに本書はそのとおりである。チェコに疎い僕にとっては歴史小説に誘われるかのようにして、読むことができ、大変勉強になった。
古くはビザンツからチェコスロバキア、チェコと変わってゆくヨーロッパ周縁国であり中欧の中心的な土地の歴史も丁寧に、背景として書いてある。僕は、須藤さんの背景を大事に扱う研究者としての姿勢、そしてクンデラへの愛が溢れているが非常に冷静な文章が好印象に映り、ページを括る手が止まらず、一気に通読してしまった。
誰にでも、わかりやすいように、難しいことも丁寧にしっかりと説明しながら書かれており、クンデラ作品を読むための手引きのようにもなっていた。また、巻末に索引があるのが素晴らしい。
これからクンデラを読みたい方々も、すでにファンの方々も必読の書であるに間違いない。
特に、僕はクンデラさんの作品の中で、『笑いと忘却の書』、『不滅』、『無意味の祝祭』が好きなのだが、とりわけ、『不滅』には思い入れがあり、前述のエッセイ『人間存在の複雑性』「6.3.哲学、文学、社会、相互依存性の中の自己」でも触れている──本とは不思議なものだ。本書との出逢いのタイミングが絶妙だ。イリアスもつい先日読んでいたり、ルカーチが出てきたり、アーレントやバトラーが出てきたり、対立と調和の観点から人間存在の複雑性を考えていた僕にとって、非常に共鳴する内容でもあった。特に、「第四章 世界と亡命」「第三部天使たち」におけるレンヌの話はバトラーの相互依存性やサルトルのまなざしや二重の受肉を彷彿させられたりもした。
ところで、僕は漠然と、クンデラさんは、激しい葛藤をじぶんで折り合いをつけるため、書かずにして死ねない、という思いで、各作品を作曲するかのように、書いてきた、と捉えてもいる。だからこそ、彼の作品を読んでいると、音楽が流れ、そして、心に響くのだろう。
運命の概念についての考察
さて、著者、須藤輝彦さんが掲げる、問い
について、ここで僕はひとつの疑問が浮かんだ。それは読み終えたあとまで持ち続けている──真空状態なんてあるだろうか?
確かにそれまでの個の運命がパチンと切られることはある──戦争や何らかの弾圧。
ロシアウクライナしかりイスラエルパレスチナしかり、アフリカ地域しかり、アフガンしかり、ウイグルやロヒンギャといった少数民族への同化や弾圧。
特段、海外ばかりではなく、敗戦後の日本の人たちもそうだ。──たとえば、軍国主義の中で生まれ育ち、陸軍学校を卒業し、皇国軍として、満州や中国の治安維持のために赴任した軍人の一生を辿ることができる──満州に傀儡政権を立て、中国に侵略したかつての日本軍の軍人とも言える。
敗戦まで、様々な日本軍のしてきたことをその目で見て、それでも軍人として生きることを選択した人物だ。敗戦直前まで、職業軍人として周囲からも尊敬され、自分にも誇りを持っていた。だが、敗戦後、その生き方は否定され、生き方を変えざるを得なくなったと同時に、玉音放送を聴きながら、どこか、やっと終わった、と安堵もした。傷痍軍人として、侮蔑や差別も受けた。とてつもない傷と葛藤は、その後敗戦から六十年、彼を彼の過去から遠ざけた。生き方を変えざるを得ないとしても、現実を生きるしかない。生あるかぎり、現在を〈生きて生きて生き抜く〉しかないのだ。しかしながら、平成になり、これはかつての軍国主義をぶり返してしまうと危機感から、彼は自分が目に焼き付けた過去を家族にぽつりぽつりと語ることを決意した。
このような人物において、〈運命〉とは一言で片付けられないが、職業軍人としての「それまでの人生を支配していたはずの運命が死に先駆けて終わって」しまった、とも見えるかもしれない。しかし、個の中において、それはこの人物の一側面でしかなく、個とはまったく無関係に流れていく時間の中で、新たな側面が必然性を帯びて偶発的にやってくる、種のように──結婚、子ども、孫、ひ孫、そして地域社会、そして現代を生きる彼の家族たちの現実。それぞれ多様にこの人物はその時その時、自らの手で土を耕すかのようにして、また、新しい芽を出すまで、過去を押し殺して、生きた。つまり、運命というのは、その時々、あらゆる選択の中で、必死に生きていると、運命ではなく、何でもない、事象だ。何でもないけれども、一度きりのかけがえのない不連続で稠密な一連の流れ──生きた証だ。
