ビートルズの7分を優に超える名曲「Hey Jude」の分解と分析
今回の記事は以下マガジンに収録させて頂きました。
Hey Jude - McCartney: A Life in Lyrics | Podcast
以下のpodcast「lyricsの人生」より The Beatles1968年、ビルボードチャートで1位を獲得した最長曲「Hey Jude」はを分解・分析させて頂きます。
BEATLESのファンの皆様におかれましては、翻訳だけを掲載する記事をお望みの方が多かろうとは思いますが、著作権上の問題につき どうぞご理解の程お願い申し上げます。
ビートルズの代表曲の一つ「Hey Jude」。あなたはこの曲に込められた感動の誕生秘話をご存知でしょうか?ポール・マッカートニーが特別な想いを込めて書き上げたこの曲は、メンバーやリスナー一人一人の心に響き、時代を超えて愛され続けています。
離婚危機の親友の息子を励ますために生まれた曲
1968年、ジョン・レノンと当時の妻シンシア・レノンの離婚が取り沙汰されていました。親友の5歳の息子ジュリアンを思うポールは、「悲しい歌を良い歌に変えよう」というメッセージを込めて、「Hey Jude」の制作を始めたのです。
普遍的なメッセージへと昇華された歌詞
しかし曲作りの過程で、ポールは具体的な状況から、より普遍的なメッセージへと歌詞を変化させていきました。誰もが人生で辛い時期を経験する中で、ポールは励ましの声をかけ「きっと大丈夫」と伝えたかったのです。一人一人の心に寄り添う、深い意味を持つ歌詞が完成しました。
メンバー間での解釈の違いと、リスナーの心に響くメッセージ
出来上がった曲を聴いたジョンは、息子へのメッセージではなく自分へ向けたものだと受け止めました。そしてリスナー一人一人が、自身の抱える問題に応じてこの曲を自分に向けられたものとして感じたのです。「Hey Jude」は、聴く人それぞれの心に寄り添う特別な曲となりました。
老若男女の心をつかんだ、シンプルで力強いサビ
Na na naのシンプルなリフレインに乗せて、老若男女が一緒に歌えるのが「Hey Jude」の大きな魅力です。年齢を超えて、悲しみを乗り越え前を向こうというメッセージが、多くの人々の共感を呼んでいます。
ポールの感情を表す歌声の移り変わり
「Hey Jude」に込められたポールの感情は、歌声にも表れています。他者を慰める歌から始まり、最終的には自分自身を信じるに至る心の軌跡が、ポールの情感あふれる歌声によって見事に表現されているのです。
ビートルズの記念すべきシングル曲として大ヒット
「Hey Jude」は、ビートルズ自身のレーベルから発売された記念すべきシングル曲です。7分を超える異例の長さながらチャート1位を記録し、大ヒットを飾りました。ビートルズの新たな一面を示した歴史的な一曲と言えるでしょう。
結論
ビートルズの名曲「Hey Jude」は、特定の人物を励ますために書かれた曲でしたが、普遍的な励ましのメッセージを持つ曲へと昇華されました。ポールの感情がこもった歌声と、シンプルで力強い歌詞が、時代を超えて人々の心に寄り添い続けています。この記事を読んで、あなたも「Hey Jude」を聴いてみませんか?きっとあなたの心にも、特別な意味を持つ曲となるはずです。
ビートルズ最高傑作「ヘイ・ジュード」の深層
「ヘイ・ジュード」の更に裏側を詳しく分析し 掘り下げさせて頂きます。
~離婚の渦中の父と子を癒す、7分の応援歌ソング
あの壮大で感動的な歌詞が隠していた、親子の絆への思い
ビートルズ編曲の頂点とも評される大作「ヘイ・ジュード」。7分を優に超える大曲は、当時の楽曲の常識を覆す(くつ‐がえ・す)怪作でした。しかしその歌詞の根底にあったのは、離婚の淵にいた父と子への労り(いたわり)の言葉でした。
【ジョン・レノンの離婚に寄り添う、ポールの心遣い】
1968年、ジョン・レノンとヨーコ・オノの濃密な関係がきっかけでレノン夫妻は離婚に至ります。ビートルズ仲間だったポール・マッカートニーは、レノンの当時5歳の息子ジュリアンに思いを馳せていました。
"僕は"ヘイ・ジュールズ"という題名で曲を書き始めたんだ。ジュリアンへのメッセージになっていた。"悲しい思いをするな"と力強く生きるように促す内容だった"(マッカートニー)
マッカートニーは、離婚の惨事で傷つきがちな子供の心を思い、ジュリアンに向けた労りの言葉を綴りました。「ジュード」に変えられた曲名とは、本名と同じ"ジュード"の呼びかけでした。
スタジオで火花を散らす師弟対決
録音作業は最初から難航します。マッカートニーはギターパートをめぐり、ジョージ・ハリスンとすれ違いを露呈。ハリスンが提案したギターフレーズをマッカートニーは才能を糺し、退けてしまったのです。
"僕はかなりしつこかったよ。でもあのギターフレーズじゃ方向性が違っていた"(マッカートニー)
スタジオでの確執は収拾がつかず、ついにリンゴ・スターまでもが脱退を決意。最前線からこの曲の制作を離れざるを得なくなります。
しかし一方で、マッカートニーの最大の思い入れが、この曲をたゆまぬ情熱で仕上げさせました。ついに観客合唱入りの撮影で復帰したスターを含む4人で、金字塔的名曲が完成を見たのです。
手探りで切り拓いた8トラックの最高峰
録音技術的にも、この作品は最先端でした。8トラックテープ・レコーダーの初期的な導入で、これまでにない高密度の重層録音が試みられました。
"今まで録れなかった音の重なりが、スタジオの純音響面で実験できるようになった。音の密度が全く違うんだ"(ジョージ・マーティン)
メロディの絡み合いに加えて、コーダの無伴奏の伸びやや32人編成のオーケストラの起用など、精密を極めた高度な技術が全編で施されています。
世界を熱狂の渦に巻き込んだ大ヒット
1968年8月にリリースされると、この曲は世界的な大ヒットに。英国で2週間、アメリカでは9週間に渡ってチャート1位を獲得し、年間ベストセラーにもなりました。
前代未聞の大作に世界中がくぎ付けに。ロンドン・スタジオでのプロモーション映像の放送も、街をビートルズ熱に包み込みました。観客全員が最後の"ナ・ナ・ナ"合唱に加わる、前代未聞の一体感に世界中が酔いしれました。
マッカートニーが今なお継承する歌声の祭典
レコード会社側が長尺を危惧したこの大曲でしたが、ビートルズの人気に勝る新記録の認定を受けて不動の地位を獲得しました。数々の至高の名曲ランキングで常に上位にランクされる「ヘイ・ジュード」は、今やビートルズ理念そのものの扉を開く不朽の作品となりました。
マッカートニーはレノン死去後、この曲をコンサート定番曲に。会場を巻き込んでの合唱シーンは、彼の父レノンを慈しむ気持ちと、調和と共生を説く平和の讃美歌として今に続いています。
離婚による親子の绶に寄り添った温かな希望の歌
当初は単なる子供への労りの言葉だったこの曲。でも作り上げられた過程で、それを超えた大作へと製作陣の思いが expanding していったことが窺えます。離婚によって音を失いかけた親子の心に、再び調和のメロディーを吹き込んだ名曲と言えるでしょう。ビートルズ人生最大の軋轢を乗り越えた、希望への讃歌なのです。
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