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No. 026 : 美輪明宏 編 :「言葉が足りないのは本を読まないから。美しい言葉に触れ素敵な表現を自分の中にストックする。意思の疎通は言葉あり。」 | 「読書の楽園:本と私の特別な瞬間」ALBUM Artwork


言葉が足りないのは本を読まないから。美しい言葉に触れ素敵な表現を自分の中にストックする。意思の疎通は言葉あり。」-美輪明宏 | 画像 by SDXL

「言葉が足りないのは本を読まないから。美しい言葉に触れ素敵な表現を自分の中にストックする。意思の疎通は言葉あり。」-美輪明宏

「言葉が足りないのは本を読まないから。美しい言葉に触れ素敵な表現を自分の中にストックする。意思の疎通は言葉あり。」-美輪明宏
"The reason why words are insufficient is because one does not read books. By encountering beautiful words, one stores wonderful expressions within oneself. Communication of intentions relies on words."-Akihiro Miwa

美輪明宏 Akihiro Miwa

美輪明宏(本名:丸山明宏、1935年5月15日生まれ)は、日本の歌手、俳優、監督、作曲家、作家、ドラッグクイーンとして知られています。

美輪明宏は1935年長崎で生まれ、経済的に恵まれた環境で育つ。1945年8月9日、10歳の時に長崎市への原爆投下を経験。戦後は歌手を志し、1951年に上京。しかし生活は厳しく、新宿駅での路上生活を経験。1952年に銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で専属となり歌手デビュー。1957年「メケメケ」がヒットするが、人気は短期間で降下。その後自らの作詞作曲の活動を開始するが評価されず。1966年「ヨイトマケの唄」が再評価を受ける。

1967年からは俳優としても活動を始め、寺山修司作品などに出演。1971年に美輪明宏と改名。70年代は歌手活動に専念するが、78年から持病の影響で活動が制限される。80年代に入ると体調は回復せず、医師から余命宣告も受けるが、歌手活動は継続。90年代になり演劇活動も再開。93年に24年ぶりに舞台「黒蜥蜴」を再演。以後演出も手がけるようになる。

2000年代に入ると歌手活動の場は減少するが、舞台との二本立てで活動。2012年に77歳で紅白初出場を果たし、2014年には79歳で最高齢出場記録を更新。80歳となった2015年にも出場を果たす。晩年はテレビ出演も増え、「愛の伝道師」として知られるようになる。2018年に東京都名誉都民となる。2019年に脳梗塞で入院するが、復帰。2022年にNHK放送文化賞を受賞するなど、現在も第一線で多彩な活動を続けている。

ヨイトマケの唄

歌詞

「ヨイトマケの唄」は美輪明宏が自作した1966年のヒット曲で、彼の幼友達の労働者として一生懸命奮闘して亡くなった母への敬意を歌ったものです。「ヨイトマケ」とは、建設作業のかけ声で、主な仕事は日雇い労働者が行っていました。美輪は、コンサートを通じて彼の歌を愛する労働者の存在を強く感じ、彼らのためにこの楽曲制作を決意しました。

初めて歌ったのは1964年で、大反響を呼び出したこの歌は美輪の認知度を再度向上させ、1965年7月にシングルレコードが発売されてからは40万枚を売り上げ、その後も再録音が何度か行われました。

しかし、「土方」「ヨイトマケ」といった用語が含まれていることから差別用語とみなされ、日本民間放送連盟により要注意歌謡曲に指定されて以降、民放での放送は原則として見送られるようになりました。美輪はこれを契機にNHK以外のテレビ出演を避けるようになります。

全国放送のNHKでは、この歌は発表当初から一貫して放送自粛の措置はとられていませんでしたが、2012年に美輪が「第63回NHK紅白歌合戦」に初出演し、この曲を披露、大いに反響を呼びました。美輪は以前から紅白出演のオファーがあったが、歌詞の省略を拒否したことから辞退していたと述べています。

三島由紀夫と美輪明宏の関係

美輪明宏と三島由紀夫は、昭和時代の日本の文化界で交流を持っていた関係でした。

出会いと親交の始まり:

美輪明宏と三島由紀夫は、1950年代に銀座の喫茶店で出会いました。当時、美輪は歌手を目指していた若者であり、三島は新進気鋭の作家として注目を浴びていました。三島は美輪の歌声に魅了され、お互いの才能を尊敬し合う間柄となりました。

冗談を言い合う親交:

美輪と三島の関係は、お互いに冗談を言い合うことが特徴でした。三島は美輪に対して、「君は素晴らしいが、最悪な欠点があってそれが君の長所をひと消しにする」と言い、美輪はそれに対して「かわいそうな人が好きなんです。だから三島さんは恋愛の対象になりません」と返答するなど、ユーモアに溢れた関係でした。

三島の評価と影響:

三島は美輪の才能を高く評価しており、彼の歌唱力や演技力、美貌を絶賛していました。また、美輪の言葉や行動が三島に影響を与えることもありました。例えば、美輪が着ている服装に対して三島が「突飛すぎる」と批判した際に、美輪が「長崎の歴史をご存じ?東京にぺんぺん草が生えているときに長崎は国際都市だったんですよ」と反論したことが、三島に意外な影響を与えたと言われています。

年齢差とその後の関係:

美輪明宏と三島由紀夫の年齢差は約10歳でした。三島は1970年に自衛隊駐屯地での割腹自殺を遂げ、その後の関係は途絶えました。しかし、美輪は三島の死後も彼の思い出を大切にし、彼の功績を称える場面でしばしば言及しています。

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