クンデラさんは、プラハの春を経験し、今の時代を生きる僕には想像つかないほど苦労と葛藤の末に、〈追放〉〈離脱〉をなんだかんだで、乗り越えてきたのだろう。だから、運命なんて降ってくるものかもしれぬが、現実を生きるしかできないし、葛藤はじぶんで折り合いをつけて二項対立的なものは、要するに、調和するなり、調和できなかったとしても、やがては、その葛藤も青春や壮年期の一ページとしてを自分の中で流れていく、ともしかしたら、思って過去をなんとか〈流し〉たのかもしれない。
僕は、考える。対立と調和の中で、追放離脱、折り合いをつけなければならない、どうしようもできなかったこと──それが人生というものなのかもしれない。
緻密で素晴らしいクンデラ論を読みながら、戦争や紛争下の人々のことを考えずにはいられなかった。
「暗号と解釈が結びつく場所に、運命が生まれる──つまり運命とは、あえて大きくいうならば、人間の弱さと創造性に基づいた本質的に文学的な観念なのだ」
と著者は締めくくる。そうかもしれない。
そして、その〈観念〉は瞬間瞬間、別のものが加わったり消えたりする気まぐれなものでもあろう。ひとりの個〜ひとつの集団においてまで、いくつもの運命たるものがぶら下がってくる。人間は過去しか理解できず、次の先、未来は無限の可能性があり、偶発的事象をどのように誰と共犯するかで変わりうる。
社会正義と人間の尊厳
けれど、現実には、どうしようもない不条理を運命として弱い立場の人々──真空状態あるいは限界状況に近しいかもしれぬが決してそうした語彙で他者が済ませてはならぬ人々──に押し付ける身勝手な傲慢で残酷な者たちが大義名分を吠える。
そのようなことは、第三者、他の国々が、片手でもいいから、差し出して、弱い立場の人々を助けてあげないのは、なぜ?
なぜ、ある日、唐突に、命を奪い去るのを見て見ぬふりをするのか?
なぜ、社会構造の狭間で苦しむ人々を見て見ぬふりをするの?
愛なんて、古臭く、恥ずかしいものなのだろう。
でも、僕は愛、博愛こそが、人間を人間たらしめんとす。死を知り他者を愛する力とは、バタイユ的に言うなれば、はじめは感傷からだとしても、それは理性によって乗り越え、さらに、その理性を乗り越える「至高の感性」の極みではないか。
しかしながら、もはや、現代において、「至高の感性」を働かせたり、さらに同じことを繰り返さぬよう縦横無双に文化をまたぐ歴史を学ぶなど、軽視され、こんなことを熱く語れば、奇人あるいは狂人と呼ばれるかもしれない──ならば僕は狂人でいい。歴史に健忘症的な僕ら人間。 文明の発展の末に平和を希求す姿が人間の叡智ではないか。
どんな子どもたちにも、どんな動植物にも、限りある生を全うする中で、運命、可能性が無限に広がる日が来るよう、少しずつ、大人が変えていかねば、何も変わらず、一部の特権階級に属する者だけが、多様な運命をだらしない口を広げ貪り食うだろう。
おわりに
───『たまたま、この世界に生まれて』が出版された日、三月二十二日は、奇しくも、僕、妻と娘が〈偶然〉の共犯者となった日でもある。僕はこれを「美しい楽譜」(須藤 2024)、たとえ乗り越えられないことがこれから先もいくつもやってきたとしても、の第一楽章のはじまりと受け止めたい。それもひとつの〈運命〉の様相であろう。いつか、須藤輝彦さんの講義を受けてみたい。そのように、ふと思った。
〈暗号〉──僕の記憶に眠るヤスパースが応答する。
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